ハフィントンポスト(カナダ版)より

娘のために日本をテーマにした誕生日を開いた母親、その様子をネットに上げた結果レイシストと呼ばれる

Mom Called Racist For Throwing Daughter A Japanese-Themed Birthday 2017/08/02

外国人が日本の伝統衣装を着ただけでレイシストと批判される外国人が日本の伝統衣装を着ただけでレイシストと批判される外国人が日本の伝統衣装を着ただけでレイシストと批判される外国人が日本の伝統衣装を着ただけでレイシストと批判される外国人が日本の伝統衣装を着ただけでレイシストと批判される外国人が日本の伝統衣装を着ただけでレイシストと批判される外国人が日本の伝統衣装を着ただけでレイシストと批判される thegalagalsより引用 その文化圏に縁のない人物が その文化に関するものを利用する行為を指す『"Cultural Appropriation":文化の盗用』、これは長年の間非常にデリケートな問題として扱われてきた。だが最近は特にこの"文化の盗用"に関する話題が加熱している、白人モデルが日本の芸者の格好で撮影したVOGUEの事件など多くのメディアが物議をかもすことをしてきたからだ。 (関連記事:白人モデルが日本の芸者の格好で撮影、人種差別と批判されて謝罪する事態に!?(海外の反応)

そのため5年も前にユタ州に住む母親が娘のために日本をテーマにした誕生日を開きその様子をネットに上げたものが、今になってまた騒ぎを起こし始めた。

ブログサービスTumblrのユーザーであるginzersはこの母親を『人種差別主義者』と呼び、彼女の娘に悪い手本を見せたと批判し、「子供たちにこれは間違っていると教えろ」と書き込んだ。

この娘の母親であるハイディは2012年11月に彼女のブログ "The Gala Gals"で娘の誕生日の写真を共有した。それ以来Tumblrにはその写真が何度も再登場した。その写真には日本をテーマにした装飾品、桜の装飾物や伝統的なお茶のカップや箸等の他に日本の伝統的な衣服である着物を着て芸者のメイクをしたハイディの娘と彼女の友人たちが写っていた

そしてこの写真はTumblrのユーザーであるginzersの神経を逆撫でた、そこに写った子供たちが皆白人であり、彼女らとは縁のない日本の文化を彼女らが"借りている"ことが原因で。

ginzersがハイディを『人種差別主義者』だと書き込むと他のユーザーが「子供たちが日本の伝統的な衣装を纏ったこの写真に私は問題を感じない」と書き込んだ。するとすぐさまginzersはこう反論する。

「このメイクは明らかに伝統的な芸者のメイクを反映したもの、つまりはyellow face(白人が黄色人種風のメイクをすること)だ、だからこれは人種差別主義だ。さらに女の子は、長い時を経て受け継がれてきた文化的に意義のある衣服を身に纏っている。

彼女は白人だろう、ならどうしてこれが問題ないといえる? これはまさに"文化の盗用"といえるものじゃないか? 君らは洞窟にでも住んでいいるのか? 君たちはcultural appropriation(他の文化を勝手に使うこと)とcultural appreciation(他の文化を認め、ありがたみを持つこと)との違いを理解すべきだ。」
だがそこに日本人のTumblrユーザーcheshireinthemiddleがこの問題にこう反論した。

「私は日本人だ。文化は共有されるべきものではないと考える者こそが人種差別主義者だ。日本人の大部分は日本の文化を広める努力をする人を、日本の文化を楽しんでくれている人を見て喜び、それを奨励している。

日本の観光地では多くの業者が外国人に着物を着させたりその姿を写真に撮るビジネスをしている。日本で外国人が購入する一般的なお土産は着物やお茶のセット、箸などまさにこの写真に写っているものだ。」

またcheshireinthemiddleは日本が昔から中国やヨーロッパなど他の文化の影響を強く受けてきたことを言及し

 「日本が他国の文化を受け入れず自国のものに固執していれば天ぷらも日本のチャ文化も歌舞伎も日本のパンもカレーもアニメも車存在し得なかった。」と述べ

「この写真に写っている女の子達はyellow face(白人が黄色人種風のメイクをすること)をしているわけでもアジア人をからかっているわけでもない、むしろ彼女らなりに細心の注意を払い研究した様子が垣間見れる。あなたがこの写真に問題があると考える唯一の理由はそこに写っている小さな女の子が白人だからだ。あなたこそがレイシストだ。」とユーザーは結論づけた。

日本を学ぶ事が許される人とそうではない人、その線引きはどこにあるのか?

このユーザーの意見は至極真っ当だ。だがこのユーザーが日本人を代表しているわけでもなく、またその文化の当事者がそれを受け入れたとしても必ずしもそれが正しいというわけではないと付け加えておくべきだろう。そこには内在化されたレイシズム、階級や経済、社会的条件付けなどの複雑な要因が絡んでくる。

事の発端となったTumblrユーザーginzersはそれ以降反論しなかったが、他の日本のTumblrユーザーはcheshireinthemiddle同様にappreciation(認め、ありがたみを持つこと)であると写真を撮った母親を擁護した。

「この誕生日パーティーは他の文化を賞賛し体験しようと試みられたものだ。母親は日本に詳しい人ではないだろう、だが明らかに彼女のベストを尽くしたと分かる。全てが完璧ではないがその多くが正しい。特にお茶、桜、そしてポッキー、これらよりも日本人が好きなものはそうはない。」

確かにこの写真の子らのように日本の文化を学ぼうとしている(様に見える)ケースは確かに問題がないかもしれない、だがもしそれを「エキゾチックな」アクセサリーとして使いそれから利益を得ようとしているとしたらどうだろうか?
2017年初めに発売されたファッション誌VOGUE(アメリカ版)ではモデルのカーリー・クロスが芸者風の衣装を着た写真が掲載された。撮影は日本で行われたが日本の文化を褒めたたえるその特集は日本のモデルを使わず白人のモデルを使用したのだ。 (関連記事:白人モデルが日本の芸者の格好で撮影、人種差別と批判されて謝罪する事態に!?(海外の反応)

これはつまりVOGUEにとって日本の服を着た白人モデルは「クール」であり、アジア人モデルの場合はそうではないということを意味している。

ここから理解できることは、アジアの文化、この場合は日本文化の美しさは、白人を通してのみ浮き上がるという主張です」とカナダのトークショーTV番組『The Social』のホストであるElaine Luiは述べている。

VOGUEはまた日本の慣習や伝統に焦点を当てることなく、単に好きな要素を日本文化から"借りて"魅力的な写真を撮ることだけに注力した。その結果として多くの人々が、元々は多様性の問題を提起する目的だった雑誌の特集が、実際には彼らが説いたことを実践しなかったことにがくぜんとしたのだ。

人種差別主義者と呼ばれることを恐れる親達

"文化の盗用"は常に大きな論争を呼ぶ。 その結果、親たちは自分の子供たちのための誕生日パーティーやハロウィーンの衣装が"攻撃的"であるかどうかについてソーシャルメディアにアドバイスを求めることが良く見受けられるようになった。

例えば先月、1人の母親はクローズドのFacebookグループで、2017年のディズニーのアニメーション映画『モアナと伝説の海』をテーマにした誕生日パーティーを開こうと思っているがその写真をソーシャルメディア上で共有しても問題がないかを尋ねた、彼女とその家族が皆"白人"であり"ブロンドの髪"をしていることが問題にならないかを

「cultural celebration(他文化の祝いの儀)はcultural appropriation(他の文化を勝手に使うこと)とは違う」と一人がコメントする。その意見に反対する者もいた。だが一人の、有色人種であるという一人のユーザーは他文化をテーマにした誕生日は問題ないだろうという。ただ『モアナと伝説の海』の登場人物たちのような"茶色の顔"になろうとするのは止めておくべきだと述べた。

「ハロウィンの間にフリーダ・カーロ(メキシコの画家)のような仮装をした小さな白人の女の子をたくさん見てきた。でもそれは私を怒らせることはまったくなかった。私はただ彼女がどのような人物であるかを、ただ1本につながっている眉毛と可愛らしい花飾りをした人という記号的な認識以上のものを持って欲しいと願ってる。」

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どこからが他の文化に対し"攻撃的"なのかといった意見は誰もが持つ権利を有する。だがcultural appropriation(他の文化を勝手に使うこと)とcultural appreciation(他の文化を認め、ありがたみを持つこと)との違いを認識しておく事は重要だ。ファッションと文化の専門家、メラ・ソランキ・エストラダ(Meera Solanki Estrada)によると、その違いは"敬意"だという。

"cultural appropriation:文化の盗用"とは「その文化圏に縁のない人物が その文化に関するものを利用する行為を否定的な現象とみなす社会学的概念」と定義される。そのため文化的な要素を借りた際にどの様に使用するか、どの様に見られるかについて気を配る必要があるとエストラダは語る。

「もしあなたが対象の文化に敬意を持っているならば、その文化を盗用することが実質的に難しくなるだろう。敬意を持っていれば自分の行動がその文化を持つ人々を不快にしたり失礼だと思わせる前に何が問題かを気づく事ができるはずだ。」

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