機動戦士ガンダムを深く熱く語る。part 2 of 3
Digging Deeper: Mobile Suit Gundam, part 2 of 3こんにちわ皆さん、今日もビデオを見てくれてありがとう。前回に引き続きオリジナルテレビアニメシリーズ「機動戦士ガンダム」について深く語っていこうと思う。前回のビデオでは機動戦士ガンダムのメインテーマ、「責任」や「成長」、「世界観」などについて語ったが今回は印象的なシーンについて触れてみたいと思う。前回語った事に関係しているシーンだ。
ブライトがアムロを殴るシーン
この機動戦士ガンダムという作品において重要なテーマとなっているのが「責任」だ。そしてそれを最も表しているのは"あの"有名なブライトがアムロを殴るシーンだ。そう、あのブライトが不満や泣き言を言うアムロの顔を引っ叩くところ、2回もだ。
大人がティーンエイジャーを引っ叩くというのはあまり見かけることはない、現実でもフィクションでもだ。そしてアムロがあの有名なセリフを言う。
「ぶったね…」
「二度もぶった…!!」
「親父にもぶたれたことないのに!!!」
そしてブライトは振り返ってこう言う。
「こんなくだらないやり取りをしている暇はない、おまえは早く一人前になる必要があるんだ。」
( オリジナルは「それが甘ったれなんだ!殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」です。Brentさんがうろ覚えだったのかもしれませんがおそらく英語吹き替えがそうだったのだろうと思います。)
とても印象的なシーンだ。先ほども言ったようにあまり見かけることはない光景だがなぜこのシーンが機動戦士ガンダムに必要だったのか?
アムロはこのシーンでガンダムを操縦する事を拒んでいるのだがそれは彼が契約書を交わした訳でも、自らの意思で操縦すると決めた訳でもなく、ただ彼以外には操縦できないから仕方がなくガンダムに乗り込んだ、そんな状況に疲れきっているからだ。
そしてブライトはそれを十分理解しているし、そしてだからこそアムロがガンダムを操縦しなければならないと考えている。そのことに不平不満を言う事自体がナンセンスであり、それはホワイトベースにいる人々を危険な状況に追い込んでしまう、それをブライトはとても危惧している。
ブライトが言う通りアムロは早く一人前にならなければならない、実際彼は15歳だしその年齢なら大人になるべく人格的にも成長しなければならない。そしてこの成長と言うキーワードは機動戦士ガンダムにおいてとても重要な意味を持っていて、前回のビデオでも言ったようにこのようなシーンの積み重ねがキャラクター達の変化に説得力を与えてくれるのだ。
スレッガーがカムランを殴るシーン
そのキーワードとは直接関係はないがある意味関わってくるのが物語り後半のスレッガー・ロウのシーンだ。ホワイトベースがサイド6に寄港した際にミライが婚約者と再開する。婚約者は彼女にサイド6に残る様に迫る、彼女が拒んでいるにも関わらずだ。そこにスレッガーが颯爽と現れ婚約者のメガネを優しく外し、パンチを食らわせ、メガネを戻す。そこで彼はこう言う、
「・・・下手なちょっかいを出してほしくないもんだな」
このシーンはいかにスレッガーがミライを気遣かっているかを良く表している。そしてなぜこのシーンが印象的かと言えばそれは他人を気遣う事、他人を理解する事が機動戦士ガンダムという物語において重要な意味を持つからだ。またそれはザビ家の人々が決してしない事でもある。
自分のことしか考えていない子供だったアムロは物語を通じて他人を理解し共感する方法を、もがき苦しみながら学んでいく。搭乗人物たちの取った行動の意味を、彼らを突き動かしたその理由を必死に理解しようとし続けていた。
特に物語の後半にかけてキャラクター達は互いの気持ちや感情の理解を深め合うことで困難に立ち向かっていった。共感することは機動戦士ガンダムのとても重要なテーマだ、それこそがニュータイプの力の本質だからだ。
スレッガーが相手の気持ちをまったく考えない婚約者をパンチするシーンは、他人への共感を持とうとしない行為を戒める役割があり、その重要性をとてもドラマティックに描いたシーンだと言える。
シャアがガルマを陥れるシーン/ギレンの演説
前回のビデオでも話した「戦争は人をおかしくする」というテーマを良く表しているのはシャアがガルマを陥れたシーンとそれに続くギレンの演説だろう。それまでの物語で2人は仲良さげに会話する友人であるという事や、シャアというキャラクターが尊敬に値する、かなり魅力的な人物であるということを視聴者は理解していたはずだ。
ところが突然シャアはガルマを陥れる破壊工作を行い、墜落していく飛行機を前にシャアは狂気じみた笑い声を上げる。この時視聴者はかなりショックを受けたはずだ。物語の中で初めて全く理解できない事が行われていたからだ。
このシーンは作品に対する理解を大きく変えるシーンだ。この作品は表面上は全く筋の通らない、だが後になってようやく理解できるというプロットを見せる事に何のためらいも持っていない。
同時にシャアと言うキャラクターはただの頼もしいパイロットや指揮官ではなく、何か重要な背景を持つ人物だったとその奇妙な行動で視聴者は理解する。
テレビアニメシリーズで観る者に挑戦状を叩きつけるようなことを製作者達がしたことに驚きと感動を覚える。
そしてその後のガルマの葬儀式典でのギレンの演説、アニメ史に残る、後の作品に様々な影響を残した素晴らしい演説だ。この演説シーンが特別なのは、一個人に起きた事件を群集を特定の思想に駆り立てることに利用していることだ。ガルマが命を落としたことなど戦争という大局においては はっきり言って無意味だ。
だがギレンはその出来事を人々に行動を起こさせるためのスローガンに仕立て上げた。これは明らかにナチをイメージしたもので、実際彼は作中で実父にヒトラーの尻尾と呼ばれてた。
このシーンは視聴者にナチズムが当時の人々にセンセーショナルに取り上げられていたことを、我々は忘れがちだがそれは実際に大きなうねりとなって人々を狂気に駆り立てたということを、突然湧いて出てきたのではなく小さなグループに過ぎなかったナチズムを人々は受け入れ支持したと言う事を忘れてはならないと訴えかけるシーンだ。
アムロの家族に関するシーン
そしてアムロの家族に関するシーンも取り上げないわけにはいかない。ガンダムシリーズや他のメカアニメの主人公には珍しいことだが、機動戦士ガンダムではアムロの両親が登場する。
アムロの父親は初登場以来しばらく姿を見せなかった。初めて見たときは気付かなかったが物語の最初のエピソードでの戦いで、アムロが意図しない形で空けてしまったスペースコロニーに開いた穴から人が吸い出されていくシーンがあったが、その宇宙空間に吸い出された人の中に彼の父親がいた。
アムロは間接的にではあるが、父親が酸素欠乏症により正気を失ってしまった事に対する責任があると言える。前回のビデオでも触れたように、この世界では人類は宇宙空間を生息域にしているがそこは未だにフロンティアだと見なされており、常に宇宙空間に放り出され命を失う危険に晒される恐ろしい場所なのだということを認識させてくれる。
アムロという常に心を揺り動かされ一喜一憂しているキャラクターが、ニュータイプという力だけでなく優れた思考力を持ちその能力で敵の動きを予測し出し抜いてきた彼が、変わり果てた父親の姿を見るシーンは視聴者をとても不安にさせる。
特にアムロが父親の安否を気にしたり、ホワイトベースのクルー達と長く同じ時間を過ごしてきた後で、心を閉ざしてしまった父親を見るというのはとてもショッキングであり、ダークで重苦しいテーマのアニメ以外でその様なシーンを見ることは滅多にない。とても印象的だ。
また母親との再会も、というよりあのエピソード全体が印象深い。アムロが幼い日々を過ごした家に帰ってみると大勢の連邦兵が乱痴気騒ぎを起こしていた。ここのシーンはこの作品が単なる善と悪の戦いではないということを再認識させてくれる。
アムロたちが属する地球連邦側の人間も他の全てと同じように不愉快な人物がいたりする。この作品にも善と悪は存在するが、そこに登場する人物は皆そのどちらにも引き付けられるのだ。そのリアルさがガンダムという作品が人気になった理由であり、他の作品とは違っていた点だ。
そして母親と再会するシーンにも色々と語りたいことがあるのだが、中でも自分の身を守るためにジオン兵を銃で撃ったアムロを母親が恐れる所は特に印象的だ。彼女は間違いなくアムロを愛しているが、アムロが兵士になってしまった事実に、彼女が持つ平和主義的観点を今のアムロは拒否していることに恐怖を抱いたのだ。
興味深い事にアムロはその後しばらくその様な観点を揶揄するようになる。その平和主義的観点とはそれまでの多くのメカアニメでは当たり前の事だった。「誰にでも良くするべきだ、誰もが本当は良い人なのだから」というのがそれまでのアニメだとしたら「誰もが良い人間な訳ではない、全ての人間がその様な観念を持てるわけではない」と言い放つのがアムロというキャラクターだ。
そして最後の非常に心を痛めるラストショットだ。私は以前雑誌の「ニュータイプ」で読んだのだがキャラクターデザイナーによると、母親を残しホワイトベースが去って行くそのショットはガンダムの核となるシーンで、子ども時代の象徴である母親を残し去り、自分の新たな居場所を探し自分が大事に思うものを守ると決意する意味があったという。実に興味深い。
機動戦士ガンダムは素晴らしい作品だ。だがそんな作品にも正直どうかしていると思えるシーンがある。それは~
続きのリュウ、マチルダ、白兵戦、ギレン・キシリアのシーンはこちら
なかなかおもしろかった
返信削除ツボですかね
返信削除ブライトのビンタは当時の日本の親父が息子にすることとしては普通だったが、アメリカの常識には合わないからセリフを改変したわけだな
返信削除ブライトさんのシーンはブライトさん自身の未熟さも表現してるのよなぁ
返信削除あとアムロのかーちゃんはあそこで不倫相手作ってる毒親でもある
オリジナルと違う台詞が書いてあると突っ込みたくなるな
返信削除富野監督特有の言い回しが翻訳で消えるのは勿体ない
一年戦争時代ブライトさん19才なんだよね
返信削除前回のときも思ったけど、この人ほんとよく見てるなぁ。
返信削除またまた勉強になった。
ってことで思ったけど、向こうのアニメには
ガンダムなんかで描かれてるこういう内容の作品ってあるんだろうか。
ミハルのシーンについても言及してほしいな
返信削除※4
返信削除> アムロのかーちゃんはあそこで不倫相手作ってる毒親
マジかーーーーーーーっ!!!
「時間よ止まれ」が一番好きかも
返信削除俺はリアルタイムで見た世代じゃないけど、母子家庭で育ったからか、
返信削除こんなクズが母親で、アムロかわいそうだな、みたいなことを思ったのは覚えてる
低酸素症で狂った親父みるアムロのまなざし
返信削除あの体験観てるみんなにも必ず訪れるんだよね
つまり立派だった親父がどこかのタイミングで明らかに老化現象が出てくる
それはイコール自分が大人になった象徴でもあったりする
すごく面白いねー
返信削除マチルダやリュウの特攻はさすがにおかしいと思ったのかなw
殴ったブライトじゃなくて、殴られた後のアムロの態度と言葉に意味があるんだがな。
返信削除アムロ実家で軍人が騒いでるのは空っぽの家の象徴だな。
父が仕事に没頭で家庭省みず、母が愛人、アムロも機械弄り好きで食事も忘れる、結果誰も家庭に居なかったし結びつける努力をしなかったので空っぽ。
だからララァに帰るべき家も守るべき人もいないと図星を差されてドキッとする。
最後に帰れる場所があるんだのセリフは家庭以外の場所を見つけたから。
※9そうだよ。庵野秀明が山賀の妹におもてなしする場面でそう言っていたぞ。詳しくは、アオイホノオの原作かTVドラマを確認してくれ!
返信削除>他人を気遣う事、他人を理解する事が機動戦士ガンダムという物語において重要な意味を持つからだ。またそれはザビ家の人々が決してしない事でもある。
返信削除ここは若干違う。ドズルが撤退を余儀なくされた時、ビグザムでドズルが一人で責任を取る形で、部下を逃がしたからね。敵も人の子だということ。