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アメリカ合衆国ワシントンD.C.の日刊紙『ワシントン・ポスト』より
2009年にブルース・ハリウッド氏が彼の母親であるオオウチ・ノブエさんに会いに行き、静岡駅で別れを告げた時の写真。それは彼が彼女を見る最後の時だった。ノブエさんはその翌月に心臓発作で亡くなった。 - photo via roanoke.com - COURTESY BRUCE HOLLYWOOD
元アメリカ空軍大佐のブルース・ハリウッド氏は探索を終えた。彼は赤子の頃にアメリカ人夫婦に養子に出されて以降会うことのなかった日本人の生みの母親を見つけ出し彼女に感謝の気持ちを伝えた。彼は父親を探す必要性を感じてはいなかった、同じくアメリカ空軍で働いていた実の父親を。
ハリウッド氏は彼の母親であるオオウチ・ノブエさんと再開できたこと、新しい関係が生まれたこと、そして母の自分への献身に感謝した。
ノブエさんはハリウッド氏が自分の元にいつか帰ってきてくれることを信じていた、アメリカ人夫婦に養子に出した後も彼の名前を自分が経営するレストランにつけて、たとえそれが何十年かかろうともいつかはと信じていた。
彼女は正しかった。ハリウッド氏が46歳になった2006年に2人は再会した。そしてその際に彼女はハリウッド氏の実の父親の話を彼に話したという。
ハリウッド氏の父親が1959年に日本に駐留していたときに2人は出会ったとノブエさんは言った。彼らは恋に落ち、結婚する予定だった。だが彼は米国に戻るように命じられる、その時ハリウッド氏を妊娠していたことを2人とも知らなかった。
彼は帰国したらすぐにノブエさんに電話すると約束したがそうしなかった。彼が帰国してから数ヶ月後にようやく連絡が来る、だがノブエさんはもう彼を信頼することができないと考えて彼からの電話に出ることを拒否した。彼は自分が父親になっていたことを知ることはなかった。2人はそれきりの関係になったという。
だがノブエさんは息子と再会したときにハリウッド氏に一枚の紙きれを渡した、もし息子が自分の父親のことを探したいと考えた時に備えて彼の名前を伝えたのだ。ノブエさんは丁寧に、大文字ではっきりと "LOIS BAZAL" とそこに書いていた。 日本人の生みの母親を探し出ししばらく日本に滞在したハリウッド氏がワシントンに戻った時、彼は自分の存在を知らない実の父親に連絡するつもりはなかった、だが軍事記録を確認する程度には興味を持っていた。
だが母親から伝えられた名前を照会してみたものの該当者は発見できなかった。"Lois" ではなく "Louis" も試みたが結果は同じだった。ハリウッド氏は奇妙に思ったが特にそれ以上調べようとはしなかった、それよりも自分の実の母親と時間に彼は集中したのだった。
彼の育ての両親、生前いつも自分の生みの母親を見つけるように促していた二人はすでに亡くなっていたが、ハリウッド氏はついに会いに行けたことを亡くなった育ての両親も喜んでくれているだろうと考えていた。
ハリウッド氏とノブエさんが再開した年から2009年に彼女が心臓発作で亡くなるまでの3年間、2人はお互いに日本とアメリカを行き来した。
それから8年後、57歳になっていたハリウッド氏はバージニア州の町ヴィーナに住んでいた、母親を見つけ出したこと、2人で共に過ごした日々、その思い出を大切にしながら、友人たちとその話を共有しながら。
彼は特にノブエさんが自分の視界から彼がいなくなることを嫌った話を伝えるのがとても好きだった。日課のランニングに出かけるとノブエさんはその後を自転車に乗って追いかけた。2人はしばしば止まり、海の側に立つ壁に横に並んで座り、何を話すでもなくただ海を見ていたという。
ハリウッド氏は自分の生みの母親を見つけた、そしてそれによって自分の日系アメリカ人としてのアイデンティティも発見した。それ以上何が必要だというのか、彼はそう思っていたという。
ところが数年前、ハリウッド氏は自分のもう一つの側面である白人としての自分にもふと興味持ち自分のDNAをAncestry.comのキットで試してみたという。
結果自体は特に驚くものではなかった、彼の先祖の半分は東アジアから、残りはアイルランド、スペイン、西ヨーロッパ諸国からのものだった。
だが彼が調査結果をクリックし続けていると、『あなたのいとこである可能性が100%の人物が見つかりました』と出てきたのだ。その名字は "Bazar" 、ハリウッド氏の母親が彼に伝えた名字と1文字違ったものだった。
彼はそこでハッと気づく、日本人は "R" と "L" をよく混同する。そのため彼の日本人の母親は "Bazar(バザール)" ではなく "Bazal(バザル)" と書いていたのだ。
彼はさっそくそのいとこに電子メールを送り自分が誰なのか、なぜ彼がそのいとこに辿り着いたのかを説明した。そのいとこの妻が応答する、彼は日本に駐留したことがある親戚がいたかどうかを尋ねた。彼女はいたと答えた、叔父がそうだというのだ。
「私は、"ええ、それが私の父だと思います" と答えました。」
ハリウッド氏はそう振り返る。
彼女はその叔父はすでに亡くなったと言った。だがこう付け加えた、
「でも彼には息子がいます。」
ハリウッド氏はその番号を聞くとすぐに電話した。電話にはでなかった、だが事情があまりにも複雑なためメッセージを残すもできなかった。だがそれから数分後、ルイス・バザール・ジュニアから電話がかかってきた。
「あなたの父親はルイス・バザールですか?」
ハリウッドは彼に尋ねた。
「ええ、父はルイス・バザール、私はルイス・ジュニアです。」
ハリウッド氏はこう続けた。
「あなたに伝えるべき話があります、信じられない話でしょうが。」
だがその後、話をしていると全く予想外の事実を発見する。ルイス・ジュニアは彼よりも年上だった、彼はハリウッド氏の父親が日本に駐留する前に生まれていたのだ。
ルイス・バザール(右)、日本から帰国後の1961年前後 - photo via roanoke.com - COURTESY LOUIS BAZAR JR.
しばらくの間ハリウッド氏は、彼の日本人の母親であるノブエさんが騙されていたかもしれないことを恐れた、彼の父親が妻子を持ちながらノブエさんに近づいていたことを。
だがフロリダ州に住むルイス・ジュニア氏、63歳の彼は自分の母親は自分を出産した時に亡くなったと語った。ハリウッド氏はルイス氏を気の毒に思うと同時に心から安堵した、彼の父親のノブエさんへのプロポーズは誠実なものだったのだ。
ルイス・ジュニア氏は彼の父親が日本に駐留していた時5歳だったという。父が離れている間は彼の叔母が世話をしていたとのことだ。
だがしかし、なぜハリウッド氏の父親は日本を離れた後にノブエさんに電話するまでかなり長い時間を要したのだろう? そのせいで彼の父は母からの信用を失ったのだ。
ハリウッド氏は次のように述べる。
「私はいくつか理由があったのだと確信しています。まずサウスカロライナ州に住む自分の家族に、新たに日本人の女性を迎え入れるにあたり様々な準備をしていたはずです。それに幼い息子との久々の再開だったわけですから、父子としての関係を温める必要があったはずです。」
2人の父親であるルイス・バザール氏はノブエさんと同じように結婚することはなかったという。
一連の話を聞いたルイス・ジュニア氏は彼の父親は恋を断念したのだろうと述べた、最初の妻は出産中に亡くなり、次に結婚したいと考えた女性からは拒絶されてしまったのだから。
ルイス・バザール氏は辛い子供時代を過ごしたという。彼は幼い頃に両親を亡くし、彼を育てるのを助けてくれた姉は家族が経営する店で働いているさなかに殺されたという。
「自分が大切にしたいと思った女性を父はことごとく失ってしまった、それが父を悩ませたのだと思います。だから父はその後女性と近しい関係になることはなかった。家に誰かを連れてくることもありませんでした。」
2005年にルイス・バザール氏はホスピス(終末期ケアを行う施設)で、その死期が迫っていた時に彼は息子にアルバムを渡したという。そこには彼がそれまでに見せてもらっていなかった写真が含まれていた。
そこには若い日本人女性の写真が何枚も入ったページがあったという。だが彼は息子にそれについて話そうとはしなかった。
- photo via roanoke.com - COURTESY LOUIS BAZAR JR.
だがハリウッド氏から電話で話を聞いたことで突然、ルイス・ジュニア氏は全てを理解した。パズルのピースが組み合わさったのだ。
ハリウッド氏からの電話は彼にとってショックなものだっただろう。
だがハリウッド氏が彼に
「弟はいりませんか?」
と尋ねるとルイス・ジュニア氏は躊躇せずこう答えた。
「ああ、兄弟が欲しいといつも思っていたんだ。」
ルイス・ジュニア氏(左)とブルース・ハリウッド氏(右)の兄弟 - photo via roanoke.com - COURTESY LOUIS BAZAR JR.
彼の日本人の生みの母は実の父親の名前が書かれた紙切れを渡した。彼は本当の父親を捜すつもりはなかった。
His Japanese birth mother gave him a slip of paper with his father's name. He didn't intend to search for him. - May 15, 20182009年にブルース・ハリウッド氏が彼の母親であるオオウチ・ノブエさんに会いに行き、静岡駅で別れを告げた時の写真。それは彼が彼女を見る最後の時だった。ノブエさんはその翌月に心臓発作で亡くなった。 - photo via roanoke.com - COURTESY BRUCE HOLLYWOOD
この記事は
『生き別れになった日本人の母と半世紀ぶりに再会したアメリカ人の感動物語(海外の反応)』
の続きです。まだお読みになっていない方はこちらからどうぞ。
https://kaikore.blogspot.jp/2018/05/american-searched-for-his-japanese-birth-mother.html
https://kaikore.blogspot.jp/2018/05/american-searched-for-his-japanese-birth-mother.html
元アメリカ空軍大佐のブルース・ハリウッド氏は探索を終えた。彼は赤子の頃にアメリカ人夫婦に養子に出されて以降会うことのなかった日本人の生みの母親を見つけ出し彼女に感謝の気持ちを伝えた。彼は父親を探す必要性を感じてはいなかった、同じくアメリカ空軍で働いていた実の父親を。
ハリウッド氏は彼の母親であるオオウチ・ノブエさんと再開できたこと、新しい関係が生まれたこと、そして母の自分への献身に感謝した。
ノブエさんはハリウッド氏が自分の元にいつか帰ってきてくれることを信じていた、アメリカ人夫婦に養子に出した後も彼の名前を自分が経営するレストランにつけて、たとえそれが何十年かかろうともいつかはと信じていた。
彼女は正しかった。ハリウッド氏が46歳になった2006年に2人は再会した。そしてその際に彼女はハリウッド氏の実の父親の話を彼に話したという。
ハリウッド氏の父親が1959年に日本に駐留していたときに2人は出会ったとノブエさんは言った。彼らは恋に落ち、結婚する予定だった。だが彼は米国に戻るように命じられる、その時ハリウッド氏を妊娠していたことを2人とも知らなかった。
彼は帰国したらすぐにノブエさんに電話すると約束したがそうしなかった。彼が帰国してから数ヶ月後にようやく連絡が来る、だがノブエさんはもう彼を信頼することができないと考えて彼からの電話に出ることを拒否した。彼は自分が父親になっていたことを知ることはなかった。2人はそれきりの関係になったという。
だがノブエさんは息子と再会したときにハリウッド氏に一枚の紙きれを渡した、もし息子が自分の父親のことを探したいと考えた時に備えて彼の名前を伝えたのだ。ノブエさんは丁寧に、大文字ではっきりと "LOIS BAZAL" とそこに書いていた。 日本人の生みの母親を探し出ししばらく日本に滞在したハリウッド氏がワシントンに戻った時、彼は自分の存在を知らない実の父親に連絡するつもりはなかった、だが軍事記録を確認する程度には興味を持っていた。
だが母親から伝えられた名前を照会してみたものの該当者は発見できなかった。"Lois" ではなく "Louis" も試みたが結果は同じだった。ハリウッド氏は奇妙に思ったが特にそれ以上調べようとはしなかった、それよりも自分の実の母親と時間に彼は集中したのだった。
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ハリウッド氏は自分の生みの母親を見つけた、そしてそれによって自分の日系アメリカ人としてのアイデンティティも発見した。それ以上何が必要だというのか、彼はそう思っていたという。
アンセストリー・ドットコム
自分の先祖をたどって何世代もさかのぼり自分のルーツ探し&知らない親戚探しが簡単にできるインターネット・サービス。簡易DNA検査キットを使い自分のDNAを調べると、アンセストリー・ドットコムが保有するアメリカの国勢調査や移民の入国記録、兵役記録などのデータベースから関係のある情報を教えてくれる。アメリカでは日本のような戸籍制度がないため自分の先祖を簡単には確定できずこの手のサイトがよく使われる。
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結果自体は特に驚くものではなかった、彼の先祖の半分は東アジアから、残りはアイルランド、スペイン、西ヨーロッパ諸国からのものだった。
だが彼が調査結果をクリックし続けていると、『あなたのいとこである可能性が100%の人物が見つかりました』と出てきたのだ。その名字は "Bazar" 、ハリウッド氏の母親が彼に伝えた名字と1文字違ったものだった。
彼はそこでハッと気づく、日本人は "R" と "L" をよく混同する。そのため彼の日本人の母親は "Bazar(バザール)" ではなく "Bazal(バザル)" と書いていたのだ。
彼はさっそくそのいとこに電子メールを送り自分が誰なのか、なぜ彼がそのいとこに辿り着いたのかを説明した。そのいとこの妻が応答する、彼は日本に駐留したことがある親戚がいたかどうかを尋ねた。彼女はいたと答えた、叔父がそうだというのだ。
「私は、"ええ、それが私の父だと思います" と答えました。」
ハリウッド氏はそう振り返る。
彼女はその叔父はすでに亡くなったと言った。だがこう付け加えた、
「でも彼には息子がいます。」
「あなたの父親はルイス・バザールですか?」
ハリウッドは彼に尋ねた。
「ええ、父はルイス・バザール、私はルイス・ジュニアです。」
ハリウッド氏はこう続けた。
「あなたに伝えるべき話があります、信じられない話でしょうが。」
だがその後、話をしていると全く予想外の事実を発見する。ルイス・ジュニアは彼よりも年上だった、彼はハリウッド氏の父親が日本に駐留する前に生まれていたのだ。
ルイス・バザール(右)、日本から帰国後の1961年前後 - photo via roanoke.com - COURTESY LOUIS BAZAR JR.
しばらくの間ハリウッド氏は、彼の日本人の母親であるノブエさんが騙されていたかもしれないことを恐れた、彼の父親が妻子を持ちながらノブエさんに近づいていたことを。
だがフロリダ州に住むルイス・ジュニア氏、63歳の彼は自分の母親は自分を出産した時に亡くなったと語った。ハリウッド氏はルイス氏を気の毒に思うと同時に心から安堵した、彼の父親のノブエさんへのプロポーズは誠実なものだったのだ。
ルイス・ジュニア氏は彼の父親が日本に駐留していた時5歳だったという。父が離れている間は彼の叔母が世話をしていたとのことだ。
だがしかし、なぜハリウッド氏の父親は日本を離れた後にノブエさんに電話するまでかなり長い時間を要したのだろう? そのせいで彼の父は母からの信用を失ったのだ。
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2人の父親であるルイス・バザール氏はノブエさんと同じように結婚することはなかったという。
一連の話を聞いたルイス・ジュニア氏は彼の父親は恋を断念したのだろうと述べた、最初の妻は出産中に亡くなり、次に結婚したいと考えた女性からは拒絶されてしまったのだから。
ルイス・バザール氏は辛い子供時代を過ごしたという。彼は幼い頃に両親を亡くし、彼を育てるのを助けてくれた姉は家族が経営する店で働いているさなかに殺されたという。
「自分が大切にしたいと思った女性を父はことごとく失ってしまった、それが父を悩ませたのだと思います。だから父はその後女性と近しい関係になることはなかった。家に誰かを連れてくることもありませんでした。」
2005年にルイス・バザール氏はホスピス(終末期ケアを行う施設)で、その死期が迫っていた時に彼は息子にアルバムを渡したという。そこには彼がそれまでに見せてもらっていなかった写真が含まれていた。
そこには若い日本人女性の写真が何枚も入ったページがあったという。だが彼は息子にそれについて話そうとはしなかった。
- photo via roanoke.com - COURTESY LOUIS BAZAR JR.
だがハリウッド氏から電話で話を聞いたことで突然、ルイス・ジュニア氏は全てを理解した。パズルのピースが組み合わさったのだ。
ハリウッド氏からの電話は彼にとってショックなものだっただろう。
だがハリウッド氏が彼に
「弟はいりませんか?」
と尋ねるとルイス・ジュニア氏は躊躇せずこう答えた。
「ああ、兄弟が欲しいといつも思っていたんだ。」
ルイス・ジュニア氏(左)とブルース・ハリウッド氏(右)の兄弟 - photo via roanoke.com - COURTESY LOUIS BAZAR JR.
> 「ああ、兄弟が欲しいといつも思っていたんだ。」
返信削除小憎たらしい締め方だな!
いい話だ
>「弟はいりませんか?」
返信削除グッとくるアプローチだな
でもこれ、双方肉親の縁が薄いと言う背景だったから
成り立った気もする
ここ玉ねぎ忍者がいるぞ
返信削除うわーなんてドラマチックな
返信削除と同時に悲しさもあるな
誰にも悪意があったわけではなかっただろうけどすれ違いの結果か…
最後はこうしてご両親の真意を知ることができて救われたと思いたい
前の記事で叩いてたアホども見てるか?
返信削除クズはオメーらだ
あんたのコメントで前の記事があることに気づいた。ありがとうw
削除前記事ではお父さんピンカートン扱いだったから、
削除ブルースさんが後編を公開してくれたおかげで故人の名誉回復が叶ったなw
うわあああ
返信削除映画化確定、アカデミー賞確保
感動する話だなあ
返信削除真心を忘れない人生って美しいと思うよ
今の時代だったらピピッと一瞬でメッセージ送れるのにね
返信削除ほうれんそうはとにかく早く汁!との教訓があるお話
そして世界なんたらニュースって番組で近々取り上げられそうな気がするわ、コレw
なんて話だ・・・
返信削除アンビリバボーでやりそうな話やね
返信削除切なすぎる...
返信削除これは冥福を祈らずにはいられないわ
おばちゃんにわけてもらった新たまねぎを大量にスライスしたからか、
返信削除目薬くらいに微量の涙が出るよ…( ´-ω-`)フッ......
ラヴィアンローズ、ではないかもしれないけどまぎれもなく本物の人生
返信削除昔の人は善意のすれ違いで人生変えたんだね
返信削除今の人はLINEのレス違いで炎上しているが
なんやこのシャレオツな短編小説みたいな話は……。
返信削除最後のセリフまで味わい深いじゃないか。
結婚できなかったハリウッド氏の実親、
返信削除どちらも死ぬまで独身を通したのか。
実母にとっても実父にとっても
純愛だったんだろうなと感じる。
ハリウッド氏を育ててくれた養父、養母もきっと凄く良い人達だったんだね
返信削除本当の母親を捜すように促してくれてたんだから。
登場人物がみんな良い人達
思いあっててもすれ違って人生が大きく狂う。
返信削除特に恋愛関係は。
でもその結果息子は養父母と出会い今の人間になれたんだから間違ってたと安易にも言えない。
ホント、白黒映画のラストシーンみたいだ。
返信削除粋だよね。
アニメ化決定
返信削除ハリウッドはつまらんアメコミばっか実写化しないで、この話を映画化したらいいのになハリウッド氏だけにw
返信削除え、お父さんもあれ以来ずっと独身だったのか…うわぁああん(´;ω;`)
返信削除父親が亡くなって1年後、生みの母に会えたんだ。
返信削除「愛に言葉は要らない」って言うけど、やはり言葉は大事だなと思う。
細かい意思疎通まで出来たら、最初の奥さんが亡くなって子供がいる事等も打ち明けて、今後の事も話し合えたでしょう。
でも上手く伝わらなかったら、愛する人を失うかも知れないと不安で言えなかったんだと思う。
伝える事が出来ていたら、ノブエさんも連絡が遅れても少しは不安を解消出来たかも知れない。
ルイス氏もノブエさんもそれぞれ子供がいて救いだったし、生きている時は恵まれなかったかも知れないが、亡くなった後でも子供達が会えた事を天国で喜んでいると思う。
良くやってくれましたハリス氏。読み応えの有る良い記事でしたありがとうございます。
韓国大使のニュースを見ながらの書き込み。
1959年のサウスカロライナで
返信削除英語もしゃべれない日本人女性を妻に娶って暮らす。
でも、サウスカロライナ州ってディープサウスだよ。
しかも1959年って、まだアパルトヘイト丸出しの
ジム・クロウ法があって公民権運動真っ盛りの時だよ。
つまり黒人と白人の対立が最高潮に達しつつあった時ってこと。
それに父親の"LOIS BAZAR"氏ってスラブ系だろ?
となれば、名前からして東欧系ユダヤ人だね。
この頃、米国のユダヤ人って差別の対象であったくせに
黒人や他の有色人種には非常に差別的だったんだよ。
母親の大内信江さんにしても
米軍政下の占領地だった沖縄で英語もしゃべれないのに
米国人と恋愛して妊娠までしちゃうってのは愚か過ぎるだろ。
軍政下での沖縄民が最も嫌ったのは当の米軍兵じゃなく
米国人と沖縄女性との間に出来た子供や
その母親だったってのは今でも確かめることが出来る事実。
そんな環境だからこそ米国人夫婦へ養子に出さざるを
得なかったってのが真相でしょ。
この話を美談に焼き直すのなら
もう少しきちんと詰めた方が良いね。
※5を見て「叩いてた奴なんて居たかなあ?」と思ったがこういうコメントの事ね
削除過去の自分が身を以てわかりもしないことをさも分かるように上から目線で「愚か」とか言っちゃうとか、まあどれだけ理性的でオツムのいい人なのかね
人生で一度も間違ったことないんだろうなスゴイナー
養子に出したのは当時の日本が父系血統主義で父親が日本人じゃないと国籍貰えなかったからだと思うぞ
削除無国籍扱いになると医療も教育も受けさせるの厳しいからな
まぁ今でも後先考えずに異国の人との恋愛に燃え上がる人は多いけど、当時の沖縄の人なんて貧乏だし今も学力低いが昔はもっと酷かっただろうから
金持ち米兵と言葉も通じない、でもこのトキメキは本物!みたいになったのは何となく想像出来る
子供の名前をお店の名前につけるなんて、ロマンチックな人だったんだろうよ
細かいこと気にするとこういう話はダメだ、最後の締めの一文がお見事だからそれでいいさ
そもそもこの話を、全部美談と受け取ってる人ばかりだと思ってるお前が愚か
削除お母さんが妊娠しちゃった(父親が妊娠させた)事や養子に出した事を100%肯定的に受け取ってるわけじゃない
そういうマイナス面を踏まえても、この話は素晴らしいと感じてるんだよ
わざわざマイナス面をあげつらう24匿名より、良い面を認めてコメントしてるだけなの
24匿名は自分の洞察力の無さを、もう少しきちんと詰めた方が良いね
a・b・cみたいな連中って
削除“ザ・レイプ・オブ・南京”や“悪魔の飽食”を読んで
『ゆ、許せない日本!』ってなっちゃうクチなんだろうな。www
dみたいなアホってネットで真実()とか本気で信じてるアホなのはわかる
削除沖縄県は関係ないよー
削除このお母様は静岡県に住んでいたって前の記事にあるよ
それより学力がどうとか口走ったな…あの機動隊員と同じ穴のムジナなんでしょ
削除24.b
削除日本国籍は母系血統主義だよ。
父親が誰であれ実母が日本人なら日本国籍が貰える
逆は色々と証明が必要になるはず
きっついなぁと思うけど現実問題としてあなたの意見はその通りだと思います。
返信削除でも生まれてきた子供には罪はないし、ハリウッドさんがポジティブに綺麗な話として解釈して幸せになれるならそれでもいいのかなと。
進駐軍が置き去りにしたアイノコも沢山いました。
返信削除ジャピーノみたいな子たちな
削除だいぶ遅くなったけど、実の兄弟に出会えてよかったね。
返信削除良家の子女でさえ人生が大きく変わった時代です。
返信削除それぞれに色んな歴史があリ苦難があったと思います。
本当に価値があるのは激動の中でも生き抜いたこと。
人を愛した事。子を育てた人々の誠意や、互いに偽らず、
飾らない心で正直に生きること。
そうあろうと心がけても、実はそれはとても難しい事で、
強さも必要なことです。1人だけでは。私はそう思います。
前にハリウッドさんが生き別れたお母様と再開した記事を読みました。その時も涙が出たのに、今回も目がうるうる。時代背景、双方の事情はどうであれ、、お父上にとってお母様は一時のロマンスの相手ではなく、真剣に情熱を捧げた一人の女性だったということが残されたアルバムの写真から伝わります。
返信削除こういうので泣ける人はNHKのファミリーヒストリーでも泣いてそう。泣いたわ。最後の締め方がまた良いじゃないか
返信削除DNAって検査する事多いのかね?
返信削除その結果も検査結果で他人では無いとは言え、見ず知らずの人に教えちゃうのか
ハリウッド氏という方は、なんというか、男の鏡だなあ。惚れ惚れする漢だ。日本人のお母様の若かりし頃の写真をどんな思いで腹違いの兄と見たのだろうか。とにかく素晴らしい物語だった。掲載に感謝感謝です。ありがとう。
返信削除感動した映画化決定
返信削除ハリス海軍大将ってすごいね。なんで日本女性をすぐに見つけられたんだろう。
返信削除やっぱり権力を持つってすごいことなんだね。