日本の子供から自分のお尻を守る方法教えます

How to: Protect your ass in a Japanese classroom by Eva Sandoval - October 31, 2011 - matadornetwork.com
外国人の日本体験記 matadornetwork.comより引用

"エバ・サンドバールによる日本の子供からの困った贈り物に対応するコツ"

私が11歳、フロリダの小学校の5年生だった頃の話をしよう。ある日の事、私たちのクラスは社会科見学のためにフロリダ州の都市タラハシーへバスで向かっていた。私の隣の席には誰もいなかったので手を広げてくつろいでいると、当時の担任の先生、年中怒ってばかりいるミセスNが怖い顔をしながら私の方に向かってバスの通路を歩いてきた。

すると急にバスが揺れてミセスNがつまづき、私の隣の空いた席に落ちてきた。そう、私の右手の上に... 彼女の暖かく脂肪の多い太ったお尻の感触がを私の指に伝わる。強い不快感と共に嫌な汗が出てくる。そしてようやく、罠に脚を捕まえられたオオカミがそれから抜け出すように、私は自分の手を彼女のお尻から解放した。こちらを向いたミセスNの目には軽蔑の念がこもっていた。彼女は立ち上がり、別の座席に座った。私は彼女の方を見ることができなかった。

そして今も私はあの残虐行為の瞬間を忘れられないでいる、私の無実の手に残った彼女の年老いたお尻の感触と共に。

そんな経験があったがゆえに、十五年後に私が英語を教えるために日本へ行く準備をしている最中に、友人に読んでおくべきと薦められた「外人誌(The Gaijin Chronicles)」というブログで「カンチョー」という行為が日本には存在するという情報を知り私は驚愕した。

私はこれを説明することをためらう。誰も私の言う事を信じてくれないかもしれないが、これから日本で教師になろうとしている人々のためにも説明しよう。

「カンチョー」という行為は日本の学童の間で一般的な悪戯だ。加害者Aが彼または彼女の人差し指を突き出した状態で両手をしっかり握り、その指差し指を無防備な被害者Bの肛門に刺す行為だ。そして被害者Bは必ずしも学童であるとは限らない、時には外国から来た英語教師だったりするのだ。
分かって欲しい、私は異なる人種の移民同士の親から生まれ、これまでに4カ国に住んできた。私は全ての文化は優劣で比べるものではなく対等であるという文化相対主義を信奉している。

だがしかし、私は何が日本の子供たちをあのような行為に駆り立てるのか全く理解できない。教師のお尻に触れ、指を貫通させようとする意味が分からない。

教師の座席に画鋲を置いたり、教師の飲みかけのコーヒーに目薬を入れたりといった悪戯は聞いたことがある。だが教師の尻に指を刺す? 私が子供の頃は教師に尻があるなどということすら知りたくなかったのに。

そんな馬鹿なことがあるわけがない、私は日本での教師生活に向けて自分のアパートで荷造りをしている間、「カンチョー」などというものが現実に存在するわけがないと自分に言い聞かせていた。

私は真剣に、日本の学校での最初の授業の日に大阪の環状線電車に乗っている間中ずっと自分自身に言い続けた、子供が教師の尻に近づきたいと思うはずがないと。

悲しいかな、それは本当だった。

カンチョーという行為に性的な意味はない。カンチョーの主な要素は驚きと恐怖だ。これはただの子供じみた遊びだ。そして日本の都市で英語を教えようとする者はそれに苦悶することになると思っておいた方がいい。子供たちに注意するだけでは不十分だ、その程度では止めようとはしてくれない。自分の尻目掛けて襲ってくる指をかわす必要がある。

人は言う、子供たちにカンチョーの標的にされるということは彼らに受け入れられたことの証なのだと。なるほど、それは素敵な事だ。だが私はそれよりもお菓子をもらうとかの方がいい。

ではいよいよ、前置きが長くなったがこれから君たちに、受け入れられたことの証としてもらうなら普通のものがいいと思っている君たちに教えよう、いかに日本の子供から自分のお尻を守るかを。

子供を後ろに立たせるな!

下半身を安全な状態に保つためのルールその1は潜在的な侵入者すべてを阻止することだ。(淑女の諸君の中には母親から『結婚するまで純潔でいるための101の方法』の1つとしてこのテクニックを教えられたことを覚えているかもしれないが)これを行うための最も簡単な方法は、常に相手に対し正面を向くことだ。

優秀な英語教師は黒板を背に書いたり動いたりする方法を学ぶ。正面を向きながら腕を横に降るように突き出し文字を書く、そしてカメのように黒板を背に横切って移動するのだ。

優秀な英語教師はあらゆるものを自分の目の前に置く、そうすることで背を見せる必要が1秒とてなくなるのだ。

野獣を誘惑するな!

日本で教師をしていると日本の子供たちと一緒に遊びたくなることもあるだろう。なんだかんだ言っても、彼らはおかしくかわいい存在なのだから。

だが暴力を誘うようなことには注意すべきだ。私はかつて私の5歳の生徒に学内のハロウィンのイベントでどのような衣装を着るのか尋ねた結果、カンチョー攻撃を誘発してしまったことがある。

小生意気な女の子ミホは私の質問にディズニーのアニメ映画「美女と野獣」の主人公「ベル」になる予定だと答えた。可愛くも困った子である彼女にいつも授業中邪魔をされていたので私はつい意地悪をしたくなってしまいこう言った。「ごめんねミホ、でもベルの衣装はもう私が自分用に用意してしまったの」

「先生は野獣をやって!」彼女は怒りに満ちた金切り声で叫び私の股間目掛けて指を突き刺してきた。私は正面を向いていたので彼女の指は後門に達する事はなかったが、代わりに下着がグイッと引っ張られる事となってしまった。

大人が子供をからかうことはあまり賢明ではない。

日本語の語彙を学べ!

日本の子どもたちは悪巧みをする際単独ではなく対になって行う傾向がある。そして彼らは外国人は自分達の会話が理解できないだろうと思っているので、目の前で悪巧みの打ち合わせをすることがよくある。

仮に日本に住んでいる間に日本語を学ぶことを考えていないとしたら、せめて自衛のために最低限の「先生」や「カンチョー」等の日本語の言葉を学んでおこう。

実際日本語レベルが高い私の仲間の教師は生徒達の会話に耳を傾ける事で攻撃を阻止していると言っていた。「ショーン先生にカンチョーしてやろうぜ」といった声を聞き逃さない事が重要だ。

時にはもっと不穏な会話も聞こえてくる。同僚のボブ先生が休日の工作プロジェクトを監督していた時の事だ。「今ここにハサミが二本あるだろ? 俺これからコイツでボブ先生にカンチョーする!」

英語教師が日本語を学ぶ動機としてこれ以上のものはないと思う。

カンチョーが来る事を感覚で知れるよう鍛えろ!

日本で英語教師として過ごしていけば自然と子供達の事をよく知るようになる。そしてうまくいけばカンチョーの兆候を察知できるようになるだろう。

子供たちの目が悪戯心に満ちた怪しげなものに変わったことに、少し浮いた小さな両手が近づき、指がより合わさろうとすることに気づくことができるのだ。

また自分に向かって小声で話し悪巧みをしていそうな表情を見せる子供が複数いたら、それは子供たちがあなたの靴下に空いた穴をからかっているか、もしくはカンチョー攻撃が差し迫っていることを示しているかもしれない。

高度に進化した優秀な英語教師は彼らの背後にある空気が持つ緊張感を察することができるだろう、そこには凄まじいエネルギーが終結しているのだ。引き返そう。

努力の甲斐なくカンチョーの攻撃の犠牲者になってしまったら?

時には最善の努力にもかかわらずカンチョーされることもある。

机の後ろに物を落としてしまいとっさにそれを拾うために屈む → KANCHO。
生徒がお菓子をプレゼントしてくれて思わずガードが下がる → KANCHO。

時には良い人間でいようとした事が仇となることもある。子供たちにうっかり背を向けてしまうことも...これは間違いなく自分のせいだが。

指による暴行に対する日本の態度は西側のものとは異なっている。そのためカンチョーをした子供が耳を引っ張られながら校長室に連れて行かれるなどということは起こらない。なぜならカンチョーとは日本ではただの悪戯だからだ。

また私には事ある毎に私の尻を叩く生徒がいたのだが、ある日その子は彼女の母親の前でこれをした。ところが彼女の母親は笑って見過ごすだけで、娘の行動を見て「かわいい」と言った。それはあまりにも私の育った環境とは違った対応だった。子供を叩いて叱るなどということはしないが笑って増長させるなどもっとありえない。

ではどうすればいいのか? 以下が私の場合有効だった対処方法だ。

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それは2009年の3月のことだった。その運命の日、私は8歳の子供たちを教えていた。老婆のような声をした快活な少女ジュホは授業中ずっとカンチョーをする機会をうかがっていた様子だったが私は授業に集中していた。

そして私は何も考えずにボキャブラリー学習のゲーム中にクッションの後ろに詰まってしまったゴムボールを拾うために背中を曲げた。

すると突然私の右の尻に奇妙な感覚が走る。その無視してしまいがちな、優しいがまるで何かを探し当てようとしているようなその感触が気にはなったが、私はゴムボールを取り出すことに夢中になっていた。そして急に来た。ブルズアイ。 ああ、ブルズアイ。

時が止まる。彼女の幼い両手はまだ私の罪のない肛門の側にある。クスクスと笑い声が周りから聞こえてくる。尻に残った強い不快感と共に嫌な汗が出てくる。もしここで叫べば彼女の勝ちになってしまう。だが無視すれば彼女は残虐行為を繰り返すだろう。他の人からの助けは期待できない。自分で何とかしなければ。

私は振り向き、できるだけ落ち着きながらゆっくりと生徒達の間をホワイトボードに向かって歩き、ペンを取りジュホの名前をボードに書き込んだ。注意の意を込めて。

それから私は授業を再開した。ジュホと他の生徒は残りの時間ずっと不安そうな目で私を見ながら行儀良くしていた。ジュホはその授業の終わりに普段ならいつももらえる「よくできました!」のステッカーを手に入れることはなかった。私を驚かせた満足感も手にしてはいなかっただろう。 彼女は残虐行為を繰り返す気を無くしていたはずだ。教師が勝ったのだ。

当然のことながら、後に私が実家に帰った際にこの話を私の弟にしたとき、彼はこう聞いてきた「え~っと、つまり子供が姉ちゃんの尻に指を突き刺し、姉ちゃんはその子の名前をボードに書いた、それだけ?」

いや、まぁ、たぶんそういうことなんだが、効果はあったのだ。

海外の反応

matadornetwork.comのコメント欄より: ソース

Jo Nean とてもよく書かれた体験談だ。写真もいい、子供たちは皆純粋そうでかわいい。

Avatar 日本の子供はとても奇妙だ。

Anne_Merritt 面白かったよエバ、そしてこの日本の教室でのお尻突きの危険性については誰もが知っておくべきだろう。でも実際には日本だけじゃないんだよね。私も韓国で英語教師をしていたけどこのお尻突きに耐えてきたよ。人に伝えるには奇妙すぎる話だよな。

JR Riel 台湾で英語教師をしているけど同じ境遇にある人の話が聞けて嬉しい限りだよ。私の場合は口で注意するのではなくしかめっ面を見せるようにしている。やはり直接的なことよりも回りくどい方法での注意の方が子供たちはきいてくれるね。悪戯をする子供たちは教師が悲鳴を上げたり叫んだりするのを期待しているから。

Turner Wright とても良かった。でも日本でこんな行為が行われているなんて言っても誰も信じてくれないんだろうな。

Elizabeth Estrada 全く聞いたことがなかっただけにとても興味深い話だった。なにより面白かったよ。

Simon この話は事実だ。この体験談を読んで私の記憶が、90年代に九州の学校で教壇に立っていた時に受けたカンチョーの感触が鮮やかに蘇ってきたよ...

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