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アメリカのマサチューセッツ州ボストンにおいて最大の部数を発行する日刊新聞『ボストン・グローブ』より
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今週の3月9日から韓国で2018平昌パラリンピックが始まる。パラリンピックはオリンピックとワールドカップの続く世界で3番目に規模の大きいスポーツイベントだ。そしてこの障害を持つ選ばれたアスリートたちによるスポーツイベントは世界中の多くの地域で急激に支持を増やしている。
2012年のロンドンオリンピックでは270万人以上の観客が集まり、閉会式ではリアーナやコールドプレイ、ジェイZなどの名だたるアーティストが公演し思わず小躍りしたくなるようなパフォーマンスを披露し8万席のオリンピック・スタジアムは満席だった。
2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは日本、英国、ドイツの何百人ものジャーナリストが集まり、陸上男子1500メートルT13(視覚障害のクラス)でアルジェリアのランナーであるアブデラティフ・バカ(Abdellatif Baka)がほんの少し前に行われたオリンピックの金メダリストよりも速いタイムで勝利し金メダルを獲得するのを目撃した。
そして今回の平昌パラリンピックでも世界中の放送局が今後数週間にわたって網羅的な報道/放送を行う予定となっている。しかし世界中でパラリンピックに対する関心が高まろうとどんな活躍があろうとも、アメリカではパラリンピックは大して印象に残らない。
一応アメリカでも関心が "以前よりは" 高まるかもしれない、アメリカの三大ネットワークのひとつであるNBCは今回のパラリンピックの放送枠を前回の冬季パラリンピックからほぼ倍増しているからだ。しかしその放送のほとんどはセカンダリ・ステーション、NBCではなくNBCのスポーツ専用チャンネルである『NBCスポーツ』や『オリンピックチャンネル』などで放送され、視聴率は低いと予想される。
アメリカでは相変わらずパラリンピックの関連グッズが大量に売れるなどということは望めないし、パラリンピックが雑誌の表紙を大量に飾ることもなければ、ソーシャルメディアで大きく取り上げられることもないままだろう。
アメリカのパラリンピックに対する無関心ぶりは最早理解が難しい。スペクタクル - 視覚的に強い印象を与えるようなものは他の国の人々と同様にアメリカ人は大好きだ。それにアメリカは長い間、障害者の権利に関しては世界をリーダーだった、事実 障害を持つ人たちの法的保護について言えば、パラリンピックに関心が強い国々よりも数歩先を進んでいる。
だが実際は、法的に受け入れられることと文化的に受け入れられることは必ずしもシンクロしないのだ。
1990年7月に成立した『障害を持つアメリカ人法』 は民間企業の雇用における差別や公共的施設における差別、交通機関における差別など障害による差別を禁止するものだが、これは1964年の公民権法が人種、肌の色、信仰、性別、出身国による差別を違法と規定していたものの障害者に対する差別に関する規定がなかったため、 公民権法により保護されていた者と同様に差別からの保護を与えるものとして成立した。つまりはこの障害者の差別を禁止する法律は基本的にアメリカの長い "市民権の伝統" から生まれたのだ。
しかし障害を持つ人々の権利の保護を強化しても、無情にも障害を持つアスリートに対する関心/視聴率は高まらなかった。
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このズレは障害を研究するスポーツ歴史家や学者たちによればかなり根が深く、アメリカ文化の中核にある病的な執着、あるいは強迫観念が問題だという。
日本やヨーロッパよりも米国のメディアの状況は若者、性、金に執着していることを反映している。別の言い方をすれば、欠陥や汚点のないクリーンな若者、理想化され定型化されたセックスアピール、 臆面もない物質主義/資本主義だ。
パラリンピックはこの方程式には合わないのだ。パラリンピックをアメリカの生活の中心にある "セクシーで利益の多いエンターテイメント" に変えることは容易ではない。アメリカ人には冷酷な打算が働いているのだ、我々はそれにあまりにも慣れてしまったためそのことにほとんど気付けないでいる。
パラリンピックはそのことに注意を向けるとても良い機会だ、世界の他の地域では関心が高いこのイベントがなぜここアメリカでは低いのかを知るのに。
パラリンピックの物語は20世紀初頭、 ルートヴィヒ・グットマン という若い男から始まる。彼は医学に関心を持ち、母国ドイツの石炭採掘鉱山の病院で用務係としてボランティアをしていた。そこで彼は鉱山事故により麻痺状態になった患者が石膏で包まれ、他の患者から分離されている光景を見て衝撃を受ける。彼らのほとんどが尿管からの感染症と敗血症で5週間以内に死亡した。グットマンはその光景を記憶に刻み込んだという。
その後彼はユダヤ病院で医師となったが、ユダヤ人だった彼はナチスによる反ユダヤ主義が台頭したドイツを離れ1939年にイギリスに亡命した。その後、すでに有名な神経科医であったグットマンは英国当局から戦争で負傷した兵士のための病院、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターの所長になることを要請される。
彼はそれに同意した、下肢対麻痺の治療のための自身の理論の追求を許可してほしいという条件付きで。同病院での第二次世界大戦における戦闘で障害を持つことになった傷痍軍人たちの治療を通じて、グットマンはその身体的・精神的なリハビリテーションにスポーツが最適であると考えた。そして1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、入院患者である男性14人と女性2人を対象としたアーチェリー競技会が行われた。後にストーク・マンデビル競技大会と呼ばれるようになったそれこそがパラリンピックの起源とされている。
photo via londontown.com
だがそれから数十年間にわたってこの二つのイベントは別々の場所で、時には別々の大陸で開催された。今でこそ2つで1つのセットのスポーツイベントとなっているが、この障害のあるアスリートたちのイベントは注目され大量の金を生んだオリンピックと違い陰に隠れ続けていた。
そんな状況が変わったのが1988年だ、今回の冬季オリンピック/パラリンピックの地である韓国で再びオリンピックと同一地開催されるようになり正式名称も「パラリンピック」となった。このソウルオリンピックで2つの競技大会は永続的なパートナーシップを構築し、パラリンピックは単なる障害を持ったアスリートによる運動競技でなく、社会現象として成長することができたのだ。
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その後長年に渡って、障害を持ったアスリートたちは数々の並外れたパフォーマンスを見せ世界の注目を集めた。
南アフリカ共和国出身の両足義足のアスリートであるオスカー・ピストリウスはパラリンピックで多くのメダルを獲得したのちにオリンピックへ挑戦、2012のロンドンオリンピックで健常者と共に競い合い世界を驚かせた。
そして2年前のリオオリンピックではアメリカの盲目の短距離走者デイビット・ブラウンが100m視覚障害で世界で初めてとなる11秒の壁を破った。
だがそれらの象徴的な瞬間がもたらした影響はまだまだ小さいと、パラリンピックを研究するイギリスのコベントリー大学の研究員であるイアン・ブリテン(Ian Brittain)は指摘する。彼は障害者に対する人々の態度を変えるという使命をパラリンピックはまだ十分に果たしていないと考えている。
しかしパラリンピックがそれを実現するまれな機会でありをまたとないチャンスを提供している事も事実だ。
「パラリンピックに匹敵するものはありません。障害、平等、多様性の受け入れというより広い問題を議論するためのプラットフォームとして非常に重要で必要なイベントであることは確かです。」
「米国には5700万人もの人々が、そして世界中の何十億人もの人々が障害を抱えて生活をしています。」(※アメリカ合衆国国勢調査局が2012年に公開した報告書より。アメリカ人の5人に1人が精神的なものや認知症などを含んだ "広義の障害" を抱えているというもの。 ソース:アメリカ合衆国国勢調査局HP)
「パラリンピックはそのような障害を抱えている人々の生活に焦点を当てるまたとない機会を提供するとともに、ゲームの純粋な興奮を人々にもたらすプラットフォームでもあります。ですがアメリカはその機会を失っています。」
そして識者によればアメリカがパラリンピックを活かしきれていないのは、アメリカの民間部門の力が公共部門と比較して強すぎることが大きいと指摘する。
政府がスポーツに強く関与している国では障害者への便宜がより図られている。
また英国のBBCやノルウェーのノルウェー放送協会、日本の公共放送局として知られるNHKなど公的に所有されている、あるいは公的に支援されている放送局がある国では彼らの手によりパラリンピックが一般にかなり浸透している。パラリンピック選手がテレビに出る機会が多いということはより多くのファンを獲得する機会があるということでもある。
だがアメリカでは、PBSやNPRなどの公共放送があるものの商業放送業者が支配的な立場にある。そして問題は、オリンピックの歴史家であるデビッドクレイによれば、パラリンピックの競技は他のスポーツのように "収益を上げることができない" ということだ。
「アメリカのスポンサーが望むものは美しさ、身体的完全性、さらにはセックスアピールです。そして彼らは心身共にトップクラスの選手同士が必死に競い合う姿を見たいと思っています、なぜならそれこそがナショナリストの情熱を呼び起こすからです。」
アメリカのパラリンピックに対する関心の欠如は、そこで活躍するアスリートたちを長い間支持してきた人々の欲求不満の源でもあった。
国際パラリンピック委員会の会長であったフィリップ・クレイヴン氏は米NBCのぞんざいな報道を厳しく批判したことがある、2012年のパラリンピックではNBCは5時間30分程度しかそれをカバーしなかったのだ、ちなみにイギリスの公共テレビ局『チャンネル4』では150時間を超えていた。
「北米はいつも、すべてにおいて世界をリードしていると思っている人がいますがこの件に関しては全く逆です。」と彼はきつく指摘した。「いい加減他の国に追いつくべきです。」
また放送局やスポンサー、その他の利益追求者の姿勢だけがアメリカの視聴者からパラリンピックを遠ざける要因ではない。
英語と生命倫理学の教授で障害研究を専門とするジョージア州エモリー大学のローズマリー・ガーランド・トムソン教授は、アメリカ人はそもそもパラリンピックの中心にある障害を持った人々に強い不快感を覚えていると指摘する、つまりは身体の欠如や手足の欠如などだ。
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その不快感はもちろんアメリカの文化に固有のものではない。しかしガーランド・トムソン教授は、身体についてのアメリカの「潔癖さ」がそれが増幅させ深刻化していると言う。
「私たちアメリカ人は裸体に、身体的機能や特徴にある種極端に潔癖でお堅い」と彼女は言う。
米国ではセクシーな姿の男性や女性が写った、例えばカルバンクラインの広告などが溢れているかもしれないが、人々の多くが公園での授乳やサウナで他人のたるんだ体を見ることに強い不快感を覚える。
我々アメリカ人は、ガーランド・トムソン教授が呼ぶ「身体の現実」、あるいは「生身の真実」に不愉快を覚えるのだ。つまりは理想化され偶像化された「正常な身体」に対する凝り固まった認識が障害を持った人々への不愉快を増幅させているのだ。
人間の身体をもっと自然な目で見る、人間の身体のありのままを受け入れる文化を持つ国々でパラリンピックがより一般的であるのは偶然ではない、と彼女は言う。
もちろんパラリンピックを楽しむために露出狂になる必要はない。例えば日本は米国よりも人が肌を見せることに敏感だ。またその非常に礼儀正しい文化で見えにくくはなっているが、障害に対する否定的な見方も存在する。
だが2020年の東京オリンピックとパラリンピックに向けて日本がどの様な準備をしているのかを見るために東京を訪れたとき、私はどれだけパラリンピックが注目されているかに感銘を受けた。
街中広告や地下鉄の広告はパラリンピックをオリンピックと同等に扱い、学校の子供たちは両方の大会のマスコットを選ぶ投票に参加していた。東京都知事の小池百合子氏と会ったとき、彼女は盲目の人々を意識した大会公式エンブレムの形状が識別できる凹凸が施されたピンバッジをスーツのジャケットの襟に付けていた。
彼女は通訳を通じて「私はパラリンピックによりフォーカスしています」と言っていた。
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パラリンピックが障害を持って生まれた人々への懸念に焦点を当てるものであるとするならば、それはアメリカの若さや健全性に執着した文化からないがしろにされている高齢者への懸念をも強調する。
高齢者に対する意識は日本では米国よりずっと高い。日本では毎年9月に「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨とした "敬老の日" という日を国が主導して祝っている。
日本はまた人口統計的にも厳しい現実に直面している。寿命が伸び続ける一方で出生率が低下する日本は急速に高齢化しているのだ。そして最も重要な課題の一つは高齢化する人口に、広義での障害を持つ人口の増加にどう対応するかだ。
東京で取材した人のほとんどがパラリンピックは今後の社会変化に備えての準備となると答えていた。東京の地下鉄の経営者たちは2020年のオリンピックとパラリンピックに向けてすべての駅を改装するために急いでいると答えていたし、 サイボーグ義足や競技用義足などを開発するXiborgという会社の代表取締役はパラリンピックが高齢者や障害者のための人工装具に注目を集めることを期待していると語っていた。
アメリカにおいても他の先進国同様に高齢化は他人事ではない。だがパラリンピックが高齢化の問題に対する意識を高めるとしても、障害を持つ人々への意識を高めるとしても、アメリカ人には日本人とは別の方法でアピールする必要があるだろう。
両足の膝から下を失ったパラリンピックのスノーボード選手であるエイミー・パーディが体の線にぴったり合ったセクシーな衣装でスタジアムの中央ステージに立っている。そして音楽が始まると身体をのけぞらせた体勢からすっと姿勢を正し艶めかしい踊りを始めた。
これは2016年に行われたリオパラリンピックの開会式の映像だ。この4分30秒の間、アメリカの代表選手は群衆に熱烈なサンバ風のダンスを披露する、しかも巨大なロボットアームとパートナーを組んでだ。
このパフォーマンスはパラリンピックの重要な、そしてある意味では不快な "転換" を象徴している。それは障害を持っていながらも、まるで "身体的に健全な" 人のように振舞える人をもてはやす傾向が強まっているということだ。
「パラリンピックはその動きにおいても支持者の数においてもオリンピックに近づきつつあります、オリンピックのモデルに追従する形で。」とパラリンピックを研究するコベントリー大学のブリテンは語る。
「しかしそうすることで、パラリンピックは本来のルーツから切り離されることになるかもしれません。より "健常者に近い動きができる" パラリンピック選手ばかりに注目が集まることで、より重度の障害を持っている人が脇に追いやられる傾向にあります。それはパラリンピックの精神に反するものです。」
しかしこの傾向は問題ではあるが、今どきでカッコよくセクシーであることに焦点を当てることはアメリカの観客を引き付けるための最大の希望となるかもしれない。
またパラリンピック委員会はアメリカ人が持つ強い願望にもっと訴えかけるよう努力してもいいかもしれない。我々アメリカ人は、例えば負け犬が逆境に打ち勝つ展開や、勝ち目のないと言われてきた人々が強者を打ち負かす物語を愛している。パラリンピックはまさにうってつけだ。
さらにより愛国心に訴えかけるよう努力するのもありだろう。今回の平壌パラリンピックのアメリカの代表チームにはアメリカの鉱山で働き事故により盲目になった選手や軍での任務中に爆発物により手足を失った元兵士である選手たちがいるのだ。国のために任務に就き傷ついた兵士の物語はテレビ番組や映画、ニュースメディアなどで何度も扱われてきた。アメリカ人の彼らに対する敬意はとても強い。
パラリンピックが提供しているのは、何か意味あるものを手に入れる機会だ、たとえそれが数週間しか持続しないものであっても。
盲目の人や手足を失った人たちの勝利を喜ぶことができれば、障害を持つすべてのアメリカ人の生活に対してより深い理解と関心を持てるようになるはずだ。
なぜアメリカ人はパラリンピックを無視するのか?
Why do Americans ignore the Paralympics? - MARCH 01, 2018"GRIT AND GLORY、不屈の精神と栄光があってもそれが観客や視聴率を保証するわけではない — 少なくともアメリカでは"
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今週の3月9日から韓国で2018平昌パラリンピックが始まる。パラリンピックはオリンピックとワールドカップの続く世界で3番目に規模の大きいスポーツイベントだ。そしてこの障害を持つ選ばれたアスリートたちによるスポーツイベントは世界中の多くの地域で急激に支持を増やしている。
2012年のロンドンオリンピックでは270万人以上の観客が集まり、閉会式ではリアーナやコールドプレイ、ジェイZなどの名だたるアーティストが公演し思わず小躍りしたくなるようなパフォーマンスを披露し8万席のオリンピック・スタジアムは満席だった。
2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは日本、英国、ドイツの何百人ものジャーナリストが集まり、陸上男子1500メートルT13(視覚障害のクラス)でアルジェリアのランナーであるアブデラティフ・バカ(Abdellatif Baka)がほんの少し前に行われたオリンピックの金メダリストよりも速いタイムで勝利し金メダルを獲得するのを目撃した。
そして今回の平昌パラリンピックでも世界中の放送局が今後数週間にわたって網羅的な報道/放送を行う予定となっている。しかし世界中でパラリンピックに対する関心が高まろうとどんな活躍があろうとも、アメリカではパラリンピックは大して印象に残らない。
" アメリカのメディアは "セクシーで利益の多いエンターテイメント" に支配されている、パラリンピックにその要素は無い"
一応アメリカでも関心が "以前よりは" 高まるかもしれない、アメリカの三大ネットワークのひとつであるNBCは今回のパラリンピックの放送枠を前回の冬季パラリンピックからほぼ倍増しているからだ。しかしその放送のほとんどはセカンダリ・ステーション、NBCではなくNBCのスポーツ専用チャンネルである『NBCスポーツ』や『オリンピックチャンネル』などで放送され、視聴率は低いと予想される。
アメリカでは相変わらずパラリンピックの関連グッズが大量に売れるなどということは望めないし、パラリンピックが雑誌の表紙を大量に飾ることもなければ、ソーシャルメディアで大きく取り上げられることもないままだろう。
アメリカのパラリンピックに対する無関心ぶりは最早理解が難しい。スペクタクル - 視覚的に強い印象を与えるようなものは他の国の人々と同様にアメリカ人は大好きだ。それにアメリカは長い間、障害者の権利に関しては世界をリーダーだった、事実 障害を持つ人たちの法的保護について言えば、パラリンピックに関心が強い国々よりも数歩先を進んでいる。
だが実際は、法的に受け入れられることと文化的に受け入れられることは必ずしもシンクロしないのだ。
1990年7月に成立した『障害を持つアメリカ人法』 は民間企業の雇用における差別や公共的施設における差別、交通機関における差別など障害による差別を禁止するものだが、これは1964年の公民権法が人種、肌の色、信仰、性別、出身国による差別を違法と規定していたものの障害者に対する差別に関する規定がなかったため、 公民権法により保護されていた者と同様に差別からの保護を与えるものとして成立した。つまりはこの障害者の差別を禁止する法律は基本的にアメリカの長い "市民権の伝統" から生まれたのだ。
しかし障害を持つ人々の権利の保護を強化しても、無情にも障害を持つアスリートに対する関心/視聴率は高まらなかった。
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このズレは障害を研究するスポーツ歴史家や学者たちによればかなり根が深く、アメリカ文化の中核にある病的な執着、あるいは強迫観念が問題だという。
日本やヨーロッパよりも米国のメディアの状況は若者、性、金に執着していることを反映している。別の言い方をすれば、欠陥や汚点のないクリーンな若者、理想化され定型化されたセックスアピール、 臆面もない物質主義/資本主義だ。
パラリンピックはこの方程式には合わないのだ。パラリンピックをアメリカの生活の中心にある "セクシーで利益の多いエンターテイメント" に変えることは容易ではない。アメリカ人には冷酷な打算が働いているのだ、我々はそれにあまりにも慣れてしまったためそのことにほとんど気付けないでいる。
パラリンピックはそのことに注意を向けるとても良い機会だ、世界の他の地域では関心が高いこのイベントがなぜここアメリカでは低いのかを知るのに。
" 米国には5700万人もの人々が障害を抱えて生活をしている、パラリンピックはそのような障害を抱えている人々の生活に焦点を当てるまたとない機会 "
パラリンピックの物語は20世紀初頭、 ルートヴィヒ・グットマン という若い男から始まる。彼は医学に関心を持ち、母国ドイツの石炭採掘鉱山の病院で用務係としてボランティアをしていた。そこで彼は鉱山事故により麻痺状態になった患者が石膏で包まれ、他の患者から分離されている光景を見て衝撃を受ける。彼らのほとんどが尿管からの感染症と敗血症で5週間以内に死亡した。グットマンはその光景を記憶に刻み込んだという。
その後彼はユダヤ病院で医師となったが、ユダヤ人だった彼はナチスによる反ユダヤ主義が台頭したドイツを離れ1939年にイギリスに亡命した。その後、すでに有名な神経科医であったグットマンは英国当局から戦争で負傷した兵士のための病院、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターの所長になることを要請される。
彼はそれに同意した、下肢対麻痺の治療のための自身の理論の追求を許可してほしいという条件付きで。同病院での第二次世界大戦における戦闘で障害を持つことになった傷痍軍人たちの治療を通じて、グットマンはその身体的・精神的なリハビリテーションにスポーツが最適であると考えた。そして1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、入院患者である男性14人と女性2人を対象としたアーチェリー競技会が行われた。後にストーク・マンデビル競技大会と呼ばれるようになったそれこそがパラリンピックの起源とされている。
photo via londontown.com
だがそれから数十年間にわたってこの二つのイベントは別々の場所で、時には別々の大陸で開催された。今でこそ2つで1つのセットのスポーツイベントとなっているが、この障害のあるアスリートたちのイベントは注目され大量の金を生んだオリンピックと違い陰に隠れ続けていた。
そんな状況が変わったのが1988年だ、今回の冬季オリンピック/パラリンピックの地である韓国で再びオリンピックと同一地開催されるようになり正式名称も「パラリンピック」となった。このソウルオリンピックで2つの競技大会は永続的なパートナーシップを構築し、パラリンピックは単なる障害を持ったアスリートによる運動競技でなく、社会現象として成長することができたのだ。
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その後長年に渡って、障害を持ったアスリートたちは数々の並外れたパフォーマンスを見せ世界の注目を集めた。
南アフリカ共和国出身の両足義足のアスリートであるオスカー・ピストリウスはパラリンピックで多くのメダルを獲得したのちにオリンピックへ挑戦、2012のロンドンオリンピックで健常者と共に競い合い世界を驚かせた。
そして2年前のリオオリンピックではアメリカの盲目の短距離走者デイビット・ブラウンが100m視覚障害で世界で初めてとなる11秒の壁を破った。
だがそれらの象徴的な瞬間がもたらした影響はまだまだ小さいと、パラリンピックを研究するイギリスのコベントリー大学の研究員であるイアン・ブリテン(Ian Brittain)は指摘する。彼は障害者に対する人々の態度を変えるという使命をパラリンピックはまだ十分に果たしていないと考えている。
しかしパラリンピックがそれを実現するまれな機会でありをまたとないチャンスを提供している事も事実だ。
「パラリンピックに匹敵するものはありません。障害、平等、多様性の受け入れというより広い問題を議論するためのプラットフォームとして非常に重要で必要なイベントであることは確かです。」
「米国には5700万人もの人々が、そして世界中の何十億人もの人々が障害を抱えて生活をしています。」(※アメリカ合衆国国勢調査局が2012年に公開した報告書より。アメリカ人の5人に1人が精神的なものや認知症などを含んだ "広義の障害" を抱えているというもの。 ソース:アメリカ合衆国国勢調査局HP)
「パラリンピックはそのような障害を抱えている人々の生活に焦点を当てるまたとない機会を提供するとともに、ゲームの純粋な興奮を人々にもたらすプラットフォームでもあります。ですがアメリカはその機会を失っています。」
"アメリカのスポンサーが望むものは美しさ、身体的完全性、さらにはセックスアピールです"
そして識者によればアメリカがパラリンピックを活かしきれていないのは、アメリカの民間部門の力が公共部門と比較して強すぎることが大きいと指摘する。
政府がスポーツに強く関与している国では障害者への便宜がより図られている。
アメリカ合衆国の国内オリンピック委員会であるアメリカオリンピック委員会はオリンピック、パラリンピック、パンアメリカン競技大会のアメリカ代表チームの結成、派遣、運営など担っていますが政府補助金を支給されていません。一部の選手はスポンサー契約などで資金的に潤沢な立場にありますが、大半の選手は同国オリンピック委員会からの手当、米国の地元企業からの支援や自ら従事する職業からの報酬などに頼っています。
ソース:CNN
また英国のBBCやノルウェーのノルウェー放送協会、日本の公共放送局として知られるNHKなど公的に所有されている、あるいは公的に支援されている放送局がある国では彼らの手によりパラリンピックが一般にかなり浸透している。パラリンピック選手がテレビに出る機会が多いということはより多くのファンを獲得する機会があるということでもある。
だがアメリカでは、PBSやNPRなどの公共放送があるものの商業放送業者が支配的な立場にある。そして問題は、オリンピックの歴史家であるデビッドクレイによれば、パラリンピックの競技は他のスポーツのように "収益を上げることができない" ということだ。
「アメリカのスポンサーが望むものは美しさ、身体的完全性、さらにはセックスアピールです。そして彼らは心身共にトップクラスの選手同士が必死に競い合う姿を見たいと思っています、なぜならそれこそがナショナリストの情熱を呼び起こすからです。」
アメリカのパラリンピックに対する関心の欠如は、そこで活躍するアスリートたちを長い間支持してきた人々の欲求不満の源でもあった。
国際パラリンピック委員会の会長であったフィリップ・クレイヴン氏は米NBCのぞんざいな報道を厳しく批判したことがある、2012年のパラリンピックではNBCは5時間30分程度しかそれをカバーしなかったのだ、ちなみにイギリスの公共テレビ局『チャンネル4』では150時間を超えていた。
「北米はいつも、すべてにおいて世界をリードしていると思っている人がいますがこの件に関しては全く逆です。」と彼はきつく指摘した。「いい加減他の国に追いつくべきです。」
"人間の身体をもっと自然な目で見る、人間の身体のありのままを受け入れる文化を持つ国々でパラリンピックがより一般的であるのは偶然ではない"
また放送局やスポンサー、その他の利益追求者の姿勢だけがアメリカの視聴者からパラリンピックを遠ざける要因ではない。
英語と生命倫理学の教授で障害研究を専門とするジョージア州エモリー大学のローズマリー・ガーランド・トムソン教授は、アメリカ人はそもそもパラリンピックの中心にある障害を持った人々に強い不快感を覚えていると指摘する、つまりは身体の欠如や手足の欠如などだ。
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その不快感はもちろんアメリカの文化に固有のものではない。しかしガーランド・トムソン教授は、身体についてのアメリカの「潔癖さ」がそれが増幅させ深刻化していると言う。
「私たちアメリカ人は裸体に、身体的機能や特徴にある種極端に潔癖でお堅い」と彼女は言う。
米国ではセクシーな姿の男性や女性が写った、例えばカルバンクラインの広告などが溢れているかもしれないが、人々の多くが公園での授乳やサウナで他人のたるんだ体を見ることに強い不快感を覚える。
我々アメリカ人は、ガーランド・トムソン教授が呼ぶ「身体の現実」、あるいは「生身の真実」に不愉快を覚えるのだ。つまりは理想化され偶像化された「正常な身体」に対する凝り固まった認識が障害を持った人々への不愉快を増幅させているのだ。
"理想化された肉体ばかりで覆われた社会に住んでいる私たちの多くは所謂一般的な肉体に、あるいはふわふわした腹、「奇妙な」乳首、毛むくじゃらな背中に嫌悪感を抱いてしまっている。"
2017年4月の記事:『 なぜ世界は日本にあるような共同浴場文化を取り戻すべきなのか。(海外の反応) 』
より
2017年4月の記事:『 なぜ世界は日本にあるような共同浴場文化を取り戻すべきなのか。(海外の反応) 』
より
人間の身体をもっと自然な目で見る、人間の身体のありのままを受け入れる文化を持つ国々でパラリンピックがより一般的であるのは偶然ではない、と彼女は言う。
"東京で取材した人のほとんどがパラリンピックは今後の社会変化に備えての準備となると答えていた"
もちろんパラリンピックを楽しむために露出狂になる必要はない。例えば日本は米国よりも人が肌を見せることに敏感だ。またその非常に礼儀正しい文化で見えにくくはなっているが、障害に対する否定的な見方も存在する。
だが2020年の東京オリンピックとパラリンピックに向けて日本がどの様な準備をしているのかを見るために東京を訪れたとき、私はどれだけパラリンピックが注目されているかに感銘を受けた。
街中広告や地下鉄の広告はパラリンピックをオリンピックと同等に扱い、学校の子供たちは両方の大会のマスコットを選ぶ投票に参加していた。東京都知事の小池百合子氏と会ったとき、彼女は盲目の人々を意識した大会公式エンブレムの形状が識別できる凹凸が施されたピンバッジをスーツのジャケットの襟に付けていた。
彼女は通訳を通じて「私はパラリンピックによりフォーカスしています」と言っていた。
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パラリンピックが障害を持って生まれた人々への懸念に焦点を当てるものであるとするならば、それはアメリカの若さや健全性に執着した文化からないがしろにされている高齢者への懸念をも強調する。
高齢者に対する意識は日本では米国よりずっと高い。日本では毎年9月に「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨とした "敬老の日" という日を国が主導して祝っている。
日本はまた人口統計的にも厳しい現実に直面している。寿命が伸び続ける一方で出生率が低下する日本は急速に高齢化しているのだ。そして最も重要な課題の一つは高齢化する人口に、広義での障害を持つ人口の増加にどう対応するかだ。
東京で取材した人のほとんどがパラリンピックは今後の社会変化に備えての準備となると答えていた。東京の地下鉄の経営者たちは2020年のオリンピックとパラリンピックに向けてすべての駅を改装するために急いでいると答えていたし、 サイボーグ義足や競技用義足などを開発するXiborgという会社の代表取締役はパラリンピックが高齢者や障害者のための人工装具に注目を集めることを期待していると語っていた。
アメリカにおいても他の先進国同様に高齢化は他人事ではない。だがパラリンピックが高齢化の問題に対する意識を高めるとしても、障害を持つ人々への意識を高めるとしても、アメリカ人には日本人とは別の方法でアピールする必要があるだろう。
" 障害を持っていながらも、まるで "身体的に健全な" 人のように振舞える人をもてはやす傾向が強まっている。だがそれこそがアメリカの観客を引き付けるのかもしれない "
両足の膝から下を失ったパラリンピックのスノーボード選手であるエイミー・パーディが体の線にぴったり合ったセクシーな衣装でスタジアムの中央ステージに立っている。そして音楽が始まると身体をのけぞらせた体勢からすっと姿勢を正し艶めかしい踊りを始めた。
これは2016年に行われたリオパラリンピックの開会式の映像だ。この4分30秒の間、アメリカの代表選手は群衆に熱烈なサンバ風のダンスを披露する、しかも巨大なロボットアームとパートナーを組んでだ。
このパフォーマンスはパラリンピックの重要な、そしてある意味では不快な "転換" を象徴している。それは障害を持っていながらも、まるで "身体的に健全な" 人のように振舞える人をもてはやす傾向が強まっているということだ。
「パラリンピックはその動きにおいても支持者の数においてもオリンピックに近づきつつあります、オリンピックのモデルに追従する形で。」とパラリンピックを研究するコベントリー大学のブリテンは語る。
「しかしそうすることで、パラリンピックは本来のルーツから切り離されることになるかもしれません。より "健常者に近い動きができる" パラリンピック選手ばかりに注目が集まることで、より重度の障害を持っている人が脇に追いやられる傾向にあります。それはパラリンピックの精神に反するものです。」
しかしこの傾向は問題ではあるが、今どきでカッコよくセクシーであることに焦点を当てることはアメリカの観客を引き付けるための最大の希望となるかもしれない。
またパラリンピック委員会はアメリカ人が持つ強い願望にもっと訴えかけるよう努力してもいいかもしれない。我々アメリカ人は、例えば負け犬が逆境に打ち勝つ展開や、勝ち目のないと言われてきた人々が強者を打ち負かす物語を愛している。パラリンピックはまさにうってつけだ。
さらにより愛国心に訴えかけるよう努力するのもありだろう。今回の平壌パラリンピックのアメリカの代表チームにはアメリカの鉱山で働き事故により盲目になった選手や軍での任務中に爆発物により手足を失った元兵士である選手たちがいるのだ。国のために任務に就き傷ついた兵士の物語はテレビ番組や映画、ニュースメディアなどで何度も扱われてきた。アメリカ人の彼らに対する敬意はとても強い。
パラリンピックが提供しているのは、何か意味あるものを手に入れる機会だ、たとえそれが数週間しか持続しないものであっても。
盲目の人や手足を失った人たちの勝利を喜ぶことができれば、障害を持つすべてのアメリカ人の生活に対してより深い理解と関心を持てるようになるはずだ。
>身体についてのアメリカの「潔癖さ」がそれが増幅させ深刻化していると言う。
返信削除でもアメリカ人ってデブには日本に比べて寛容だと思うけどな
THIS IS USでもデブのカップルが出てきて、肥満に関してはそこまで厳しい感じも
アメリカ関連のニュースやドキュメンタリーを見たけどそこまで感じなかった
デブと障碍を一緒にするのは流石に無理がある
削除デブが許容されてるのは単に怠けることを受け入れれば自分たちが楽だからって側面があるので
障碍とは全然違うものだよ
まあでも身体を動かすのが不自由って意味じゃ、障害者とデブは同じだけどな。
削除ベッドから出れないデブなんか、ある意味で重度の障害。
>デブが許容されてるのは単に怠けることを受け入れれば自分たちが楽だから
削除それは偏見だと思うぞ
デブの中には遺伝も関係しているし、怠けるのを受けて入れているんではなくて
「その人の個性」や「キャラクター」として見ている人も多いのがアメリカ
だから渡辺直美がアメリカでも人気になったのはそれ
デブでも魅力があることを証明したから人気になったと思うぞ
統計上はアメリカ人の3人に1人が肥満なんだから、「デブが個性やキャラクターとして受け入れられてる」っていう方が違和感あるけどな。日本でデブいじりが成立するのは社会の中でまだ異質性が成立するからで、アメリカじゃ逆に珍しくもなんともないだけ。
削除デブが既に社会問題と化しているのにまだ「個性やキャラクターで通るモグモグ」なんて、ただの「甘ったれ」でしかない
削除甘いものの食い過ぎで思考まで甘くなってるw
アメリカも20年前は今ほどデブは多くなかった
削除この間の急激に増えた差分は遺伝とはまるで関係ない層
>デブが既に社会問題と化している
削除むしろあいつら諦めているだろw
デブの客室乗務員をバンバン雇っているし、デブの女優もスクリーンに出している
>アメリカ文化の中核にある病的な執着、あるいは強迫観念が問題だという。
返信削除この記者が分かっていないのは「アメリカのパラリンピックに対する無関心ぶりは
最早理解が難しい。」と障害者のことについて病的な執着をしていること
そして「アメリカは何事にも関心を持たなくてはいけない」と強迫観念を持っている
「アメリカは長い間、障害者の権利に関しては世界のリーダーだった」と自分たちこそが
誰よりも分かっていると言う傲慢な部分が正直に書かれているから、まず全てのアメリカ人に
こうあるべきだという考え方を辞めることから始めた方がいい気がする
こういうメディアが多いからアメリカの一般人は段々興味を失ったのではないかな
どんな奴も口うるさい理想主義者の言い分をテレビやネットで言われたらうんざりするよ
でもこういうのはあんまり見るべきだ!っていうのもポリコレ棒くさいんだよなあ
返信削除エンターテインメントとしては確かにもう一つなんだししょうがないんじゃない?
アメリカ人は潜在的な差別意識に正直ということだ
返信削除この筆者、日本の障害者プロレスのことは怒りそうw
返信削除(管理人さん、いつも興味深い記事の翻訳をありがとう)
アメリカでのパラリンピック放送時間は日本よりもだいぶ多かったような?
返信削除要はBSでは放送するが地上波では放送しない的なことなんじゃん?
削除正直に言って、法に触れない限り個人のあらゆる考え方は、それが善でも悪でも尊重されるべきだと思う。
返信削除他者(や集団)の考え方が「悪い」からといって「正しい」ものを押しつけたり強制(矯正)したりしないで「欲しい」なあ。
しかし、最近思うのはアメリカのメディアで日本が都合よく使われすぎじゃねーか?
返信削除やれ銃規制で日本を見習え、日本に見習って移民を規制しろ、日本みたく礼儀正しくしろ
とか都合のいいところばかりつまみ食いして、逆に日本に反感を抱くように仕向けてるんじゃねーかと思うほどだ。
こんな持ち出し方されたらアメリカの右翼も左翼も日本がうざったくなるだけだろ。
日本のメディアも「欧米ではー」ってご都合主義で使うじゃん。
削除まぁ欧米での日本への認識が昔はちょっと下に見てたのが今は対等ぐらいに見てるって事でしょ。
うーん
削除ひねくれすぎじゃね?w
>>だが実際は、法的に受け入れられることと文化的に受け入れられることは必ずしもシンクロしないのだ。
返信削除パラリンピックに限らずアメリカってなんでもこんな感じじゃね?
人種もLGBTもそうだろ?
私もそれ思った。
削除逆に、表向きと反して深層心理での差別が根強いから、ゲイのパレードや黒人差別に対するデモ、フェミニストがいつも大きな声を挙げるっていう世界が出来上がったんだと思う。
アニメキャラが好きなアメリカ人にはレイシストが多い
削除彼らは美男美女しかいない日本のアニメを見て、そして
「このキャラは白人をモデルにしている」と普段から白人以外の
人種を醜いと見下しているからそういう考えに至るらしい
そして日本のアニメに黒人が居ない、ハイレグ魔王やフリーザなど
日本人はゲイを敵キャラにしている、日本のアニメは神を侮辱していると
自分たちの文化からかけ離れていることを受け入れず、日本に直させようとする
だからアメリカは差別や戦争を辞めないんだろうな
何事にも干渉し、自分たちの思想を他の国に真似させようとする
やっていることがナチスやソ連と同じなのが滑稽
管理人さん、これはとても興味深い記事でした。賛否はともかく、そのまま情報として受け取っておきます。
返信削除しかし、とにかく止めて欲しいのは画面←左の相互RSSで、下らない特亜関連の反応を載せること。
もう反応系ブログも、特亜関連は全部スルーでいきましょうよ。下らないたわごとは見る必要ないですよ。
興味ないなら見なければいいだけなのに
削除管理者と不特定多数の人間に命令するとかとても正気とは思えない
まあアメリカ人の大半は精神的に未熟だからねぇ…
返信削除あれ、誰もこれにツッコミいれないの?
返信削除>今回の平壌パラリンピックのアメリカの代表チームには
あってるけど間違ってるみたいな・・・
明治から新発売したプロカル ヨーグルト・プリンもオリンピックしかないんだよね。
返信削除スーパーで見かけた時にパラのロゴはないか探したけど、オリのロゴしかなくて残念な気持ちになった。
スポートを愛し、極めようとする高邁な精神に健常者も障害者もないと思うんだけどね。
「私たちアメリカ人は裸体に、身体的機能や特徴にある種極端に潔癖でお堅い」
返信削除この感覚がすごく解りかねる。アメリカ人のセクシーさは「潔癖」には含まれにくく感じるんだが
あちらではそれがお堅いに含まれるから胸元が開いてぴったりとした衣服が多いのだろうな。
現に水着のポスターは、健康美的かもしれないが、行き過ぎててどこか下品さも感じてしまう
日本の常若とはまた違う感覚だな
だから日本と違って歯並びや歯の白さにも拘るんじゃないかな
削除結局は「汚いものは認めない」から他人を差別するんだと思う
筋肉崇拝もそこからきてる?
削除ナショナリズム関係なくね・・・
返信削除リベラルが都合よく叩きたいだけじゃん
こういう記事を読むと日本のパラの引き継ぎの時の演出凄い良かったと思う
返信削除あるがままに足がないなら足がないから出来る演技をしたよね凄い格好良かった
身体的に潔癖なのにタトゥーだらけw
返信削除歯並びとシモの毛の処理にはヤイヤイうるさいのにヒゲ、腕毛ボーボー
アメリカ人の常識って日本人の私にはよくわかりませんわ
それにモデルさんみたいな観光客なんてめったにいないけどねぇ
ま、アメリカ人はモデルみたいに綺麗じゃないアスリートは見たくないってことなんでしょうな
戦場に若者を送り出して、障害者にさせ続けている国が不寛容ってのはわかんないな。
返信削除映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』のダン中尉がベトナムで両足を失うけど、あのやりけれなさや投げ遣りな精神状態は、傷痍軍人にたいするアメリカ社会の仕打ちのせいなんだろうな。
身近にパラリンピック選手がいるよ
返信削除どうかもっと注目してほしい、選手を応援してほしいな
>障害を持っていながらも、まるで "身体的に健全な" 人のように振舞える人をもてはやす傾向が強まっている。
返信削除脚がなくても(人それぞれなんだから)いいじゃんってことじゃなくて、
脚がなくても(健常者と同じぐらい動けるし)いいじゃんってことか…
絶対の基準が健常者で、それに近くないと開会式でパフォーマンスの披露もできないなんて…
日本でもそんなに注目されて無いよ。メディア関係だけ。一般市民は関心が無い。健常者の五輪もそんなに見てる人は居ないよ。数字のマジックだったりする。テレビを見ればいかにもみんなが熱狂してるように見えるが、国民全体で見れば、たぶん1割にも満たないよ。
返信削除むしろパラリンピックの方がみたい
返信削除地上派でやってほしいのに
一本足で滑ったりすんだぜ 健常者よりバランス感覚すげーよ
障害者に悪いけど保護してやる必要なんて無い。国の発展には足手まといだわ。
返信削除座敷牢って言い方は駄目なんだろうけど優生保護法を復活した方が良い。出産前に排除できるだろ?
まず、お前の優性を証明しろよ。お前が排除されなくて良い理由は?
削除真面目な話、生物の存続には多様性が重要なんだよ。皆が同じならたった一種類のウイルスで全滅する事もあるが、多様性(異分子)のおかげで生き残る事ができたりする。
その通り。
削除健常者とは「現在の環境」に適応した存在なのだ。
しかしながら、環境は変化する。
だから、遺伝子の多様性は、種の存続に必要なのだ。
しかし、そうは言っても生きていくことが難しい個体は発生する。
その場合は胎児の段階で流産する。
逆に言えば、自然に逆らって流産を食い止めることは良くないし、
自然に生まれてきた子供は、みな祝福される社会を目指すべきなのだ。
アメリカのメディアからは弱味をみせたら踏み潰されるから弱点がないふりをしないといけないし、弱点は克服したと言い切れるようになるまで公表できないし、日常的に不安だらけだから不安のない完璧な幸せ以外のものはフィクションでも見たくないって雰囲気があるような気がする
返信削除アメリカがパラリンピックに関心が無いのでなく、醜態ばかり晒しているホスト国に興味が無いのだろう。
返信削除パラリンピックは健常者に近づくんじゃなくて
返信削除身体欠損があるからこそ出来ることに挑戦していってほしいね
以前高性能義足のランナーが話題になったが
ああいう方面で肉体と補助医療技術の融合を極めて
健常者を超えるってのがパラへの関心を高める手だと思う
道具の優劣による差が凄いからな
返信削除パラリンピックの放送時間は、アメリカも日本もオリンピックと大差ないって書かれてた。
返信削除ただ韓国が差別して、放送時間の短縮をやっているとだけ
いや、日本でも注目されてないだろw
返信削除単にパラリンピックの視聴率が悪いというだけなら、そんなに気にしなくていいんじゃね?
返信削除市井の障害者が自立し人間らしく生きていけているのであれば、それで十分だろ
日本でも注目してる人なんて見たことないけどな
返信削除アメリカのメディアは正直
返信削除日本のメディアはリベラルを装う偽善者左派
確かにアメリカは弱者に厳しい国のイメージがある
返信削除貧富の差が大きくて福祉が手薄、医療費が高くて怪我人や病人や障害者には不利
政治家と企業のCEOは常に自信満々で強気発言ばかり
ハリウッド映画も優秀な人が活躍するような話が多いもんね
一概には比べられないのよ。
返信削除障害者として生まれてしまったからには、日本より米国の方が福祉が手厚い。
あと、生活保護の受給率が日本は低い。
にっちもさっちもいかない人しか受けられない。
だから、生活保護受給者から更生する率もまた低い。
そこまで深刻になる前に、ライトな福祉を受ける方がいいという考え方もある。
>生活保護の受給率が日本は低い。
削除日米の生活保護の内実は全く違うぞ?
日本は月7万~8万くらいもらえるけど、アメリカは州によって違うけど
現金じゃなくてフードスタンプ、当然家は借家だし、車は没収される
シングルマザーじゃなく、生活保護をアメリカで受けている男が居たら
「この共産主義者め」と税金泥棒扱いにされるのがアメリカ
ましてアメリカの受給者は麻薬中毒やホワイトトラッシュが多いから世間の眼は冷たい
日本と同じレベルだと思うととんでもない目に合うよ、それにアメリカは国民健康保険も
ないから生活保護を受けている人が重篤になったらまず病院に行けず、自殺を選ぶらしい
アメリカは障害者に対してボランティアや周りが熱心に介護するけど、その障害者が生活
保護を受けても日本やヨーロッパ、カナダよりも酷い待遇なんだよね
詳しくはRedditでアメリカ人に聞くと良いよ
日本人は比較的「感動ポルノ」が好きだからな
返信削除五体不満足なんかだとで同情が集まって不倫できたりする
どこかで聞いた話だと思ったらナチズムそっくりじゃないか
返信削除障害スポーツになんか興味はないと言ってるだけでナチズムとは違うと思うぞ
削除むしろ障害者を助けろ!!みたいな方へ流れる日本の人気取り政治屋や団体の方があぶない。
今は健常者を助けろの状態だから。みんなが豊かに暮らしていれは自然と障害者も助けるけど
そんな心の余裕すらない。
息子が障がい者でスポーツをやっているのでどんな形であれ注目してもらえればと思ってます
返信削除オリンピックとパラリンピックが逆だったら注目度は変わるんじゃないかと思うのですが無理なんですかね
>日本と違って
返信削除?
同じ記事何度もアンテナに上がるように工作すんのやめろや
返信削除アメリカは差別的宗教国家だからな
返信削除常に○○が差別されないことが自由なアメリカであるって言い聞かせてないとおさまらない
イメージだとアメリカはよく寄付をするから決して障害者に厳しいとか差別が酷いとかじゃないと思うけどなあ
返信削除テレビの放送時間だとアメリカのが日本より多かったけど、アメリカはケーブルテレビ数が沢山あるから放送時間=視聴者数って訳でもないから一概には言えないか。視聴率5%を越えてたら人気番組らしいし
>米国には5700万人もの人々が障害を抱えて生活をしている
↑
これ本当に???ちょっと数字を盛ってるのか、あるいは定義が日本と違い過ぎるのかな
アメリカは戦争大好き国家だからね
削除ずーーーーっと戦争やってるし、銃の乱射も多発してるし
戦場で手足を失ったり、負傷して身体の自由が失った人も少なくないだろうと思うよ。
しかし、そんな国が障碍者に差別的って話に驚いたな
パラリンピックの活躍をもっと大々的に取り上げてるのかと思ったら正反対なんだな。
追記
削除と思ったら、5700万人は多すぎるね
桁を間違えてるんじゃないかな。
健常者より超人が多いパラリンピック見ないとか頭おかしいんじゃねぇの?
返信削除なんだかんだ言ってパラリンピックってごり押しだよな
返信削除そこまで見たいかよ
日本と違って善意の押し売り、権利主張してくる団体に対する勢力もあるし、
返信削除”障害者気持ち悪い”は正直な反応だよ。
税金浪費するだけならパラリンになんか興味ない。当然。
5体不満足な障害者が当然の様に「私を2階まで運べ」と言えば、
お前何様だふざけるなって普通に言えるから、そんなの小さな店に
無理じゃねバカじゃねって言えるから普通に助ける人も居るんだね。
障害年金貰ってスポーツやっていられる恵まれた障碍者より、
まともに生活できない健常者や、障害者認定されないでも
もっと酷い生活をする人間は世の中には溢れかえっているんだから、
恵まれた障碍者の祭りに構っていられないよ。
なんで恵まれた障碍者に税金払ってやるんだ?って反対意見はあってしかるべき。
障害者のやるスポーツ見ても面白くもなんともない。誰がこんなもんで
返信削除熱狂するってのよ。当人ががんばって大会に出る分には好きにすりゃいいが
誰も注目せんものをわざわざTVで取り上げる意味がわからんね。
パラリンピックおもろいぞw
返信削除競技者数が少ないから絶対的なレベルは低いが、
例えば、陸上なんかは「義肢とかが発展すれば健常者の世界記録抜くんじゃね?」って競技もあるし
視覚障害者の柔道なんかは組手争いがあまりないから、本来の柔道に近い競技性だったりする
何より、今は過渡期なんだろが、将来的にパラリンピックとは別物の
「サイバネティック・オリンピック」へゆっくりと発展しそうなかんじがあって興味深いんだよね
義肢なんかの技術が発展していけばそうなる