原爆の音
The Sound of an Atomic Bomb by Adrienne LaFrance - Aug 8, 2017原子爆弾と聞いて我々が思い浮かべる心的イメージはよくよく考えてみれば奇妙だ。無菌と言えばいいのだろうか。核兵器の恐怖を知っているすべての人にとってそれはこの世のものとは思えない不吉さを持っている。白黒の映像、巨大な煙がもくもくと空高く上昇する映像、そして音がない映像、多くの人はこのようなイメージを思い浮かべるだろう。
この理由は理解できる。核兵器は人に対して使用されるよりもはるかにたくさんテストされてきたが、実際に音の入った記録映像を目にした事がある人はどれだけいるだろうか? そして実際に人に使われたのは2回だけ、72年前の広島と長崎だ。写真家は原爆により荒廃した光景を数多くカメラに収めた、だがその光景がビデオに記録された事はほとんどなかった。
当時、原爆の爆発から生存できた人たちはその恐怖の瞬間にどんな光景を目にし、どんな音を聞いたかの体験を人々に共有した。1946年にThe New Yorkerにから出版されたJohn Herseyの有名なレポートはその瞬間を「無音の閃光」と記述している。曰く、目のくらむような強い光と強烈な圧力が襲った。それは想像できる、だが音がないとはどういうことか?
「広島にいた人の殆ど誰もが爆弾の音を聞いていない」とHersey氏は記している。Hersey氏によると、原爆が爆発した際に内海で平底船に乗っていた一人の漁師が閃光を目にし、とてつもない爆発音を聞いたという。その漁師は広島から約20マイル(32km)離れていたが、その音はB-29爆撃機が岩国を襲った時に5マイル(8km)離れた場所から聞こえた音よりも巨大だったという。
2:38に原子爆弾が爆発。灼熱の炎が立ち上がる
3:09に爆発音。黒い空を背景に爆発によって生まれたきのこ雲の様子が映し出される。
4:33。空が明るくなるにつれて黒い雲が薄れていく。
6:30。ジョシュアの木とユッカの低木だけが生えた砂漠に小型ヘリコプターが降り立つ。
7:40。実験後、ジョン・R・ホッジ(John R. Hodge)将軍が朝日のまぶしさに瞬きを繰り返しながらマイクの前に立つ。
「今回の核実験は私が考えるに非常にうまくいった。兵士達がどのような反応を見せたかはとても興味深かった。核爆弾の爆発を初めて見た兵士は少々怯えたようだが兵士全体としては恐怖に慄いた者はいなかった。」
「彼らはいついかなる時も冷静に行動する米軍兵士らしく行動したといえる。」
Thomas R どんな音かと思って再生したら中々爆発しないから別の作業を始めた。そしてら急にどでかい爆発音が鳴り響いてドキッとした。力強く、ゾッとする音だ。
Getter 身の毛のよだつような音だ。
Jason Unwin 爆発による閃光から音が届くまでかなり時間がかかっている。安全のために相当な距離を置いたみたいだな。
Valentin Dragan 29秒くらいか、たぶん距離にすると10kmは離れていたはず。
Lord Nibbler
この記事のトップに使われている画像は1946年にアメリカがビキニ環礁で行った核実験「クロスロード作戦」のものだ。それはこれまで35mmフィルムで撮影された原爆の映像の中で最も印象的な映像の一つだろう。原爆を水面の下に置くことで爆発のエフェクトがより印象的になっている。息を呑むような凄まじさだ。気になった人はYoutubeの動画を見てくれ。
だが実際に地上で使用された場合はこんなものではない。近くにいるものは気化し、ある程度距離があっても肌が溶け落ちるか急性の放射線病で命を落とす。
Jack B この映像を見て船が見になった人がいるかもしれないがあれは爆風や爆発の影響を調べる目的で設置された古い船だ。もちろん無人だ。
George Smith 人は乗っていなかったけど動物は乗っていたぞ。ヤギとか。
Jason P もしかしたら今年中に我々も実際に目にする事になるかもしれないけどな。
Dopey The Dwarf 勘弁して欲しい...
Getter そうならないことを祈るよ。
菊池 雄介 こんなもので世界中を威嚇して、世界の警察などとのたまってきたアメリカ。 北朝鮮が核ミサイルを持ったら、因果応報ですね。 そんなことにならぬよう、核兵器禁止条約を有効にしなきゃ。 ね、安倍さん。
Jim Hassinger テレビで核実験の爆発を見たのを覚えている。私は東部時間の午前5時か6時に起きてそれを見た。ユッカフラットという名は聞き馴染みがある地名だ。当時私は10歳にもなっていなかったな。
Lollypop
1973年まで朝鮮戦争で空軍パイロットをしていた父から原爆についての話を聞いたことを覚えている。父は原子爆弾がどのような光景を生み出したかを知っていてそれを子供の私に説明した。
だからその当時見た悪夢は私の最古の記憶として残っていた。真っ黒な人達が黒く汚れた水に浸かった家の土台の周りを行進するという恐ろしい夢、私が今までに見た夢の中で最悪のものだ。
そして大きくなってから、広島の原爆投下を元にしたノンフィクションの本「The Last Train from Hiroshima: The Survivors Look Back」という本をたまたま読んだ際にその悪夢が蘇ってきた。元々は歴史好きな父のために買った本だが父は読もうとはしてくれなかった。
Tammy Hardin 私たちがこの時代に逆戻りしているかのようでとても不安だ。しかも現在の大統領は問題を良い方向に持っていくことができるとは思えない。やはり外交こそが重要だ、大統領は「北は炎と怒りに見舞われる」と発言したが現在の政治情勢を考えれば正解とは言えないだろう。
Haydn Fan 米国による日本への原爆投下ついて論争など必要ない。戦争終結のために何十万人もの命を奪う必要があったなどと考える人々の主張はただただ愚かだ。
Dopey The Dwarf
それは違う。日本軍は原爆が落とされた後も降伏を受け入れようとはしなかった。彼らは日本政府によって説得されて降伏を認めたんだ。
(関連記事: なぜ日本への原爆投下は正しかったのか? アメリカ人保守層が語るその正当性。(海外の反応) )
basarov アメリカ人は卑劣だ。原子爆弾で25万人の民間人を殺害したことを謝罪しせずにその不道徳な行いを正当化し賞賛する。
brightlight
もし我々が原爆を落とさなかったなら遥かに酷い惨劇が待っていたはずだ。人々は米軍が日本本土に侵攻した場合どうなっていたかを考えない、実際に起きなかったからだ。
上陸作戦の成功には敵側1に対して攻撃側が3の戦力を必要とする。1945年時点でその比率は1:1といったところだっただろう。マッカーサーならそれでも実行しようとしたかもしれないがワシントンは許さなかったはずだ。
そして戦争が続いていた場合米軍は日本の戦力を削ぐために海上封鎖と爆撃をより激しく行っただろう。貨物船はもちろん漁船も活動できないようにし鉄道も破壊、まだ爆撃を受けなかった都市にも爆弾が雨のように落とされあらゆるインフラが破壊されていたはずだ。そして稲を枯れさせる病原菌をばら撒いて国民を飢えさせていただろう。
Dan Afrasiabi
ジョン・R・ホッジ将軍の話の続きが印象的だ。
(比較的爆心地に近い塹壕の中で待機させられた兵士達がどの様な反応を見せたかを聞かれて)
「兵士達は自制心を持って行動した。核兵器が我々に対し使われた際どう対応すべきかを考える上でも、今回の実験で彼らが体感した経験は軍の同胞たちだけでなく市民のためにも役に立つだろう。この核兵器について理解するためには彼らが必要だ、そうすることで我々はこの兵器を賢く使用することができる。」
ピカ→ドン
返信削除菊池 雄介 ←なんだこの成りすまし
返信削除あの理屈ならむしろ核拡散を主張すべきじゃないのと思ったよw
削除(昔のおそらくは今より高品質ではない)マイクで拾った音だから、その場で実際に聞いた音とは違うだろうね。
返信削除閃光から三十秒で爆発音か
返信削除えらく近くから観察してたんだね
無知って恐ろしいわ
原爆10kmなら
削除そのあと爆心地に行ったり、雨にうたれたりしなければ、そこまで被害はない
問題は、本当に使うか使わないか、というところにあるんじゃないのか?アメリカが悪い、悪くない、はあんまり関係ないと思うし、どちらの主張も事実であることに変わりはないと思う。第三の被爆都市をいかにして作らないかを考えていくのが今の世代、あの時生き延びた人々、これからの世代 に必要だと思う。でも、一つ言えることは、核兵器は人類を滅亡させることができる、ということだ。それを保持している限り、三度目の悲劇はいつか必ず起きると思う。 ��こんなコメントひとつで世界を変えることはできないし、核兵器はもちろん無くならない。人は考え方次第でどうにでもなれる。僕のような考えを持つ人がいれば、逆の考えを持つ人もいる。どちらによせるのか、それを決めるのは、僕でもあり、世界中の人類でもある。滅ぶか滅ばないかは、自分の一票で変わるかもしれないということを、忘れないでいたい。
返信削除もう死んじゃったけどうちのじいちゃんはその戦争体験したって言ってた大阪人やった
返信削除