なぜハリウッドはアジア人俳優を起用しないのか?

Why Doesn’t Hollywood Cast Asian Actors? by PBS Idea Channel
PBS Idea Channel : アメリカ合衆国の非営利・公共放送ネットワークPBSの教育用Webビデオコンテンツを配信するためのYouTubeチャネル


マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
アメリカのエンターテインメント業界はありとあらゆる作品をリブートしリメイクするという戦略を取り続けてきました、そんな彼らがついには他の文化に目を向けることになったとしても不思議ではありません。良くも悪くも、欧米はいつもアジアの文化に対しある種夢中になってきました。ですがここ数年は特に欧米の観客に向けて東洋を舞台にした、あるいは東洋をテーマにしたストーリーが増えているように感じます。

そしてこれらの作品と共に増えてきたものがあります、それは作品の中で誰が演じるのが相応しいかという論争です。アジア人のキャラクターが登場したストーリーを欧米の観客に伝える際、何に基づいてキャスティングすべきなのか? オリジナルを重視するべきか、対象となる観客の人種に基づいて決めるべきか、それとも他の要素?

作品の中でアジア人を抹消し(Asian erasure)、必ずしもアジア人だけとは限りませんが、有色人種の役をコーカサス(白人)の俳優が演じることはホワイトウォッシングと呼ばれるようになりました。

そしてこれが私たち"Idea Channel"が今回のエピソードで扱うテーマです。そのためにも私の友人のケビン・グエンに登場してもらいましょう。


PBS Idea Channelより引用 ケビン・グエン(Kevin Nguyen)左の人
呼んで頂きありがとうございます。

マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)右の人
ええ、よくいらっしゃいました。よろしければあなたは誰なのか、どんな仕事をしているのか、自己紹介していただけますか?

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
ええ、もちろん。私はGQ.comで副編集長をさせてもらっています。私がここに来たのは私がアジア人だからであり、ホワイトウォッシングに対し強い考えを持っているからです。

そのトピックについて言いたいことはたくさんありますし、ここ最近GQ.comでホワイトウォッシングに関する記事を大量に書いてきました。ですがホワイトウォッシングとは非常に特殊なものであり、どこかニュアンスが上手く伝わっていないと感じる事も多々ありました。実際我々がその問題について話す時、大抵がAsian erasure(アジア人の抹消)のごく一部にしか触れていないのです。

ホワイトウォッシングとアジア人の抹消

PBS Idea Channelより引用 マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
では今回はその2つの概念について多く語る事になりそうですね。ですがそれらを一般的な言葉で上手く違いを説明することができますか?

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
ええ、私の考えではホワイトウォッシングには明確な定義があります。それは本来ならば有色人種が配役されるべきところに、彼らの代わりに白人が配役されることです。

ハリウッドはなぜそうしなければならないのかについて多くの言い訳をしています、白人を主役にする事で確実に利益をもたらすことになる、などといったことですね。ですが非白人が主演したり重要な役どころを演じた映画が実際に高いボックスオフィスの成績を残せるかどうかは誰にも分からないのです、そもそもそんな映画をほとんど作ってこなかったのですから。

ですのでホワイトウォッシングというのは非常に明快で分かりやすいものです。

一方で Asian erasure(アジア人の抹消)というのはもっと曖昧なものです。

ですが皆さんもご存知のように、(欧米の)様々な文化の中では歴史的にアジア人やアジア系アメリカ人はその存在が目立った事はありません。アジア人の映画スターは限られていますし、テレビではアジア人の男性や女性が出演することも多くありません。音楽でもそうです。

もちろんいないわけではありません、ですがやはり我々アジア人はほとんどが注目される立場に立てていないのです。

マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
つまり"アジア人の抹消"というのはより大きく複雑なホワイトウォッシングの一部であり、それは映画におけるキャストの選抜など様々な形で表れている。それがここ数年の論争を巻き起こしているというわけですね。ではホワイトウォッシングかそうではないか、その線引きはどこでなされるのでしょう?

ホワイトウォッシングであると批判された作品

PBS Idea Channelより引用 マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
まずは最近の、そしてとても話題になった『 ゴースト・イン・ザ・シェル』 で主人公の"少佐"役にスカーレット・ヨハンソンか起用されたことから始めましょう、これはどうですか?

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
これは間違いなくホワイトウォッシングです、それもかなり悪質な。

ご存じのように原作のキャラクターはマンガとアニメの両方で日本語の名前を持ち、日本人的な特徴を持っています。それにもかかわらず製作陣は白人の彼女をその役に起用しました、これは私の目から見て非常に悪質なホワイトウォッシングの事例と言えます。


PBS Idea Channelより引用 マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
次は...この作品はもう少し複雑だと思いますが、 マット・デイモンが主演した『グレートウォール』、こちらはどうでしょう。この作品もまた多くの論争が起こりましたね。

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
ホワイトウォッシングではありません、が こちらはこちらで別の問題を抱えています。

この作品は宋王朝時代の中国の万里の長城を舞台にマット・デイモン扮する欧州の傭兵ウィリアムというキャラクターが中国の人々と共に怪物と戦うという内容の映画ですが、 おそらく人々が問題意識を感じたのはマット・デイモンという白人が哀れな中国人を救いに現れ彼らと万里の長城を守るというアイデアの方でしょう。

彼の演じたキャラクターは初めからヨーロッパ人として描かれていますから ホワイトウォッシングではありません、ですがホワイトセイヴァー(白人の救世主)問題と言えます。


PBS Idea Channelより引用 マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
2016年の映画『ドクター・ストレンジ』はどうでしょう? こちらも主人公を導くエンシェント・ワンという重要なアジア人キャラクターを イギリスの白人女優ティルダ・スウィントンが演じていますよね。

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
これはホワイトウォッシングだと思いますね、原作のキャラクターはチベット人男性ですから。ただこのキャラクターは初めから東洋のあらゆる奇妙な、悪いステレオタイプに満ちたキャラクターだったという問題もありました。

PBS Idea Channelより引用 そしてこの新しい映画ではそのようなネガティブな偏見を払拭する良い機会だったはずです。しかし製作陣はアジア人男性を起用せず、代わりに人種を変え性別を変え、まったく新しいキャラクターにしてしまった。なかったことにしたのです。

これは一見良いことの様に思えます、偏見に満ちたキャラクターをそのまま登場させなかったのですから。ですがそれはアジア人のキャラクターを悪いステレオタイプ抜きには描けないと言っている様なものです。そんなに難しい事なのでしょうか?


PBS Idea Channelより引用 マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
では最後にNetflixが2017年8月25日に全世界配信予定のアメリカ版『デスノート』はどうでしょう? こちらも主人公の夜神ライトが日本人ではなく白人になりましたが。

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
確かに主人公に関してはホワイトウォッシングと言えるかもしれませんが映画全体から見ればホワイトウォッシングと規定されるものではないと思います。なぜならホワイトウォッシングという考えの根幹にあるのは、我々が気にするのは、有色人種がちゃんと出演できているかどうかという事だからです。

PBS Idea Channelより引用 この作品では準主役に黒人が出演しているだけでなく出演陣は全体的に人種の多様性に富んでいます。ホワイトウォッシングという問題は何も特定のキャラクターをアジア人にしなければいけない などというものではありません。有色人種を起用する絶好の機会があるにもかかわらずそうしない事が問題なのです。

アジア人はエンターテイメントで良い扱いをされているのでは?

マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
"アジア人の抹消"に対してこんな風に正当化しようとする意見もありますよね、 確かにアジア人の役を白人が奪ったり何かしらのステレオタイプを持っていたりするのは悪いことかもしれない、でも全体的にエンターテイメントにおいてアジア人は賢かったり何かしらの才能を持っていたりといつも良い描写がされているじゃないかと。外科医だったりコンピュータープログラマーだったり、これだけ良い扱いをされているのに何が不満なんだと。

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
ええ、確かにアジア人に対し良いステレオタイプを持った描写がされているように思えるかもしれませんね。でも実際はそのどれもがNerd、特定分野への知識が豊富だったり才能があったり、と同時に運動ができず内向的で恋愛が下手、そういったキャラクターばかり演じさせられている、そう思いませんか?

アジア人は常にNerdである必要があり、何かに秀でた存在である必要があり、そういった枠でしか活躍の場を得られない。それに映画やドラマのプロットでアジア人男性がロマンチックな展開を演じている場面を我々はまったく目にする事がありません。そうですよね? 稀に白人男性がアジア人女性と恋愛をするものが出てきたりしますがそれが限界です。

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マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
なるほど、その事に関しては全く考えた事がありませんでした。つまりアジア人男性が演じるキャラクターが恋愛の対象として描写されることはほとんどないというわけですね。

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
もちろんゼロというわけではありません。アジア人男性が実際に劇中でロマンチックな出会いをする作品、その最近の例では人気コメディアンのアジズ・アンサリが主演したマイノリティ達の日常系ドラマ「マスター・オブ・ゼロ」というNetflixの作品があります。ですがそういった作品が出てきたのは最近の事です。しかもこの作品は主演したアジア人男性自身が制作・脚本・監督した作品でもあります。

そのドラマでは主人公の男性がニューヨークで女性とデートをしたりその事について語るシーンが多く出てきます。それはこれといって新しいものではありません、ですがアジア系アメリカ人からの視点で語られる物語はそれまでほぼ存在しませんでした。この作品が人気になったのには今までとは違う語り口であり、それが新鮮で画期的と受け止められたからです。

人々が非常に慣れ親しんでいるものを、少し異なる視点から見せただけなのですが。

ホワイトウォッシングの正当化

PBS Idea Channelより引用 マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
ゴースト・イン・ザ・シェル』 ではホワイトウォッシングであると批判する人々に対する反論として「オリジナルのアニメの監督や多くの日本人は気にしていないじゃないか」というものがよく言われていました。要は主人公の"少佐"役をスカーレット・ヨハンソンが演じる事にお墨付きがもらえているぞという主張です。それについてはどうお考えですか?

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
スカーレット・ヨハンソンが演じると決まった後も、映画が公開されてからも、 誰かが日本の人たちに「スカーレット・ヨハンソンがその役を演じることを問題視しますか?」とインタビューをするYoutubeの動画が投稿されましたね。そしてほとんどの日本人が気にしていなかった。

でもそれは当然の事です、なぜなら映画の中にアジア人がきちんと出演できているかといった問題は日本の映画界には存在しないからです。

ホワイト・ウォッシングは多くの点でアメリカに特有のことであると私は考えています。(アジア系アメリカ人が一定数いるにもかかわらず)アジア系アメリカ人が大手メディアに出演できていない、出演できてもその数は僅かであるということが問題なのです。

先ほど述べたYoutubeの動画のような、アジアの国の人たちを使い「ホワイトウォッシングと批判されているが"本物のアジア人"は祝福してくれている」などという主張を通そうとする行為は、ホワイトウォッシングという問題の本質から目を逸らさせる狡猾で非常に不誠実な行為です。

なぜホワイトウォッシングに問題意識を持たなければならないのか

PBS Idea Channelより引用 マイク・ルゲッタ(Mike Rugnetta)
では最後に皆さんが気になっているだろう質問をしたいと思います。

誰がそんなことを気にするのか? 架空の物語の架空のキャラクターについて気にしてどうする? 批判する人は少し落ち着いた方がいい、これは偽者だ、本物じゃない。フィクションなんだから好きにしていいじゃないか。」

どうでしょう、そう考える人も少なくないと思います。 今回お話した事、ホワイトウォッシングや"アジア人の抹消"、エンターテイメントでのアジア人の扱われ方、そういったものが現実世界にどう影響してくるのでしょう?

ケビン・グエン(Kevin Nguyen)
いつかはそういったことがほとんど気にならなくなる日が来ると私も思っています。本当は『ゴースト・イン・ザ・シェル』の問題も気にしたくはありません。ですがそれはとても大切な事なのです、それほどにメディアでの露出というのは重要なのです。

人々が有色人種がメディアにおいてきちんと露出されることを望むのであれば、 小規模なインディー映画だけでなく多額の製作費をかけ大規模な宣伝を行う大作映画においても彼らの姿が映らなければなりません。ホワイトウォッシングが続くようであればやはり声を上げ続けるべきなのだと思います。

"誰がそんなことを気にするのか?" そう考えホワイトウォッシングへの批判を拒絶するということは経験を拒絶するということでもあります。それはとても大きな問題です。

アジア系アメリカ人はメディアできちんと露出されることを望んでいます。それは彼らの存在が人々の目に映り、耳に聞こえ、自分達もこの国にいるのだと認識される、そういった経験をする事を望んでいるのです。

またこの国に限らず世界中で人種に関する問題が起きていますが、そんな中で多くの人々がその解決策として、全ての人々がColor Blind(カラーブラインド:色覚異常の意味だが皮膚の色で人種差別をしないという使われ方をする)になることに希望を見出しています。ですが人々にその存在を認識されなければそれは叶わないのです。

そのためにも常に有色人種が蔑ろにされるその問題の事を考え、気を配り、意識する事が大切なのだと思います。

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