機動戦士ガンダムを深く熱く語る。part 2 of 3 続き

Digging Deeper: Mobile Suit Gundam, part 2 of 3

前回 の続きより

リュウ・ホセイ/マチルダ・アジャンの殉職シーン


機動戦士ガンダムは素晴らしい作品だ。だがそんな作品にも正直どうかしていると思えるシーンがある。いくつかあるのだが印象的だといえばリュウ・ホセイの討ち死にシーンだ。もちろんドラマチックなシーンではある。

主要な登場人物が、人格的に優れ誰からも愛されるようなキャラクターが作中で命を落とす、そんな表現をアニメで確立したのはおそらく永井豪のメカアニメが最初だろう。自分勝手な行動をする人物や年老いた博士などが散るシーンは今までもあったが、それでも明るく愛されるデブキャラが命を落とすことはなかった。なぜなかったのか、それはリュウのようなキャラクターが命を落とす理由などないからだ。

初期のアニメではキャラクターが命を失うには何らかの理由が、特に過去の行動に対する報いや贖罪的な理由が必要で、道徳的に分かりやすいものでなければならなかった。だがリュウは善人だし誰からも愛されるようなキャラクターだ。

今日の我々はあのようなシーンがあったとしてもショックはそこまで大きくない、AKIRAやカウボーイ・ビバップ、ゴースト・イン・ザ・シェルなど道徳観の曖昧な世界に馴れているからだ。だが1979年当時では非常に珍しかった、キャプテンハーロックや銀河鉄道999など以外では、もっともこれらの作品はガンダムとは全く違う作品だが。

このシーンが印象的なのは今まで当たり前のようにいた主要人物が命を落とすシーンに、これといった理由も必然もないからであり、"やり過ぎなラストシーン"も含め忘れられない場面になっている。

そしてその「理由なき死」の極致とも言えるのが...



マチルダ サァァァン!

そう、彼女もまた皆から尊敬され愛されるキャラクターであったが、間違った場所、間違った時間、あるいは間違った時代にそこにいたというだけで命を散らしてしまう。そういった意味では実際の戦争と同じでありとてもリアルだとも言えるだろう。

ホワイトベースでの白兵戦シーン


この作品のテーマとはあまり関係がないが卓越したシーン、ネルフ内での...ではなくホワイトベース内での白兵戦についても触れてみよう。...別にインスパイアされ過ぎだとか言うつもりはない、どうか忘れて欲しい。

とにかく、ランバ・ラルがホワイトベース艦内に攻撃を仕掛け乗組員との白兵戦の後にホワイトベースに損傷を与え一定の成功を収めたシーンだ。この展開の非凡な所はホワイトベースを難攻不落の要塞などのように描かず、他の戦艦と同様に敵が艦内に侵入する事が可能だと示した所だ。

またランバ・ラルは敵でありながら敬意を持てる素晴らしいキャラクターであり、賢く、人の関心を引く、優秀な戦闘員でもあり、様々な魅力に溢れている。そんな愛すべきキャラクターが数多く登場するのが機動戦士ガンダムを愛してやまない理由の一つだ。

そんな彼がこのエピソードでは奇襲をかけ艦内を惨状に変えていくのだが、メカに搭乗していては艦内の通路での戦いに為す術がないということを痛感させる。これもまたそれまでのメカアニメの伝統を突き放す展開だ。

従来のメカアニメでは巨大ロボットに搭乗し巨大な敵と戦うのが当たり前でそれが全てだったが、この作品では突然乗組員が銃を持ち通路を挟んで命のやり取りをする。とても印象的であると同時に機動戦士ガンダムが追求したリアルさを良く現したシーンだと思う。

ギレン・キシリアのシーン


ザビ家の面々にも印象的なシーンはたくさんある。それぞれ興味深いキャラクターであり特に富野由悠季監督が書いた小説ではギレンについて詳しく描かれているのだが長くなるので今回はその話はしないでおこう。

中でも注目に値するシーンはギレンが実父であるデギン・ザビを亡き者にするシーンだろう。連邦との和平交渉に向かうデギンの乗った戦艦に、彼の存在を承知のうえで、ソーラ・レイを照射し連邦艦隊諸共破壊したシーンだ。ギレンは自らの政治ゲームのために実父を手にかけたのだが、このシーンはギレンと言う人物がどういった人間なのかを思い出させてくれる。

登場人物たちはそれぞれ複雑な思惑があるのだがこのキャラクターは救い難い悪人であり、一線を越えてしまっている。彼は自分が行っている事も、兵士達が次々と命を失っていく事も、善人、あるいは善人になり得たかもしれない人物を消す事も全て理解し正しいと思っている。

物語後半で再び「戦争は人をおかしくする」というテーマにスポットライトを当てたことにとても感銘を受ける。

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そしてキシリアがギレンを手にかけるあの見事な一連のシーンだ。ギレンがデギンの乗った戦艦諸共破壊したことをキシリアが問いただし、ギレンの頭に銃を突きつけ撃つ。このラストの重要な場面においても、ロボットではなく直接人間の手で決着がつけられる。

撃たれたギレンは宙を舞い、周囲のジオン兵は呆然とそれを見つめる。その後のやり取りは実に見事だ。副官のような男が

反逆者ギレン・ザビの処刑に立会いそれが行われた事を証言いたします。

と政治的に機転の利いた反応を直ぐに返す。

今目の前で起きたことを全て理解している、あなたは正しい事をした、あなたが新たなリーダーだ、今後のご采配をどうぞ、と言葉にしなくても彼がそう言いたいのだと伝わってくる。

(※オリジナルは
キシリア:「父殺しの罪はたとえ総帥であっても免れることはできない。異議のある者はこの戦い終了後、法廷に申したてい!」
トワニング:「ギレン総帥は名誉の戦死をされた。キシリア閣下、御采配を」

です。Brentさんがうろ覚えだったのかもしれませんがおそらく英語吹き替えがそうだったのだろうと思います。 )

とても堅苦しいがシンプルで素晴らしい脚本だ。

ギレンは常に家族から距離を取るようにしていた男だ。そして同時に彼らを自分への脅威にはなりえないと見下していたし、彼らが道徳的観点から行動することなどないと決め付けていた。

独裁者はしばしばそれが原因で失脚する。道徳心を持たない者は、他の者の道徳心を測ることなどできない、それが失脚の原因になるとは想像も出来ないのだ。だから実の妹に破滅させられることになる、とても納得のいく展開だ。

最後に

今回話したような『機動戦士ガンダム』の印象的なシーンを1つのシーズンでやり遂げている事に本当に驚く。もちろんこれら以外にも語りたい名シーンはたくさんあるのだが、前回のビデオで言及した重要なテーマに関するシーンで真っ先に語りたいと思ったものを取り上げてみた。

次回はそれぞれのキャラクターについて深く掘り下げてみたいと思う。彼らの存在がどの様に機動戦士ガンダムという作品を纏めているのかなどについてだ。次回をお楽しみに。

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