日本で生まれ育った黒人のハーフの経験 パート1

Growing Up Half Black in Japan Pt. 1| Meet a Halfie ft. Joe 日本で生まれ育った黒人のハーフの経験 | HAPA HOUR by Max D. Capo - 2016/06/23
日本関連の話題やハーフの人の経験談を扱うYoutubeチャンネルMax D. Capoより。動画には字幕はありませんが所々日本語で会話しています。 ※06/26 23:00 一部で誤った表記がありましたので修正しました。


Max こんにちわ皆さん、今回もまた日本人とのハーフの人に話を伺うビデオをお送りします。そのために特別なゲストをお呼びしました、私の友人のJoeです。

Joe(黒人ハーフ) 皆さんこんにちわ、私はJoe Oliverです。1982年生まれの33歳、日本人とアフリカ系アメリカ人のハーフです。 でも日本でしか育っていないのでアメリカでは育ったことがありません。

Max 彼の人生は他の大勢の人とはだいぶ違っています。ですので彼の話はきっと皆さんにとって興味深いものになると思います。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Joe(黒人ハーフ) なんか、こんな感じなんだね。ほら、Youtubeの動画だと音楽だったりサウンドがあるからにぎやかだと思ってたんだけど意外と...

Max 静かじゃないとちゃんと話を聞けないし。

Joe(黒人ハーフ) そうだよね。

Max じゃあさっそくだけど、もうちょっと君のバックグラウンドについて教えてくれない?


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Joe(黒人ハーフ) 私の父はアフリカ系アメリカ人、そして母は日本人、2人は日本の東京で出会った。私が生まれ育ったのは神奈川県の横須賀、東京から南に1時間くらいの街だ。父はアメリカ海軍として横須賀の米軍基地で働いていた。

Max じゃあ外国籍の人が結構周りにいたじゃない?

Joe(黒人ハーフ) いやいなかった。外国がルーツとなっている人は私だけだったよ。私が生まれてしばらく後に両親は離婚してしまった。母の出身は東京だったんだけど東京に帰ることができなかった。母は祖父母に子育てを手伝ってもらいたかったんだけど彼らは母が外国人と、特にアフリカ系の父と結婚する事に反対していて縁が切れていたんだ。

Max 祖父母は外国人全てとの結婚に反対していた?

Joe(黒人ハーフ) おそらく全ての外国人を嫌っていたと思う、白人以外は特にね。ヨーロピアンだったり白人だったらまだいいけど...みたいな?

Max いいけどって...

Joe(黒人ハーフ) まぁ、ほんとどうしようもないね。

Max じゃあ君のお父さんは離婚後に帰国して連絡もあまり取らなかったのかな?

Joe(黒人ハーフ) 数えるほどだね。それも手紙とかで。

7歳で初めて人種差別からいじめに遭う

日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max 学校での生活はどうだった?

Joe(黒人ハーフ) 初めて人種差別からいじめに遭ったのは小学校1年の時、私は7歳だった。どうして私を攻撃してくるのか当初は理解できなかったね。

Max 攻撃っていうとこう、たまに殴ってきたりとか?

Joe(黒人ハーフ) いつも殴られていたね。

Max 登校時? 下校時?

Joe(黒人ハーフ) 両方だね。それに学校の中でも。しかも外では大人にもいじめられた。本当に恐怖だったよ、特に大人からのいじめは恐かった。

Max 子供がいじめてくるのはまだ理解できる、子供はバカだからね。でも大人はそりゃ恐かっただろうね。それは外を歩いていると君の事を黒人だからという理由で何か言ってきたりしたのかい?


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Joe(黒人ハーフ) "N-Word"(黒人に対し使われる蔑称であるニガーを遠まわしに言った言葉)の日本語版を言ってくるんだ、"黒んぼ" ってね。

おまえみたいな "黒んぼ" のガキがこんな所にいるなんて目障りなんだよ!」(日本語で)

Max それ本当に言ってきたの?

Joe(黒人ハーフ) ほんとに、ほんとに。もうそう言われることが多すぎて、毎日、1日も欠かさず言われたから慣れたくはなかったけど慣れてしまったね。

Max 君の味方をしてくれる人はお母さんだけだった?

Joe(黒人ハーフ) 母は私を支えようとしてくれたけど...母は女性だったからね、私を全てから守る事はできなかったんだ。たった一人で私を育ててくれたシングルマザーである母は母親であると同時に"父"にもなろうと努力してくれた、残念ながらそれは叶わなかったけど母が私を愛してくれた事は理解しているよ。

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Max 今は昔と比べて日本人と黒人のハーフの人も増えてきたしそんな人たちをサポートする体制も整い始めてきた。それに...所謂 "ハーフの人はクール" だという認識も広がってきたと思う。

Joe(黒人ハーフ) ふふっ、そうだね、"ハーフって素敵" みたいなのが。

Max だからこそ他のハーフの人たちが君と同じような非常に辛い経験をしたかどうかはちょっとわからないし、誰もがそんな経験をするわけじゃないと指摘しておくべきかな。君がこの話をしたとき私はそんなことが起こるなんて信じられなかったよ。

Joe(黒人ハーフ) とても辛い経験だったけど同じようなことを大人になってから経験していたらとても耐えられなかったと思うね。子供だったからこそ乗り越えられたと思うよ、子供はそういったことに対して大人よりも強いんだ。

Max そう思うの?

Joe(黒人ハーフ) 私はね。

Max 私なら駄目になっちゃいそうだ...

(動画のパート3では具体的にどの様ないじめを受けたのかを語っています。例えば数人に羽交い絞めにされて小便をかけられたりしたそうです。)

16歳になり地元とは違う地域の高校に通い始める

日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max いじめは7歳からいくつくらいまで続いたの?

Joe(黒人ハーフ) 私は18歳の時に地元でのレイシズムを解決した。全ての問題をその時に終わらせたんだ。(どのように解決したかはパート2で)でもそれまでは差別に遭い続け友達も高校に入るまでいなかった、一人もね。

Max その原因は横須賀という街にあると思う?

Joe(黒人ハーフ) 基本的にはそうだと言えるね。あそこには米軍基地があるから人々はアメリカ人に対しとても強い悪感情を抱いているんだ。

Max 中学校時代について言及しておくべきことはあるかい?

Joe(黒人ハーフ) ん~、中学校は小学校と同じような感じだからね。小学校の連中がそのまま中学校に移ったようなもんだからほとんど変化はなかったよ。 でも高校は違う。横須賀ではない他の地域の高校を選んだんだ。そこでは今まで会ったことがない人たちがクラスメイトだったし皆とてもいい人たちだったよ。

Max でもみんな日本人だった?

Joe(黒人ハーフ) そうだね。でもその高校に通っている人は家族がトラブルを抱えている人が多かったんだ。差別もいじめもなかったよ。友人の一人は家族が借金をしていてね、2億円くらい。

Max マジで!?!? 借金2億円!?

Joe(黒人ハーフ) そう、借金家族とか家族に問題がある生徒が多かった。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max 弱い立場の困難に陥っている人同士 だからこその連帯感みたいなのが?

Joe(黒人ハーフ) そうそうそう! なんか妙に気が合うの!

Max それは高校だからだいたい16歳くらいかな?

Joe(黒人ハーフ) そう、16歳だ。でも残念ながら高校の中にいる間は良かったんだけど地元では状況は変わらなかったね。

17歳になった時、母親がJoeをモデルとしてのキャリアをスタートさせる手助けをし始める

日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Max その頃に君のお母さんはJoeにモデルとしてのキャリアをスタートさせるべく色々としてくれたそうだね。

Joe(黒人ハーフ) ああ、母はたくさん私の写真を撮ってくれたよ。何枚くらいだったかな? 1000枚、2000枚、とにかくたくさんの写真を撮ってモデル事務所に送ってくれたんだ。

Max モデルの仕事を始めてから何か変わった?

Joeさんは日本のファッション誌で初の黒人モデルになったそうです

Joe(黒人ハーフ) 外を歩いているとたくさんの人がこちらを見て雑誌で見たことがあると声をかけてくれるようになった。私のこと、仕事へのモチベーションなどを聞き、それを身の回りの人と共有しようとしてきたんだ。ヒーローみたいな扱いをされたよ。あまり言いたくはないけど奴隷から英雄になったみたいな気分だったね。

Max 剣闘士がヒーローになったみたいな?

Joe(黒人ハーフ) 大げさかもしれないけどそんな感じかな。

Max いや、君はそう言ってもいい資格があると思うよ。それからは身の回りを含め全てが変わったのかな?

Joe(黒人ハーフ) そうだね、色んなことが変わった。でもそれはちょうど母が亡くなった時でもあったんだ。

Max うん、それはとても重要な出来事だね。君の話ではお母さんはかなり頑張って働いていたそうだね、亡くなる直前まで。


日本で生まれ育った黒人ハーフが日本のイジメを語る
Joe(黒人ハーフ) 一日中働いていたよ。亡くなったのは私が17歳の時、モデルになる前だった。

Max そうか、モデルの仕事をする前だったんだね。

Joe(黒人ハーフ) もうホントすぐだった。入院して... あっという間だった。1ヶ月ぐらいで亡くなったんだ。病気になったことは知っていたんだけど母は私に病気のことは何も伝えなかった。私は母が癌に侵されている事も知らなかった。でも医者は母にあとどれだけ生きられるかを伝えていたみたいで、だからこそ母は私にある種 "遺産" のようなものを残してくれたんだ。

Max 2000枚近くの写真とモデルになるチャンスだね。

Joe(黒人ハーフ) ふふっ、そう。

Max そしてそれが18歳の時に全ての問題を終わらせたことにも繋がるんだね。

海外の反応

Youtubeのコメント欄より: ソース

Amberley Canegitta 私も日本人と黒人のハーフだけどまったく逆の状況だったよ。私はアメリカの黒人が大半の社会で育った。そこでは子供たちが知っているアジア人は中国料理屋のレストランオーナーとドライクリーニングオーナーだけで、しかもなぜか皆彼らを見下していた。

母が学校に私を迎えに来る度に周りの子は、あれは中国人か? なぜ母親がアジア人なのか? おまえは養子なんじゃないか? と私に尋ねてきた。

私は半分アジア人であることを恥じて育った、なぜならその部分を誰も好きになってくれないからだ。 ニューヨークのチャイナタウンのようなアジア人が多い地域も私と母を好奇の目で見てきて本当に辛かった。

「なぜアジア人の女性が若い黒人の女の子と手を繋いでいるのか」そんな話し声が聞こえてくる。あまりにも神経質になりすぎてしばらく私は母親と2人だけで家を出ることを拒否したくらいだ。

 別の地区の中学校に上がってからは色んな人種が混ざり合った人たちが多かったおかげで自分を受け入れられるようになった。

Cameron Johnson 世界中どこでも黒人が悪く思われていることにホント嫌気が差すわ。

Hawa Chian 彼は過酷な状況をサヴァイブしてきたんだね。お母さんの話はとても心が痛んだよ。

Michele Tan 日本の大人が人種を理由に子供に対して暴言を吐くのはちょっと多文化他人種社会のシンガポールで育った人間からするととてもショックだ。Joeがとても気の毒だよ。でもそれに耐えたんだね。素晴らしいインタビューだった。

te0nzin 人種差別はどこにでもある。私はアジア人で、スイスで育った。この国は外国人には親しみやすいと考えられている国だけど16歳までいじめられた。私は白人よりも暗めの皮膚だったから子供たちに黒人/アフリカ人を蔑称する言葉を投げつけられたよ。

RaineyDayz このJoeって人の人生はなんかアニメみたいだ。

ヨニス BGMがNujabes!

Vanessa Benefico 黒人とアジア人のハーフったらハーフの中で最もホットな組み合わせでしょ!

DrAero0 大変だったんだなぁ。尊敬するよ。

TripleM 1980年代の日本はおそらく世界で最も外国人嫌いな国の1つだった。それを踏まえるとこの人が受けた暴力も納得できる。

robto ふぇ? そうなの? 1980年代の日本に何が起きたって言うんだ・・・?

Miyu Venus Yamazato 日本人は黒人とのハーフは白人とのハーフ望ましくない、劣っていると見ている。有名なハーフのモデルやアイドルやタレントは皆白人とのハーフだ。

안녕 HI それは日本だけじゃないよ、アジア全体がそんな認識だ。まぁそれでも日本は多少は良くなってきていると思うけどね。

Richard Andrews モデルになれた姿をお母さんに見せることができなかったのはとても残念だね。


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