米国の映画評論家/小説家のジェームズ・ベラーディネリが運営する映画評論サイト『Reelviews Movie Reviews』より

聲の形 (日本映画, 2016公開)

Silent Voice, A (Japan, 2016)
レビュー by ジェームズ・ベラーディネリ - October 18, 2017


ジェームズ・ベラーディネリ

ベラーディネリは1993年よりUsenetでレビュアーとなる。最初にレビューしたのは『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』であった。ベラーディネリはまたウェブサイト「Reelviews.net」でブログ「ReelThoughts」を書いている。映画評論家のロジャー・イーバートはベラーディネリを「ウェブを拠点とする評論家の中で最高」と称し、ベラーディネリの書籍『Reelviews』では序文を書いた。ベラーディネリオンライン映画批評家協会の会員で、またRotten Tomatoesが承認した評論家でもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・ベラーディネリ





そのアートワークにおいても、そしてそれが扱う主題においても、日本の "アニメ" と伝統的なアメリカの "アニメーション" との間には大きな隔たりが存在する、この映画『聲の形』はその好例だ。

例え何百万年経とうともディズニーがこの素材に近づくことはない。
米国におけるアニメーションは家族のための純粋な娯楽とみなされている。深刻な問題に言及するケースは非常にまれであり、可能な限り見る者に精神的負荷を与えないことを意識して制作されている。

しかし日本人はアニメーションを単に物語を伝える手段と見なし、そこにアニメーションで表現してはならないものは何一つないと考えている。

その姿勢はこの映画『聲の形』に顕著に表れている、それは絵を通して10代の子供たちが抱える闇の部分、いじめや、鬱(うつ)や、自己嫌悪を描き出す物語だ。

最終的には "癒し" と "罪の贖い" がもたらされるものの、この映画はディズニーの幹部ならばプロジェクト自体の凍結を命じるような要素を扱うことになんの尻ごみもしていない。





大今良時による漫画『聲の形』を原作とするこの映画は、いたずら者である石田将也と聴覚障害を持つ心根の優しい少女・西宮硝子の関係を掘り下げていく。

舞台は小学生時代まで遡る。将也の通うクラスにある日、先天性の聴覚障害を持つ硝子が転校してくる。彼女という存在に困惑し、気持ちが定まらない将也は興味本位でからかい始めてしまいそれは次第にエスカレート、彼女の補聴器を奪い投げ捨てたり耳元で大声で叫ぶなどいじめるようになってしまう。

硝子は当初、将也と友好的に接しようとしていたが、彼の素直でない性格と未熟さはそれを不可能にし、彼の行動と彼の友人のものによって打ちのめされた硝子は別の学校に転校していった。

そして将也は一連の出来事が表面化した際に担任教師やクラスメイトに糾弾される。次に高校生となって我々視聴者の前に現れた時には鬱を抱える孤独な人間になっていた。友人もなく孤独を深めていった将也はついには自殺を決意する。

だがそこで二つの出来事がやり直しの機会を彼に与えた。 学校で脅されていた男の子を助けたこと、そして将也と同じくらいに孤独にあった硝子との再会だ。





『聲の形』はいわゆる伝統的な "不良少年と少女が恋に落ちる" 系のストーリーラインには従わない作品だ。

将也と硝子の関にロマンチックな要素もあるがあくまでそれは裏方の仕事に徹している、この映画には他にもっと大切な仕事がある。

将也と硝子は共に大きく傷ついており、山田尚子監督はそんな彼らの人間的な弱さ・葛藤を観客が理解しより共感が持てるよう尽力した。最も重要視されたのは将也の視点だ、彼がいかに深く孤独を感じているのかを我々は理解させられる。

彼は自らが翔子にしたことから罪悪感に支配され身動きが取れない状態にあり、自分の身に起こるすべての悪いことはその罪に対する罰であり、その罰を受ける必要のある人間であるとの気持ちを抱いていた。

一方で翔子側でも同じように自分に無価値感を感じ苦しんでいた。それは将也と硝子の再会によりしばらく身を隠したがやがて再浮上、彼女に劇的な行動を取らせてしまう。
映画では物語が断片化している、描かれるべきものが描かれていないと感じ混乱させられる瞬間が幾度か存在した。将也と硝子にもっと焦点を当てていれば、よりまとまりのあるものになっていたかもしれない。

登場するサイドキャラクターの多くが "未完成" であるため主役たち間のダイナミズムを妨げてしまっているのだ。

聞くところによると原作のマンガではこれらのキャラクターたちに焦点を当てた一連のシーンが存在したようだ。だが映画というフォーマットの時間的制約のため(この映画はすでに130分の長さという長さになっている)それらの "切り捨て" と "圧縮" が映画化には必要だったのだろう。





山田尚子監督は宮崎駿の引退によって生み出された空白を埋めようとする "新進気鋭" のアニメーション映画制作者の一人であると見なされているという。そしてこの映画『聲の形』のアートワークを見た後ではそう見なされる理由が容易に理解できる。

背景は非常に豊かな表現力を持ちキャラクターたちは、いかにも日本のアニメ的なキャラクターに見えるにもかかわらず、それぞれに個性を感じさせる。

山田監督はまた "カメラ" というものをどう扱えば最良の効果を得られるかを理解している。例えば将也の視点から見たショットの多くは人々の脚と足(足首から下)に焦点を当てている、彼は人の顔を直視することがほとんどないからだ。彼の視線は常に下を向いている。
また思わず心を奪われてしまうようなショットもいくつか存在した。特に2つが心に浮かぶ。

1つは将也が溢れんばかりの鯉が泳ぐ小川を見下ろしその姿が水の波紋の中で反射し映る場面、そしてもう一つは背景で爆ぜる花火が翔子の輪郭を浮かび上がらせる場面だ。



私は日本のマンガを熟知している人間ではないのでこの映画がその原作にどれだけ忠実であるかを詳細に分析することはできない、だがそれをしているレビューが他に存在しているので気になる方はそちらを読むとよろしいだろう。

私の視点はもっとカジュアルなアニメ視聴者のものだ、そしてこの映画『聲の形』はこのジャンルの頂点に君臨する偉大な作品たちに届かないまでも、あと少しと呼べる程度に見る価値を提供する。少なくとも私が今までに見た生ぬるい2017年のアメリカ製のアニメーション作品のどれよりも価値ある体験をもたらすのは間違いない。

そのチャレンジングな内容と豊かなビジュアルはこの物語が抱える未完成部分を補って余りあるものにしている。


映画評論家による映画レビューを一か所にまとめたウェブサイト『ロッテン・トマト』での評価(2018/08/25時点)

https://www.rottentomatoes.com/m/a_silent_voice/

(肯定的か否定的かで評価され前者は "fresh"(新鮮)として赤いトマトの、後者は "rotten"(腐ってる)として緑の潰れたトマトのアイコンがつけられる)

批評家の肯定的な意見の割合:93%
批評家の平均スコア:7.6/10
レビュー数: 28
Fresh(肯定的): 26
Rotten(否定的): 2

一般人の肯定的な意見の割合:91%
一般人の平均スコア: 4.4/5
ユーザー数: 2,892

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海外の反応

rottentomatoes.com, reddit.comのコメント欄より: ソース , ソース


Berta E February 私が今感じている感動をはっきりと伝わる言葉で表現できない。Perfect. Just perfect.

rottentomatoes-id-976580288 アニメだからと早まった判断をしてはいけない。

私は日本のアニメのファンではなく、そもそもこの映画を見るつもりもなかった。だが同じくアニメがあまり好きではない友達からこの映画を何度も勧められたので一度くらいは見てもいいかと思い試してみた。この傑作はアニメに対する私の見解を変えた。

私は映画批評家などではないし実際にレビューを書くのもこれが初めてだ。だからアニメーションやサウンドトラックなどの技術的な詳細を取り上げるつもりはない。私が言う唯一のことは、映画『聲の形』を見たら原作であるマンガを読むべきだということだけだ。それは物語をよりよく理解し各キャラクターを詳しく知ることに繋がる。

興奮状態にあるからこの作品を私が今まで見た中で映画の中で最高の作品だとはまだ言わないが、少なくとも私の心の中に永遠の残るということだけは明言しておこう。

smurf1194 北米最大のアニメ・コンベンション『アニメ・エキスポ』で聲の形が上映された時にこのフィルムの一切れ、2番目にベストガールな彼女の寝姿のシーンをもらったった。

BBSNYPUR 妬ましや...

waifu_boy こんなにも激しく嫉妬したのは初めてだぜ...

smurf1194 一緒に行った友達は翔子の謝るシーンのを貰ってて私はその子に嫉妬したけどね。

jereddit "2番目にベストガール"
なんだァ?てめェ・・・

honam1021 そりゃだって1番のベストは翔子だもの。

ShiftyWeeb 素手?!

obachuka まぁ指紋は付くだろうけど投影するわけでもないし別によかろう。

jonsonsama 行けばよかったと激しく後悔している。

AvantAveGarde 私はアニメ・エキスポに行ったよ、そしてこれを貰うために2時間も行列に並んだ。上限に達しました、だってさ ;_;

Apocalypse_vyse 植野がビッチであるにもかかわらず「可愛いのでOK」などとのたまう輩は彼女以上にビッチである。

Originally_Sin この物語は過去は変えられないがこれからは自分次第であるというのがテーマだ、そして自らをビッチであると自覚するビッチは成長する余地を残している。彼女が主人公たちと同じようにやがては成長するだろうことを予想するのも楽しいものである。

strikeraiser 先週ここフィリピンの映画館で公開されたときにこの映画を見た。美しいの一言だ、『君の名は。』を見た時もその作品のことを調べたりこうして掲示板に書き込んだりとしていたがこの『聲の形』の方がもっと時間を割いている気がする。

面白いことにこの映画はフィリピンでは "ロマンス映画" として宣伝されていた、より多くの人間に興味を持ってもらうためだろうね。でも実際の映画はそうではなかった。それは償い、友情、そして将也と硝子の葛藤の物語だった。

植野直花と川井みきの二人のビッチが大嫌いになったが、彼女たちの性格がどれほどリアルだったかを否定することはできない。多くの人々が彼女たちを嫌うのは彼女たちが持つ側面が自分の中にもあるからだろう。

将也と硝子のロマンスに関しては期待外れなところがあったけど、この物語のポイントはそこではないのだからあれはあれで良かったと思える。そりゃ中盤の告白シーンではわっくわくしましたよ、でも物語がそのテーマに重きを置いたことは十分納得のできるものだった。

cosmicblaze454 わかる、私も今は『聲の形』で頭がいっぱいだ。今もこの映画を見た時の感情が蘇ってくる、テーマソングを聞くたびに胸が締め付けられる。

Thanatologic 『君の名は。』にあったスペクタクルはこの映画に無かったけど、三葉や瀧よりもしょーちゃん達の方が感情移入できた。やってくれたぜ京アニ!

reiko96 Koe No Katachi > Your Name
文句のあるやつはかかって来いや!

FloatingGrandPiano Koe no Katachi >>> Your Name.
かかって来いや!

urban287 映画として見た場合『聲の形』の方が全体的に優れていたように思える。でも『君の名は。』の方が楽しい映画だったかな。

xdamm777 『聲の形』がロマンスでないことは知っているけど、主人公2人が生む化学変化、その相互関係、成長っぷりを見ていると終盤にかけてもっと関係が深いものになっていたらと思ってしまう。『君の名は。』はもっとリラックスして見れるしモヤモヤも超落ち込むような展開もないからもっと素直に楽しめた感があるわ。

joepanda111 キャラクターたちが素晴らしい現実感を持っている作品だった、その感情のリアルさに何度も泣かされたよ。

Feking98 そのアートもアニメーションもさすが京アニって感じで素晴らしかったけどこの作品を2時間に収めることには失敗したように思える。サイドキャラクターをばっさりカットして硝子と将也、そしてその家族にフォーカスした方がよかった。植野直花と永束友宏は物語のテーマ上必要だっただろうけど他はカットすべきだったな。

Demanter とても有意義で、心温まる、美しい映画だった。
欠点とまでは言わないが主人公たちの脇を固めるサイドキャラクターたちはそのどれもが掘り下げ不足だったように感じる。(植野以外。彼女のキャラクターは個人的にとても良かった)

あの赤髪、誰やねん?
ってな感じ

これは原作マンガを読めという事か!

joepanda111 小学生時代の硝子と将也のケンカはかなり激しかったな。あそこでの硝子の言葉はグッと刺さったよ...

LolzandpolzUK あの最後のシーンは特に息を呑むものだった。

rottentomatoes-id-977077392 星5つ。最後に映画で泣いたのなんていつ以来だろうか?

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