なぜ日本人は戦場で盾を使わなかったのか? それとも使っていた?

Why Didn't the Japanese Use Shields? Or Did They? by Metatron 1 Aug 2016
世界の歴史や中世の戦争を扱うYoutubeチャンネル「Metatron 」より


こんにちわ皆さん、Metatronです。 私が大学の頃に専攻していた分野の1つが日本史、それも古い時代のものでした。もちろんそれに併せて日本語も学んでいました。それにも関わらずこの世界の歴史や中世の戦争を扱ってきたYoutubeチャンネルで日本の歴史についてはあまり深く語ってこなかったのは自分でも理由が分かりませんが、先週フェイスブックでとある質問が来たので今回は日本の事を少し深く掘り下げてみたいと思います。その質問とは

「なぜ日本人は戦場で盾を使わなかったのか?」

というものです。この質問に対する最も適した答えは

実際には日本では盾が戦場で使われていた」です。

今回のビデオでは日本で使われてきた3つのタイプの盾について語ります。ですがその事について語る前に、"日本人は戦場で盾を使わなかった"という一般的によく言われる考えの問題点について触れておきたいと思います。それは古代日本について語る時、多くの人々がサムライの歴史が全てであるかのように認識している点です。

サムライの時代は日本の歴史の、日本の戦争の歴史の一部分に過ぎず実際には、少し乱暴ですが10世紀から17世紀の間の出来事です。日本の歴史はそこだけではありません、サムライの台頭以前にも多くの出来事があるのですが残念ながらほとんどの人はそれを考慮せず、またその事について語ろうとしません。


日本の侍と盾
もちろんサムライは日本の戦争の歴史において非常に大きな役割を果たしていましたがそれより前に2つ、縄文時代(12000BC-300BC)と弥生時代(300BC-AD300)というとても重要な時代があります。この2つの時代では「手持ちの盾」はとても一般的であり、その時代の日本の歩兵はそれを使っていました。 右上の写真が今話しているものです。

日本の侍と盾
またこちらは侍より前の時代の扮装をしている様子です。

このように現代でもイベントで人々が当時の衣装を纏った姿を見ることができますが、当然そこまで人気があるわけではありません。どうしてもサムライという日本を象徴する戦士に人々の関心は集まり、日本の時代衣装を楽しもうと、それを着て人々を楽しませようと思う人の多くがサムライを選びます。もちろん私を含めてです。

というわけで正しい質問は「なぜ日本人は戦場で盾を使わなかったのか?」ではなく
「なぜ日本人は手で持つ盾を使わななくなったのか?」とすべきでしょう。

なぜ日本人は手で持つ盾を使わななくなったのか?

日本の侍と盾
5世紀と15世紀には日本の氏族間の戦争を劇的に変える出来事が起こりました。15世紀に起きた事は有名ですね、種子島鉄砲あるいはマッチロック式銃と呼ばれるものの伝来です。ポルトガル人によってもたらされたこの特殊な、特別な武器は日本でコピーされ大量生産されます。一時期は日本だけでヨーロッパ全体よりも多くのマッチロック式銃が生産されました。忘れないでください、これは足軽だけでなくサムライも使用していたという事を。

では5世紀に起きた出来事とは何か? それは馬の伝来です。これは状況を一変させました。以下を考慮してみてください。

平和な時代が一時期ありましたが基本的に古代日本では常に戦争が起き、日本人同士で争っていました。その理由はとても単純で日本には資源が、農地として使える土地が、そして生産資源が限られていたからです。一部の歴史家は日本では土地の20%しか資源を生産する事に適していないと指摘しています。それはつまり古代日本の戦争というものは主権や支配権の問題だけでなく生存競争だったわけです。

さて、その様に常に戦争をしている国に馬が、つまり騎兵が伝来したわけですが騎兵は歩兵に対し絶対的な優位を保持していました。ここで日本には2つの選択肢がありました。1つは歩兵と盾を持った歩兵を騎兵に対抗できるまで強化し進化させるか、それとも騎兵を軍隊に導入するかです。日本は後者を選びました。手持ちの盾を捨て騎兵を受け入れ、それを発展させたのがサムライになっていくわけです。もっとも侍の歴史の最後の方では騎兵よりも歩兵よりの性格になっていくのですが。ちなみにイギリスの騎兵などは片手剣を使用していましたが日本の騎兵が盾を使わなかった理由については後述します。

日本の侍が使い続けた盾

日本の侍と盾日本の侍と盾日本の侍と盾
この出来事により日本人は手で持つ盾を捨てたわけですがそれは盾自体を捨てた事を意味するわけではありません。侍全盛の時代においても盾は使われていました、ですがそれは地上に置いて用いる大型の「置盾」、中世イタリアのジェノヴァのクロスボウ使いが使用していた体全体を防護する大きくて重い長方形の盾であるPavise Shieldに近いものです。それは弓対策に、後に鉄砲対策に使われていました。所謂"持盾"ではありませんが盾なのは間違いありませんね。これが2つ目の盾です。


日本の侍と盾
そして3つ目の盾が、少し奇妙に思えるかもしれませんがこの「」です、肩甲の事ですね。これは私が所有する16世紀の日本の当世具足甲冑の袖です。前の時代のものよりも小さいですがこの様に肩に装着します。その目的は主に弓を防ぐ事にありますが鉄砲にもある程度は対応しています。


日本の侍と盾
この16世紀の袖だけでは分かりにくいかもしれませんのでこちらの平安-鎌倉時代に使われた大鎧をご覧になればより盾らしいと思えるのではないでしょうか? こちらは弓だけを防ぐ事を想定しているため大きく形も正方形に近いです。袖の装着方法も違っておりこの時代は紐で吊るしていましたが16世紀の袖は鎧に引っ掛けるようになっており取り外ししやすいようになっています。

なぜ日本の侍は盾を両肩に装着するようになったのか?

ではなぜ片手に盾を持ちもう片方にメインの武器を持つというスタイルではなく、盾を両肩に装着するようになったのでしょうか? 掲示板などでよく盾の大きさや重さのため扱いが難しい事が原因ではないかと語られていますがそれは間違いです。また盾というものは包括的用語であることを忘れてはなりません。

日本の侍と盾 (古代ローマのスクトゥム)

日本の侍と盾 (カイトシールド)

日本の侍と盾 (左:バックラー、右:中世イタリアのPavise Shield)

例えば体全体を覆う古代ローマのスクトゥムも盾ですし小さなバックラーも、ノルマン人が使った中型のカイトシールドも、先ほど言及した置盾も盾です。スクトゥムは非常に効果的だったとはいえ扱いにくいものでしたが(実際にはそこまで扱いにくいとは思いませんが)バイキングが使った円形の盾やバックラーのような盾は機敏な動きが可能であり、また防御だけでなく攻撃にも使えました。その様な小型・中型の盾ならば、あるいはサムライ以前の盾ならば扱いにくいということはなかったでしょう。 また別のよくある意見としては日本人が「両手持ち」の武器を好んだからというものがあります。実際日本人は槍や薙刀、刀、太刀、さらには弓を多用しました。武器が関係したのは間違いないでしょう、ですが単に好みの問題ということではありません。

我々は侍と聞くと刀を想像しますが実際には彼らの主要武器はでした、日本の侍はヨーロッパの騎士と違い弓も扱う射手でもあったのです。剣や槍と違って弓は盾を持ちながら使用することはできません、そしてそれこそが侍が持盾を使用しなかった理由だったのだと私は考えています。

Phalanx.png パブリック・ドメイン, Link
刀は片手で扱う事も一応できましたしその様に使われたこともありました。(実際には刀は戦場において主要な武器ではなく2次的、3次的な武器でした。) また古代ギリシャのファランクスが槍と盾を併用していたように槍を片手で扱う戦法も歴史上存在しました。ですが弓と手に持つタイプの盾の併用は困難です。剣と盾を持って戦うか、それとも弓を使うことを重視し持盾を捨てるか、日本人は後者を選択したわけです。先ほどの鎧を見ても構造的に弓が扱いやすいものになっていると理解できるでしょう。

弓を使うことを選択した結果として盾を身に着けるようになり、盾を持つ必要がなくなったので両手武器を使うようになった、というのが私の考えです。

日本の甲冑とその役割

日本の侍と盾
最後に日本の鎧についても語っておきましょう。古代ローマ人が盾を主要な防具としロリカ(板金鎧)を2次的な防具としていたのと違い、日本の侍にとっては鎧が主要な防具でした。


日本の侍と盾日本の侍と盾日本の侍と盾
詳しく説明する前に日本人が使用していた鎧がどんなものか、実際に私が所有している当世具足をお見せしましょう。この鎧は槍や刀のような両手武器だけでなく弓を扱う事も想定してデザインされています。見ての通り腕の可動域はかなり広く、この様に弓を構えるふりをしても全く妨げになりません。


日本の侍と盾日本の侍と盾
足軽や侍が槍を持ち突撃しようとするとそれに対し敵兵は矢を放とうとしてくるのですが、日本の和弓は例えばイギリスのロングボウなどと比べてドローウェイト(弦を掛ける際にかかる重さ)が小さいので鎧を貫通する事が難しく、よって鎧のつなぎ目に当たる事を期待して矢を放ちます。可動性を優先した日本の鎧には鉄板によって保護されていない隙間がありますから。

なので槍を持って攻める側は少し前傾姿勢になり半身になって突撃します。こうする事で隙間を隠し袖や兜を前面に出し矢から身を守りつつ攻撃しました。


日本の侍と盾
また敵が眼前に迫った時、攻撃する瞬間には少し奇妙に思われるかもしれませんが放たれる矢や迫り来る槍の切っ先から身を守るために防具の中で最も強固な部分、つまり兜をさらに前面に出すため下を向きながら攻撃しました。

日本の侍と盾 “The Joust!” by SPT Photographe (seanthibert.com) is licensed under CC BY 2.0 このような戦法は珍しい事ではなく、中世ヨーロッパのジョスト(騎士の一騎討ち)でも似たようなことが行われていました。


日本の侍と盾
ジョストのために作られたこのような兜は前面が一枚板の金属でできておりそこが最も防御力があると考えられていました。


日本の侍と盾
なので騎士達は防御力を最大化するためにぶつかる直前に仰け反るような体勢をとっていたといいます。そうする事で無防備な覗き穴を保護したのです、仮に槍の穂先の破片が飛んできたとしてもそれを防ぐ事ができました。日本の侍や足軽が衝突の瞬間に下を向いたのもこれと同じ様な戦術と言えるでしょう、こちらは上を向いていましたが。
(※追記
この動画のパート2では日本の侍や忍者の研究者であるAntony Cummins氏を呼んでさらに詳しく日本の盾について、16世紀に小笠原昨雲によって書かれた軍法侍用集には小型、中型の持盾の記述があることや馬上でも持盾が使われていたことを語っています。 )

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海外の反応

Youtubeのコメント欄より: ソース

Ebon Hawk おいおい、駄目だろ~。 その甲冑を着たらちゃんと
「ご覧の通り私は武田に忠誠を誓っています。」とか言わなきゃ。

Aatrox Sagitarius 馬もいたら完璧だった。

LordVader1094 上杉氏こそ至高だから!

PsY_CH0 Someone 島津一族より強い連中なんていない!

the egg 戦国最強は一向一揆だから。

Arda Gurbuz 長宗我部氏は永遠に不滅...

TheBarser 盾だぁ? んなもん使うのは不名誉じゃん!

demomanchaos 侍が、特に騎馬侍が弓を好んだことが肩に盾を装備することに繋がった理由の一つだろうね。それに歩兵が長い槍(長さ2.4m以上のものは片手では大変扱いづらい)と薙刀を好んだ事も理由の一つだと思う。

それに古代マケドニアのファランクス歩兵達が首から架けて腕につける盾を使用することで両手で槍を持てるようになったように、侍や足軽が肩に大きなガードを装着した事で持盾を捨てさせる事になり、長い槍を運用できるようになったんだろう。

これらさまざまな要因が日本の侍から手に持つ盾を無くさせたんだろうね。


Makedonische phalanx.png
By F. Mitchell, Department of History, United States Military Academy - http://www.au.af.mil/au/awc/awcgate/gabrmetz/gabr0066.htm, Public Domain, Link

Alexane Rose 槍同士の戦いじゃ長い方が強いだろうしな。

MrDUneven あの、何だっけ? 日本の騎兵が使った風船みたいなの。アレも盾のカテゴリーに入れられない?

vampuricknight 背中に背負った布が風でふくらみ矢の勢いを殺すという母衣(ほろ)だね。

Gryphon Word ヒゲ面で長髪、ブルーのシャツで物腰の柔らかい態度と話し方。カルトの勧誘ビデオかと思っちまったぜ。

JP Song まぁヨーロッパも鎧が進化すると共に盾は使われなくなっていったけどな。

Shining Darkness そうだね。フルアーマーと戦うために両手武器を使うようになって盾が消えていった。盾とウォーハンマーを同時に使うなんて実際にはできないし。

FightingCucumber 日本の和弓の方がイギリスのロングボウよりも強力だと聞いたことがあるんだけど?

faffing about1 日本の弓はドロ-ウェイト27kg、ロングボウは大きいものだと45kgとかだったはず。

Joshua Smith まぁそこまで強力なものは実際に存在したらしいけどどこまで運用されていたのかは疑問があるけどな。ただ日本の非対称的な弓は重さを上手く分散させ弓の引き込みも容易で使いやすかったらしい。実際現代のオリンピックでは僅かに非対称的な弓が使われている。

Paul Petru Alexandru Cazacliu なんで日本の騎兵は盾を持たなかったんだ? 中世ヨーロッパの騎士使用していたのに。

MariusThePaladin 日本の騎兵は侍がなるものであり、騎馬侍は弓を使えなければならないからだ。だが騎士は教皇がそれを拒否したために弓を使用できなかった。

he11b1ade 実際には日本も欧州同様に多様な盾を運用していたけどな。

Abhijeet Kundu 中世の日本では金属が不足していたからだ。 これは鉄の品質が非常に低く、刀が薄くて壊れやすい理由でもある。

BOB BOB 最近こういう賢ぶった馬鹿が増えたよなぁ。

Sophie Jones まず第1にほとんどの盾は金属製ではなく木製のフレームに皮等が張られたものだった。 枝編み細工の盾でも弓を防ぐ事ができたし古代ローマのスクトゥムも木材でできていた。

そして刀に関してだが日本の刀はダマスカスの鋼鉄を除いて最も強力な剣だ。 刀の強さは鋼の高炭素含有量に由来し、同じ時期の平均的なヨーロッパの剣よりもはるかに高い。自然界に存在する鉄は炭素を多く含まないから鉄の品質とは関係ない。灰と混ぜる事で鉄は炭素を含み鋼鉄に変わる。さらに炭素の量が増えれば高炭素鋼になる。太い剣が必ずしも強い剣であるとは限らないのさ。

Emanuel Desperados これは良いweaboo(日本かぶれ)。

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“Japanese Armour - Okegawa-do tosei gusoku” by Nature And is licensed under CC BY 2.0