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Genderless in Japan
by nytimes.com
“Shibuya”
by
Candida.Performa
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CC BY 2.0
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日本は歴史的に性差を曖昧に扱ってきた。
Japan’s gender-bending history by Jennifer Robertson - The Conversation私は日本で育った人類学者で22年間外国と行き来しながらそこに暮らしてきた。 それだけ長くこの国と関わってきながら未だに東京の原宿地区を訪れるたびに私は驚いている。
ファッションを強く意識した若者達はカラフルで独創的な服を身にまとい、混雑した路地はまるでキャットウォークのようだ。 ブティックは男性と女性の両方を対象とした化粧品や美容製品で満たされており、 通行人の中には性別を識別することが困難な人もよく見かける。 人はジェンダー(性差)を判別する際その外見に頼るが、 最近の日本の「ジェンダーレス」なファッションスタイルは日本を訪問する外国人をを混乱させているだろう。
「あれ、今通り過ぎた人は男性?それとも女性?」
性差を曖昧にするファッションスタイルは日本の若い男女を魅了しているが、メデイアはメイク、カラー、女性らしい髪形をした若い男性に焦点を当てる傾向がある。 ニューヨークタイムズのビデオでのインタビューのように彼ら「ジェンダーレス男子」は女性に見られたがっているわけでも、ゲイであると主張しているわけでもない。
今日日本の若者のジェンダーレスな表現を取材するメデイアはそれを現代的な現象のように扱う傾向がある。 しかし彼らは日本人がその歴史の中で長い間 性別を曖昧にすること(blurred sexualities and gender-bending)を実践してきたという事実を 都合よく無視して人々に伝えようとしている。
性的区別のない性
近代以前の日本では、貴族階級の人たちはしばしば男性と女性の愛を追求してきた。日本の古典文学の本質であるとも言っていいだろう。 例えば平安後期に書かれた「とりかへばや物語」は男装する女性と女装する男性のそれぞれの恋慕を描いており、 彼らの追求する愛において生物学的性別はあまり重要ではなく、彼らは「超越的な美」を求めていた。 多くの武士や将軍は子孫と政略のために妻帯していたが、その一方で若い男性とも恋愛関係を結んでいた。その価値観が変わったのは19世紀後半に日本が西洋文明を受け入れ近代化してからであり 1872年から1882年までの10年間、明治政府は男性の同性愛を犯罪として扱ったが それ以降同性愛を禁止する法律は日本には存在していない。
ごく最近まで日本の性行為は性的同一性と結びついていなかったということを理解することが重要だ。 言い換えれば女性同士、男性同士での行為をした人は自分自身を同性愛者、またはレズビアンとは見なしてこなかったのだ。 1990年代に同性愛者とHIV / AIDSが関連付けられることで同性愛者という存在が注目されるようになったが、 それまで性的指向は政治化されてこなかった。最近は東京や大阪などの主要都市で毎年ゲイパレードが行われている。
今日においても日本では思春期での同性関恋愛は異常なこととは考えられておらず、 例えば女性のみで結成された宝塚歌劇団に多くの女性が夢中になっている。 文化的に同性愛は結婚を妨害し、家族の系譜を維持出来ない場合にのみ眉をひそめられる。 この理由から同性愛者は若い間だけその性的志向に従い、後に結婚して子供を抱える人が少なくないが 中にはこれらの社会的義務を果たした後に同性との関係を再開する人もいる。
議論を引き起こすクロスドレッシング(男装・女装)
同性愛同様クロスドレッシングは日本で長い歴史を持っている。 クロスドレッシングを描いた最古の書面による記録は8世紀のものであり、戦士として男性の鎧を纏った女性に関する物語だ。 また近代以前の日本では 男性が支配する職場に入るため、女性に求められる社会的性役割に反発するため 女性が男性として通すケースが存在した。1世紀前、大正末期から昭和初期にかけて「モダン・ガールズ(モガ)」と呼ばれる女性達が出現した。 彼女らは髪を短く切りズボンを履いた若い女性でメディアの注目を集めたがその反応はほとんどが否定的であった。 アーティストはモガたちがファッションリーダーになることを期待していたが それに反発する人々は彼女らを「ギャルソン」と侮辱を込めて呼んだ。 ジェンダーは当時ゼロサムで考えられており 女性がより男性的になるということは男性が女性化するということを意味したからだ。
そのような社会の反発が女性のみで結成された「宝塚歌劇団」を生むことになる。 1913年に設立されたこのアヴァンギャルドな劇団の登場は 女性が男装し男性役を演じること、劇団員以外の女性にも影響を与えるのではないかとの懸念から大きな議論を呼んだ。 しかし今日のジェンダーレス男子は単に週末だけ女装するような単なる趣味で行っているのではない。 なぜ女性だけがスカートやドレスを着ることができるのか、 なぜ女性だけが口紅やアイシャドーをつけることが許されるのか、 なぜ女性はズボンを履けるのに男性はスカートを履いてはいけないのか? 彼らは男性は男性らしく振舞い、男性らしい装いをしなければならないという既存の社会的規範を打ち破りたいと考えているのだ。
実際には彼らのような若者は「性の自己意識・自己認知」に問題を抱えているわけではないので「ジェンダーレス」という形容詞は誤解を招く呼び方だ。 彼らは日々の生活の中で男性的・女性的なスタイル両方を楽しみたいと主張しているだけなのだ。
「ジェンダーレス男子」のような動きは昔の日本でも起きている。 19世紀後半から20世紀初頭にかけて国際意識の高い「ハイカラ」な男性は顔面にパウダーを塗り、香りのついたハンカチを持ち歩き、気合の入った西洋服を着ていた。 ある批評家は当時のゼロサム的な考え方から「一部の男は女よりもメイクアップに気合をいれている」と不満をもらした。 保守的な専門家は彼らの美徳に反する日本人らしくないハイカラな彼らを女々しいと嘲笑した。
その一方で男らしさをを求める人々の願望は「バンカラ」という形で現れた。 ハイカラに対するアンチテーゼとして創出されたバンカラは武士道にも通じると理解されていたが 皮肉なことにそのマッチョなバンカラは武士同様に同性愛と結び付けられることになる。
日本の「美少年」という概念
おそらく今日のジェンダーレス男子に最も大きなインスピレーションを与えたのは 日本最大の男性タレント事務所「ジャニーズ事務所」が育成し、プロモートしたSMAPやSexy Zoneのようなボーイズバンドだろう。 彼らのような中性的な男性を日本では「美少年」と呼ぶ。 「美少年」は1世紀前に作られた新造語で 性別や性的指向があいまいな彼らは全ての年齢の女性と男性を魅了する。同様に「ビジュアル系」と呼ばれる グラムロック・パンクミュージックを鮮やかで性差のない衣装を着て演奏する美少年達も1980年代から存在する。
「ジェンダーレス」という言葉は誤解を招くので「ジェンダーモア」と言った方がいいかもしれない。 若い男性、特に東京にいる若い男性は 男は男らしくなくてはいけないという伝統的な男性像を否定し乗り越え 自分自身を表現する権利を主張している。
日本の長い文化史の歴史のなかで人々は既存の概念を打ち破り社会に認められてきた。 だが「ジェンダーレス男子」はまだその中に入ってはいない。
環境によっては動画がうまく再生されないかもしれません。この動画はニューヨークタイムズによる佐々木とまん氏のインタビュー映像で全て日本語です。見れなかったら動画下にあるリンクからニューヨークタイムズのHPに移動してご覧ください。
返信削除こういうトピックはいいね。
返信削除こういうのなら応援しますよ
日本はそもそも神話の時代の英雄からして、女装して敵の懐に入り込むスタイルだから…
返信削除母ちゃんのいる国へ行くからって暇乞いにきたDQNの弟を侵略しに来たと思った姉が鎧をまとって男装して出迎えたこともあったよ
削除ジェンダー論の人達にとってはタブーなのかな
返信削除キリスト教、イスラム教というアブラハム系の宗教が「全能なる父」=マッチョマン男信仰の源泉だということに
日本文化を語るより簡単な既成概念なのになんで無視するんだろ
日本で愛される仏像はどこかユニセックスな仏だし
なげーよ、
返信削除ちょっと違う。
返信削除完全同性愛者は昔でも嘲笑の対象になってた。
容認されてたのは両性愛、それも一人前の大人になってない少年少女相手だけ。
大人同士の完全同性愛者は嘲笑されてた。ゲイ武士が町人に笑われて刃傷沙汰になったり、平賀源内の話とかね。
女形にも言及してほしかった。
返信削除アジアというか仏教圏及びヒンドゥー圏は概ね性差にはそこまでキツいものは無い気がする
返信削除差別が皆無とは言わないけど
女形
返信削除最初は女役者→役者が売春→女役者禁止
じゃあ少年が女役→やっぱついでに売春→少年役者禁止
じゃあオッサンが女役→売春は根付かなかった→女形の誕生
日本には文化的にもあるし、女形とかも女々しいなんて蔑まれないのは事実だよね。
返信削除極めたらかっこいいって感じで認められる。これは性癖や趣味って訳ではないけど、海外ではこの考え方・やり方もアウトなの?
私はどっちでもいいけど、
性癖の部分で言うなら、やっぱり一般人・他と違うって事は認めないといけないと思う。そこでは白い目で見る人もいるし、そういうのを応援したり無関心だったりする人も当然いる。
この無関心の割合が日本は海外に比べて多いんだと思う。自分と関係ないならいいいやって感じのスタンス。他人の趣味にケチつけるのは野暮無粋って考え方もあるし。
あと日本女性はマッチョな男性より中性的な男性を好むって事実が、中性的な人達への社会的な風当たりを小さくしてるよね。
海外だと中性的な人は男女両方から叩かれる事が多い。軟弱だ女っぽゲイだと叩いてムキムキな俳優が世界で流行っても、男性は無駄毛はない方がいい、筋肉は少なめが良いとか言っちゃうのが日本女性(良いのか悪いのか分からないけども)。
昔、アメリカに居た時に『バックストリ-トボ-イズ聴く奴はゲイだ』って言われて吃驚した事がある。海外は性に厳しいなあって感想を持ったわ。
逆に海外では女性は男並に逞しいのは何故なのか・・ああいうジェンダ-レスは許されるのかw
一夫一妻制じゃない
返信削除男が偉いとも限らない
男は愛人作り放題、女も浮気し放題
1000年前からレズもゲイもいた
100年単位で天災でそのエリア壊滅するんだから
人神はありえないしその中で秩序を維持するためには結構なんでもありだったんだろう
キリスト教とかイスラム教は倫理と秩序の為に制約が多い
なんか同性愛がどうというよりも、「社会がこうあるべき」という事に対して人々があまり気にしてないような気がする。
返信削除例え個人的に嫌悪していたとしてもそれだけの話で、社会からいなくなるべき存在とまで思う奴は殆どいない。
キリスト教の国は社会のベクトルみたいなものを無理やり決めたがるよね。
だから昔は同性愛が禁忌だったのに、今では必要以上に保護すべき存在になってる。
むしろ同性愛の方が美しいと思わないといけないような雰囲気さえ感じる。
それだな。男女だけじゃなくて大人と子供の間にも完全な線引きがある。
削除白黒つけたがる世界からみたら日本は灰色も許される世界。一神教の社会は男ならこうあるべき大人はこうあるべきと押し付けられて可哀想だわ。男だからって皆力強さを強調して生きていくのは難しいし、大人になっても少女が好む様な可愛い小物を使うのを卒業しなくたっていいじゃない。
学校・職場・冠婚葬祭はきちっとすることを求められる一方で、そうじゃない時は好きな服着て歩いていてもいいじゃないかという切り替えが出来る、別に迷惑じゃないから。オカマちゃんやゲイを見てうげぇと思っても、自分に寄ってこない限りどうでもいいとスル―出来る。何故かスルー出来ないんだよね、一神教圏。
「駿府の美少年」というから、この言葉はもっと前からあったはず。
返信削除また、なぜ駿府かというと、今川義元全盛のころ、
「五山の僧は美童を愛す」ということで京都文化模倣の一環として美童趣味が
はやり、全国から義元やその側近に美童が献上されたため。
こういう状況下で秀吉は望まれて結構している。
尾張にいたころ寺に預けられていた、という話が誤認されたため。
寺に>稚児>美童>「イケメンに違いない」と、女のほうから望んだとか。
「人かと思えばサル」という秀吉の顔をみて仰天したそうな。
最近はネトウヨという中途半端なアメリカかぶれが生まれて来ててですね
返信削除日本民族とは思えない価値観を振りかざしてるわけですが
ネトウヨは似非保守とレイシズムを凝縮して生まれる衆愚という名の産廃
削除ほんの数百年前には同性愛って普通にあったというか異性愛より尊いものとして持て囃されてたというのに
返信削除今では考えられないからある意味日本の文化が一つ喪われたと考えられるかもしれない
そのかわりか腐女子文化は隆盛を極めてるが
これを見ると、初代の天皇は神武ではなく女性天皇、最近では梅原先生などが
返信削除提唱する持統帝ではないかと本気で思えてきました。天照大神は持統帝を神格化
したもので、伊勢の神宮はまさに彼女を祀った社であるということ。これは辻褄が
合いますね。
男の神様には巫女が付くから、神様を崇拝していたのか巫女を崇拝していたのか分からなくなってしまった。
返信削除そんな国