日本で生まれ育った黒人のハーフの経験 パート3

Growing Up Half Black in Japan Pt. 3| Meet a Halfie ft. Joe | Life in Yokosuka | HAPA HOUR by Max D. Capo - 2017/01/06
日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る。その1 の続き。
日本関連の話題やハーフの人の経験談を扱うYoutubeチャンネルMax D. Capoより。この記事はJoe Oliverさんとのインタビューのパート3です。パート2は主に地元の不良と交渉し自分に手を出さない約束をさせたこと、アメリカに住む父親と再開したことについて話しています。パート3はどの様なイジメにあったかを具体的に語っていますのでそちらを優先しました。パート2は次回です。動画には字幕はありませんが所々日本語で会話しています。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max 皆さんこんにちわ、今回もまた友人のJoe Oliverにお話を聞きたいと思います。前回お届けしたビデオを気に入っていただけたようで嬉しいです、きっとJoeがいい男であり、またその話もいい話だったからでしょう。

結構コメントがいっぱい入ってきたね。

Joe(黒人ハーフ) そうだね、色んなコメントがあったけどポジティブなものばかりだった。このビデオがなかったら自分の気持ちをここまで皆とシェアすることなかった。それは私にとって初めての事だしとても素晴らしい機会だった。全ての人に感謝するよ。

Max ついさっきもJoeと話していたんだけど、本当に反響が大きくて彼は東京で道を歩いている間たくさんの人にビデオを見たと声をかけられたそうだ。このYutubeチャンネルを運営している私よりも彼の方が認知されているみたいだ。

Joe(黒人ハーフ) そうなの?

Max 私はあまり声をかけられないよ、まぁ私が人通りの多いところにあまり行かない事もあるかもしれないけどね。それとたくさんの人から問い合わせだったり連絡だったりが来たそうだね、中にはデートに誘うものもあったみたいだけど彼はもう相手がいるから誘惑しちゃ駄目だよ。

Joe(黒人ハーフ) HAHAHA。

Joeは子供時代どの様な差別から来るイジメを耐え抜いてきたのか

日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max 今回はJoeの子供時代、小学校や高校の頃の話をもうちょっと詳しく聞かせてもらおうと思います。彼の彼女と話しをした時、彼がもっと踏み込んだ話をしたかったと言っていたとのことなので。

前回のビデオで彼が7歳くらいの頃から子供だけでなく大人からもいじめられていたという話を聞いたけど具体的にどのような事をされたのか、どの様に切り抜けたのかについてはまだ聞いてなかったね。

Joe(黒人ハーフ) うん、そうだね。え~っと...

Max どこから始めようか? 初めて受けたいじめについてとか?

Joe(黒人ハーフ) 本当にたくさんありすぎてどれから話せばいいかわからないけど...
例えばたくさんの大人が道端で私に小便をかけたりしてきた。

Max それは... 文字通り君の身体に?


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Joe(黒人ハーフ) そう。こう、私を羽交い絞めにして...

Max Oh、つまり2人に!?

Joe(黒人ハーフ) いやそれ以上だ。何人もの人が私を囲んで私に小便をかけるんだ。それも一度だけじゃなかった、何度もされたよ。

Max もちろん君のお母さんにも言ったんだよね?

Joe(黒人ハーフ) そうだね。母は... とにかく諦めちゃ、心くじけちゃ駄目だって言っていたよ。それとそういったことをする人を見かけたらとにかく逃げなさいってね。実際私たちにできることは逃げる事だけだったよ。

Max 警察に相談はしたかい?

Joe(黒人ハーフ) 彼らは私たちを構ってくれなかった、日本の警察はまったく私たちを助けてくれなかったんだ。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max とても聞きづらいことだけど、君の事を襲った人たちは君だけじゃなく、君のお母さんも攻撃してきたそうだね。君たちが一緒に行動している時に。

Joe(黒人ハーフ) そう、彼らは私たちをレイプしようとしたんだ。私たちは道を歩いていたんだ、普通の住宅街の道をね。そしたら突然10人近くの人に囲まれた。

Max その囲んできた連中は君や君のお母さんの事を知っている...

Joe(黒人ハーフ) そうだね。

Max そして偶然じゃなく計画的にそうしてきたと。

Joe(黒人ハーフ) そうだと思う。

Max それはいくつの時?

Joe(黒人ハーフ) 7歳だった、小学校1年生の頃だね。彼らは私を殴ったり蹴ったりしてきた。そして母を羽交い絞めにして私ともども傷つけようと、レイプしようとしてきたんだ。でもその時幸運にも米軍基地の軍人達が偶然その場を通りがかって助けてくれた。実は何回も軍人の人達に助けられたんだ。レイプはされなかったけどそんな風にお母さんと一緒に襲われたのはその時くらいのものだったけど、自分ひとりの時は大人にたくさんいじめられたよ。

Max 軍人さんに何度も助けられたんだね。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Joe(黒人ハーフ) すごく助けてもらった。もう警察は全然助けてくれないんだ。警察にいったんだけど、いったことがあるんだよお母さんも、でも「冗談だろ?」みたいな対応だったんだ。まぁそれは私が大きくなってからお母さんに聞いたんだけど。警察に何て言ったの?って聞いたら

アメリカ人の子供がいるからそういう目に遭うんだ」とか

Max えっ、警察にそう言われたの?

Joe(黒人ハーフ) もちろん、もちろん。

Max 何? 自分達のせいでしょみたいな?

Joe(黒人ハーフ) そうそうそう。

他にも街に住んでいるPervert(変質者、変態)たちが母にヤラせろとか、Fuckさせろとか言ってきたりした。私にもそれを言ってきた、「おまえのかーちゃんとヤラせろ」とか、「犯すぞ」とか毎日のように言われたんだ。

Max ちょっと信じられない話だ。そんなに昔じゃないよね。

Joe(黒人ハーフ) 7歳だったから1989年くらいだね。

Max そのアメリカ人の軍人が助けてくれた時は毎回どんな対応をしてくれたの? 君をいじめた人達に対し、こう、罵声を浴びせたり殴ったりしたのかな?

Joe(黒人ハーフ) 両方だね。

Max 君をいじめた人は毎回同じ人だった?

Joe(黒人ハーフ) 同じ人たちもいたけど... もういろんな人達が来たんだ。1回だけの人達もいたし、何回も来た人もいた。

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Joe(黒人ハーフ) それと7歳の頃はベビーシッターが家に来ていたんだけど...
そのベビーシッターもすぐに私を殴るんだ。

Max 君を?

Joe(黒人ハーフ) そう。

Max そりゃお母さんにもちろん言ったんだよね?

Joe(黒人ハーフ) 言ったんだけど、母は私を育てるために必死に働かなければならなかったからね。どうしてもそのベビーシッターに頼らざるを得なかったんだ。その人は1年間うちに通ったんだけど、私はもう耐えられなくなってね、もう一人でいいからって母に言ったんだ。小学校2年生からは一人で家にいたね。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max アメリカ人の軍人の話がさっき出たけどそれはその横須賀という街に米軍基地があるからだよね。君の家から米軍基地はどのくらいの距離にあったの?

Joe(黒人ハーフ) そうだね... かなり近い所に住んでいたよ、歩いて15分くらいかな?

Max かなり近いね。君はその米軍基地にも足を運んでいたんだよね、君のお父さんはそこで働いていたから許可証をもらっていた。横須賀に住む人全てが悪い人ではないけどそこは君や君のお母さんにとっては辛い土地だった、でもその一方で米軍基地ではアメリカ人だらけだし君を差別する事はなかった、ほんの15分の距離で全く違う、君は子供時代にそんな対照的な世界を目の当たりにしたんだね。

Joe(黒人ハーフ) 本当に、全てが違っていたよ。基地内では食べ物も美味しくて安いし、バスケのコートやサッカー場もあった。ヨットハーバーも、タコベル、ダンキンドーナッツ、マクドナルドもあったね。もちろんマクドナルドは私たちの住む街側にもあったけどね。

道とかも基地内の方が綺麗で清潔だった。...なんかもう... 全然違ったね。皆すごくやさしいし。

Max 基地を訪れることができたけど夜には家に帰らなければならなかったんだよね。

Joe(黒人ハーフ) そうだね、居続ける事はできなかった。学校には行きたくなかったよ。あそこは本当に、本当に辛い場所だったんだ。

日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る


Max 中学校では空手を習い始めたんだってね。

Joe(黒人ハーフ) 強くならなきゃいけなかったからね。

Max それはどんなタイプの空手だった?

Joe(黒人ハーフ) 沖縄の、普通の空手よりも中国のカンフーに近いスタイルだったよ。極真空手とも違う。

Max 今でもできる?

Joe(黒人ハーフ) 今でも空手で習った事を使って戦う事はできるけど"型"は苦手だったからそっちはできないね。

Max 君にとっては型よりも優先すべき事があっただろうしね。

Joe(黒人ハーフ) ふふっ、そうだね。こっちも必死だったから。

Joeの高校時代

日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max 高校のことも詳しく聞かせてもらえるかな。たぶん大勢の人が気になっていると思うんだ、お母さんを亡くしてからどうやってそれを乗り切って過ごしてきたか、住む場所はどうしたのかとかをね。

Joe(黒人ハーフ) ああ、もちろんいいよ。母が亡くなった時、私の親友の一人が、彼は私と同じ幼稚園、中学校、高校に通っていたんだけど彼のお母さんが私に朝食やお昼のお弁当を作ってくれてね。私にはほとんど何もなかった、お金も食べ物も。彼の両親にはとても助けられたよ。

Max 彼らと一緒に暮らしたの?

Joe(黒人ハーフ) そうじゃないよ、私は自分だけの力で生きなければならなかった。

Max 住む場所も、アパートも自分で探さなきゃいけなかったんだろうね。当時は17歳だったっけ?

Joe(黒人ハーフ) そうだね。

Max きっと大変だったろうね。君は成人していなかったのはもちろん、君はアメリカ合衆国の市民権しか持っていなかった。日本の人々は外国人に部屋を貸したがらないから。

Joe(黒人ハーフ) とても大変だ。私は今でも苦労しているよ。

Max 2017年になっても未だに外国人に部屋を貸したがらない大家が多いからね。

Joe(黒人ハーフ) 私みたいに日本で生まれ、日本で育っていてもね。

Max ね。君は完全に日本人なのにね。違うことといったら名前がJoeということくらいだ。

Joe(黒人ハーフ) まぁ私が日本国籍を持っていないのも影響しているけどね。 Max たくさんの人が君を支えてくれたんだよね、そのことについても触れようか。君がモデルとしてのキャリアを始めた時に、インターナショナルな人々が集まるレストランでも働き始めたんだよね。

Joe(黒人ハーフ) 青山のラスチカスだね。外国人だけじゃなくLGBTの人やバックパッカーなんかも集まるレストランだ。 (LAS CHICAS HOUSE:青山・表参道の裏に1986年からある多国籍カフェ、バー) モデルの仕事やそのレストランでの仕事で様々な人種的背景を持った人々と出会った、ブラジルから来た日本人とブラジル人のハーフやフランス、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカなどから来た人たちとね。

そこで働いている間に日本人とアメリカ人のハーフである私の出自について、父親について聞かれたんだけど父親と全く連絡を取っていなかったからどこにいるのかもわからない、とりあえずニューヨークにいるんだとお茶を濁していた。

クリスマスの時期になると皆休暇はどうするんだと聞いてくる。皆その時期になると国に帰るんだ。でも私はアメリカに帰ることはできなかった、18歳のその時はまだ父と再会していなかったからね。ただそんな彼らを見ていて私も父親に会ってみたいなという気持ちが湧いてきた。まぁ実際に再開するのは30歳になってからなんだけど。

そのレストランやモデルでの仕事で様々な国の人たちの、色んなバックグラウンドの人たちの話を聞けてとても良かったと思う。自分のアイデンティティに疑問を持っていた時期だから尚更ね。

最後に

日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max 皆さんには申し訳ないけどそろそろおしまいにしなきゃならない。Joe、このビデオに協力してくれてありがとう。それと前回のビデオで皆さんからとてもポジティブなコメントが寄せられたことにとても感謝しています。中には「この男性の話は映画にすべきだ」と言ってくれる人までいたけど、Joeからそれに関するちょっとした発表があります。

Joe(黒人ハーフ) 私は自分の人生について本を書こうと決心しました。ただ誰に連絡を取ればいいのか分からないので編集者やジャーナリストの知り合いがいたら紹介してください。どうかお願いします。私の経験を世界中の人たちと共有したいと思っています、特に困難に陥っている人やシングルマザーの人やその家庭にいる人たちと。そんな人たちを元気づけることができればと思っています、心を強く持って欲しいんです。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max うん、以上です。もう辺りももう暗くなってきたしね。ちなみに今回このビデオを撮影したスタジオはなんていうか、テレビのニュース番組のセットみたいでちょっとナーバスな気持ちになっていました。

Joe(黒人ハーフ) ふふっ、そうかもね。

Max 表情がこわばっていると思った人がいるかもしれないけどそれはこのスタジオのせいなので気にしないでね。皆さんの協力によってJoeのお話がより多くの人に届けばいいなと思っています。皆さん、ご視聴ありがとうございました。

Joe(黒人ハーフ) Bye Bye!

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