なぜ日本人は戦場で盾を使わなかったのか? それとも使っていた?
Why Didn't the Japanese Use Shields? Or Did They? by Metatron 1 Aug 2016こんにちわ皆さん、Metatronです。 私が大学の頃に専攻していた分野の1つが日本史、それも古い時代のものでした。もちろんそれに併せて日本語も学んでいました。それにも関わらずこの世界の歴史や中世の戦争を扱ってきたYoutubeチャンネルで日本の歴史についてはあまり深く語ってこなかったのは自分でも理由が分かりませんが、先週フェイスブックでとある質問が来たので今回は日本の事を少し深く掘り下げてみたいと思います。その質問とは
「なぜ日本人は戦場で盾を使わなかったのか?」
というものです。この質問に対する最も適した答えは
「実際には日本では盾が戦場で使われていた」です。
今回のビデオでは日本で使われてきた3つのタイプの盾について語ります。ですがその事について語る前に、"日本人は戦場で盾を使わなかった"という一般的によく言われる考えの問題点について触れておきたいと思います。それは古代日本について語る時、多くの人々がサムライの歴史が全てであるかのように認識している点です。
サムライの時代は日本の歴史の、日本の戦争の歴史の一部分に過ぎず実際には、少し乱暴ですが10世紀から17世紀の間の出来事です。日本の歴史はそこだけではありません、サムライの台頭以前にも多くの出来事があるのですが残念ながらほとんどの人はそれを考慮せず、またその事について語ろうとしません。
もちろんサムライは日本の戦争の歴史において非常に大きな役割を果たしていましたがそれより前に2つ、縄文時代(12000BC-300BC)と弥生時代(300BC-AD300)というとても重要な時代があります。この2つの時代では「手持ちの盾」はとても一般的であり、その時代の日本の歩兵はそれを使っていました。 右上の写真が今話しているものです。
またこちらは侍より前の時代の扮装をしている様子です。
このように現代でもイベントで人々が当時の衣装を纏った姿を見ることができますが、当然そこまで人気があるわけではありません。どうしてもサムライという日本を象徴する戦士に人々の関心は集まり、日本の時代衣装を楽しもうと、それを着て人々を楽しませようと思う人の多くがサムライを選びます。もちろん私を含めてです。
というわけで正しい質問は「なぜ日本人は戦場で盾を使わなかったのか?」ではなく
「なぜ日本人は手で持つ盾を使わななくなったのか?」とすべきでしょう。
なぜ日本人は手で持つ盾を使わななくなったのか?
5世紀と15世紀には日本の氏族間の戦争を劇的に変える出来事が起こりました。15世紀に起きた事は有名ですね、種子島鉄砲あるいはマッチロック式銃と呼ばれるものの伝来です。ポルトガル人によってもたらされたこの特殊な、特別な武器は日本でコピーされ大量生産されます。一時期は日本だけでヨーロッパ全体よりも多くのマッチロック式銃が生産されました。忘れないでください、これは足軽だけでなくサムライも使用していたという事を。
では5世紀に起きた出来事とは何か? それは馬の伝来です。これは状況を一変させました。以下を考慮してみてください。
平和な時代が一時期ありましたが基本的に古代日本では常に戦争が起き、日本人同士で争っていました。その理由はとても単純で日本には資源が、農地として使える土地が、そして生産資源が限られていたからです。一部の歴史家は日本では土地の20%しか資源を生産する事に適していないと指摘しています。それはつまり古代日本の戦争というものは主権や支配権の問題だけでなく生存競争だったわけです。
さて、その様に常に戦争をしている国に馬が、つまり騎兵が伝来したわけですが騎兵は歩兵に対し絶対的な優位を保持していました。ここで日本には2つの選択肢がありました。1つは歩兵と盾を持った歩兵を騎兵に対抗できるまで強化し進化させるか、それとも騎兵を軍隊に導入するかです。日本は後者を選びました。手持ちの盾を捨て騎兵を受け入れ、それを発展させたのがサムライになっていくわけです。もっとも侍の歴史の最後の方では騎兵よりも歩兵よりの性格になっていくのですが。ちなみにイギリスの騎兵などは片手剣を使用していましたが日本の騎兵が盾を使わなかった理由については後述します。
日本の侍が使い続けた盾
この出来事により日本人は手で持つ盾を捨てたわけですがそれは盾自体を捨てた事を意味するわけではありません。侍全盛の時代においても盾は使われていました、ですがそれは地上に置いて用いる大型の「置盾」、中世イタリアのジェノヴァのクロスボウ使いが使用していた体全体を防護する大きくて重い長方形の盾であるPavise Shieldに近いものです。それは弓対策に、後に鉄砲対策に使われていました。所謂"持盾"ではありませんが盾なのは間違いありませんね。これが2つ目の盾です。
そして3つ目の盾が、少し奇妙に思えるかもしれませんがこの「袖」です、肩甲の事ですね。これは私が所有する16世紀の日本の当世具足甲冑の袖です。前の時代のものよりも小さいですがこの様に肩に装着します。その目的は主に弓を防ぐ事にありますが鉄砲にもある程度は対応しています。
この16世紀の袖だけでは分かりにくいかもしれませんのでこちらの平安-鎌倉時代に使われた大鎧をご覧になればより盾らしいと思えるのではないでしょうか? こちらは弓だけを防ぐ事を想定しているため大きく形も正方形に近いです。袖の装着方法も違っておりこの時代は紐で吊るしていましたが16世紀の袖は鎧に引っ掛けるようになっており取り外ししやすいようになっています。
なぜ日本の侍は盾を両肩に装着するようになったのか?
ではなぜ片手に盾を持ちもう片方にメインの武器を持つというスタイルではなく、盾を両肩に装着するようになったのでしょうか? 掲示板などでよく盾の大きさや重さのため扱いが難しい事が原因ではないかと語られていますがそれは間違いです。また盾というものは包括的用語であることを忘れてはなりません。(古代ローマのスクトゥム)
(カイトシールド)
(左:バックラー、右:中世イタリアのPavise Shield)
例えば体全体を覆う古代ローマのスクトゥムも盾ですし小さなバックラーも、ノルマン人が使った中型のカイトシールドも、先ほど言及した置盾も盾です。スクトゥムは非常に効果的だったとはいえ扱いにくいものでしたが(実際にはそこまで扱いにくいとは思いませんが)バイキングが使った円形の盾やバックラーのような盾は機敏な動きが可能であり、また防御だけでなく攻撃にも使えました。その様な小型・中型の盾ならば、あるいはサムライ以前の盾ならば扱いにくいということはなかったでしょう。 また別のよくある意見としては日本人が「両手持ち」の武器を好んだからというものがあります。実際日本人は槍や薙刀、刀、太刀、さらには弓を多用しました。武器が関係したのは間違いないでしょう、ですが単に好みの問題ということではありません。
我々は侍と聞くと刀を想像しますが実際には彼らの主要武器は弓でした、日本の侍はヨーロッパの騎士と違い弓も扱う射手でもあったのです。剣や槍と違って弓は盾を持ちながら使用することはできません、そしてそれこそが侍が持盾を使用しなかった理由だったのだと私は考えています。
パブリック・ドメイン, Link
刀は片手で扱う事も一応できましたしその様に使われたこともありました。(実際には刀は戦場において主要な武器ではなく2次的、3次的な武器でした。) また古代ギリシャのファランクスが槍と盾を併用していたように槍を片手で扱う戦法も歴史上存在しました。ですが弓と手に持つタイプの盾の併用は困難です。剣と盾を持って戦うか、それとも弓を使うことを重視し持盾を捨てるか、日本人は後者を選択したわけです。先ほどの鎧を見ても構造的に弓が扱いやすいものになっていると理解できるでしょう。
弓を使うことを選択した結果として盾を身に着けるようになり、盾を持つ必要がなくなったので両手武器を使うようになった、というのが私の考えです。
日本の甲冑とその役割
最後に日本の鎧についても語っておきましょう。古代ローマ人が盾を主要な防具としロリカ(板金鎧)を2次的な防具としていたのと違い、日本の侍にとっては鎧が主要な防具でした。
詳しく説明する前に日本人が使用していた鎧がどんなものか、実際に私が所有している当世具足をお見せしましょう。この鎧は槍や刀のような両手武器だけでなく弓を扱う事も想定してデザインされています。見ての通り腕の可動域はかなり広く、この様に弓を構えるふりをしても全く妨げになりません。
足軽や侍が槍を持ち突撃しようとするとそれに対し敵兵は矢を放とうとしてくるのですが、日本の和弓は例えばイギリスのロングボウなどと比べてドローウェイト(弦を掛ける際にかかる重さ)が小さいので鎧を貫通する事が難しく、よって鎧のつなぎ目に当たる事を期待して矢を放ちます。可動性を優先した日本の鎧には鉄板によって保護されていない隙間がありますから。
なので槍を持って攻める側は少し前傾姿勢になり半身になって突撃します。こうする事で隙間を隠し袖や兜を前面に出し矢から身を守りつつ攻撃しました。
また敵が眼前に迫った時、攻撃する瞬間には少し奇妙に思われるかもしれませんが放たれる矢や迫り来る槍の切っ先から身を守るために防具の中で最も強固な部分、つまり兜をさらに前面に出すため下を向きながら攻撃しました。
“The Joust!” by SPT Photographe (seanthibert.com) is licensed under CC BY 2.0 このような戦法は珍しい事ではなく、中世ヨーロッパのジョスト(騎士の一騎討ち)でも似たようなことが行われていました。
ジョストのために作られたこのような兜は前面が一枚板の金属でできておりそこが最も防御力があると考えられていました。
なので騎士達は防御力を最大化するためにぶつかる直前に仰け反るような体勢をとっていたといいます。そうする事で無防備な覗き穴を保護したのです、仮に槍の穂先の破片が飛んできたとしてもそれを防ぐ事ができました。日本の侍や足軽が衝突の瞬間に下を向いたのもこれと同じ様な戦術と言えるでしょう、こちらは上を向いていましたが。
(※追記
この動画のパート2では日本の侍や忍者の研究者であるAntony Cummins氏を呼んでさらに詳しく日本の盾について、16世紀に小笠原昨雲によって書かれた軍法侍用集には小型、中型の持盾の記述があることや馬上でも持盾が使われていたことを語っています。 )
海外の反応
Youtubeのコメント欄より: ソース
Ebon Hawk
おいおい、駄目だろ~。
その甲冑を着たらちゃんと
「ご覧の通り私は武田に忠誠を誓っています。」とか言わなきゃ。
Aatrox Sagitarius 馬もいたら完璧だった。
LordVader1094 上杉氏こそ至高だから!
PsY_CH0 Someone 島津一族より強い連中なんていない!
the egg 戦国最強は一向一揆だから。
Arda Gurbuz 長宗我部氏は永遠に不滅...
TheBarser 盾だぁ? んなもん使うのは不名誉じゃん!
demomanchaos
侍が、特に騎馬侍が弓を好んだことが肩に盾を装備することに繋がった理由の一つだろうね。それに歩兵が長い槍(長さ2.4m以上のものは片手では大変扱いづらい)と薙刀を好んだ事も理由の一つだと思う。
それに古代マケドニアのファランクス歩兵達が首から架けて腕につける盾を使用することで両手で槍を持てるようになったように、侍や足軽が肩に大きなガードを装着した事で持盾を捨てさせる事になり、長い槍を運用できるようになったんだろう。
これらさまざまな要因が日本の侍から手に持つ盾を無くさせたんだろうね。
By F. Mitchell, Department of History, United States Military Academy - http://www.au.af.mil/au/awc/awcgate/gabrmetz/gabr0066.htm, Public Domain, Link
Alexane Rose 槍同士の戦いじゃ長い方が強いだろうしな。
MrDUneven あの、何だっけ? 日本の騎兵が使った風船みたいなの。アレも盾のカテゴリーに入れられない?
vampuricknight 背中に背負った布が風でふくらみ矢の勢いを殺すという母衣(ほろ)だね。
Gryphon Word ヒゲ面で長髪、ブルーのシャツで物腰の柔らかい態度と話し方。カルトの勧誘ビデオかと思っちまったぜ。
JP Song まぁヨーロッパも鎧が進化すると共に盾は使われなくなっていったけどな。
Shining Darkness そうだね。フルアーマーと戦うために両手武器を使うようになって盾が消えていった。盾とウォーハンマーを同時に使うなんて実際にはできないし。
FightingCucumber 日本の和弓の方がイギリスのロングボウよりも強力だと聞いたことがあるんだけど?
faffing about1 日本の弓はドロ-ウェイト27kg、ロングボウは大きいものだと45kgとかだったはず。
Joshua Smith まぁそこまで強力なものは実際に存在したらしいけどどこまで運用されていたのかは疑問があるけどな。ただ日本の非対称的な弓は重さを上手く分散させ弓の引き込みも容易で使いやすかったらしい。実際現代のオリンピックでは僅かに非対称的な弓が使われている。
Paul Petru Alexandru Cazacliu なんで日本の騎兵は盾を持たなかったんだ? 中世ヨーロッパの騎士使用していたのに。
MariusThePaladin 日本の騎兵は侍がなるものであり、騎馬侍は弓を使えなければならないからだ。だが騎士は教皇がそれを拒否したために弓を使用できなかった。
he11b1ade 実際には日本も欧州同様に多様な盾を運用していたけどな。
Abhijeet Kundu 中世の日本では金属が不足していたからだ。 これは鉄の品質が非常に低く、刀が薄くて壊れやすい理由でもある。
BOB BOB 最近こういう賢ぶった馬鹿が増えたよなぁ。
Sophie Jones
まず第1にほとんどの盾は金属製ではなく木製のフレームに皮等が張られたものだった。 枝編み細工の盾でも弓を防ぐ事ができたし古代ローマのスクトゥムも木材でできていた。
そして刀に関してだが日本の刀はダマスカスの鋼鉄を除いて最も強力な剣だ。
刀の強さは鋼の高炭素含有量に由来し、同じ時期の平均的なヨーロッパの剣よりもはるかに高い。自然界に存在する鉄は炭素を多く含まないから鉄の品質とは関係ない。灰と混ぜる事で鉄は炭素を含み鋼鉄に変わる。さらに炭素の量が増えれば高炭素鋼になる。太い剣が必ずしも強い剣であるとは限らないのさ。
Emanuel Desperados これは良いweaboo(日本かぶれ)。
“Japanese Armour - Okegawa-do tosei gusoku” by Nature And is licensed under CC BY 2.0
割と真面目な内容だった。
返信削除とても良い考察
返信削除この人自前の甲冑も刀も持ってるからな
返信削除最後の方の外人さんのレスで、まともに日本刀の性能を語ってくれていて、ホッとした。 最近、アホな外人が鉄の品質が云々~というトンデモ論法で、日本刀を貶めるケースが増えてるからね。
返信削除ホントそう
削除戦国期も明治時代にも実際に西洋人があらゆる西洋の剣と比較して日本刀の事をほめちぎってるのにな
何の裏付けもないまま日本刀が世界的に有名になった訳じゃないのに浅薄な知識で過大評価だと言い出している
褒めちぎられてホルホルするって情けないにもほどがある。
削除刀について真面目に考えないからガイジンの評価に一喜一憂しているだけ。
お前らみたいなバカが増えたら日本は滅ぶ。
日本刀ディスってるのは ほぼ韓国人だけだけどな
削除>>4b
削除褒められてうれしいなんて、どこにも書いてないのに、何勘違いしてんの? 馬鹿なの?
認知バイアスにかかったヤツらばかりだからな
削除西洋の剣は質量で殴るだけの鈍器とか言ってるやつは日本刀の刃が薄くて壊れやすいとか言ってるやつと同レベルだけどな
削除二年前のコメントに、しかも誰もここでは言ってない
削除「西洋の剣は質量で云々」をあげつらってまで
何とか心のバランスをとりたいらしい
欠点はメンテナンスが面倒くさいとかかね。毎日研ぎ粉ポンポンとか油?塗りとかトーハクは刀の所蔵が多いから相当大変らしい。
削除母衣にも触れて欲しかったなあ
返信削除この人の動画は資料にもとづいて真面目に考察されていて好感が持てるわ
返信削除いい加減な事ばかり言う自称解説動画とは大違い
一応陣笠は盾にも使える
返信削除頭部の守りが無くなるが
兵法書に矢に対して被っている陣笠を向けると書いてある。
削除頭頂部近辺は分厚く補強されているので貫通しない。
密集してるところに矢を撃ち込まれても陣笠の防御力は高かったそうだ。
母衣もあったからなぁ
返信削除山がちで森林だらけな地形が地中海世界と違うと思うの
返信削除それもあるな
削除山のなか駆けずり回って土塁登って闘うのに盾は持てん
なぜイージス艦は装甲を厚くしないのか?
返信削除速力が落ちるから
削除そもそも艦自体への飛来物はイージスシステムで叩き落す運用
それでも戦闘指令所や発動機&燃料タンク周りはさすがにまともな装甲貼ってる
中国の最新巡視船にラムアタック用の衝角が付いてて世界中が震撼したんだよね
削除しかも体当たりによる撃沈だと接触事故扱いで武力行使に該当しないとか
日本の鎧は軽さと強さをよく兼ね備えてたから、矢だるまになって攻撃してくる様を大陸の記録が残してるな
返信削除かなり真面目で良い考察。
返信削除一つだけ、>ドローウェイト(弦を掛ける際にかかる重さ)が小さいので鎧を貫通する事が難しく
これ、ドローウェイト=貫通力ではない。矢の重量でも貫通力は増す。ただし射程が落ちる。
和弓は低張力、重量矢で、高貫通力、高速射性、短射程。重武装+騎兵弓。機動力で射程を補う。
ロングボウは高張力、軽量矢で、高貫通力、低速射性、長射程。軽装歩兵武器。
重装山岳長弓直接射撃騎兵(馬上特化片手刀剣装備、ホースマンズレスリング習得済、アンダーウォーター可)
削除予備知識無かったら鎌倉武士の実在信じられないよな
平原の海外と違って、木々や藪の多い所では邪魔だろうしな
返信削除武士は比較的早期に鎧が重装化したのもあるな
返信削除東西によらず、鎧が重装化すれば盾は廃れる
十字軍のころ西洋はチェインメイルを着ているが、本邦では大鎧を着ている
あと、西洋人が盾に拘るのは、古代ローマのスクトゥムの印象と、騎士のイメージからやろな
騎士は盾持つ職業と言われたように、盾に強い思い入れがある
紋章も書くしな
ギリシャ神話も関係しているかも
削除アキレウスが神様からもらったアキレウスの盾、
ゼウスの娘はアイギス(英語読みでイージス)だし
外国人でまともな考察初めて見た
返信削除上記でも書かれてるけど弓の張力=貫通力じゃない、和弓は射出時の反転で弦が矢を押し出す形になり無駄なく運動エネルギーが矢に伝わるのでまっすぐ飛ぶ。
近距離なら重い矢も相まってプレート貫通可能、兜もクラッシャブルゾーンなどが有りオーパーツ気味
ポーランドのフサリアも、ビザンツのカタフラクトも重装弓騎兵(正確には弓兼槍騎兵)だけど盾を持っていたのでこの分析は疑問。
返信削除彼らのように背負って、場合によって持ちかえるには馬が貧弱すぎたって可能性もあるかもしれないが
騎馬武者は首をとるための下馬近接戦闘に遭遇しやすく、同じ大鎧装備の相手を倒せる両手武器叉は片手武器+関節技含む格闘術のどちらの手段も盾が邪魔になるので廃れた、というのはどうだろうか
首級あげるためにはどうしても組み伏せて組討しなきゃならんもんね。
削除確かにいい分析だが、古代に馬の伝来が5世紀というのはないな。(遺伝子的な解析とか研究者が勝手にしてるけど、)出雲・東北・関東など地域によってかなり時間差はあるが、おそらくかなり古い。
返信削除まあ、会戦形式で騎兵戦が行われたかどうかとなるとかなり怪しいけどね。
ただ『軽部』という『部民』が吉備や大和において単純な戦車『軽』を用いて『駆って』いたから、『かる』となり、漢字の軽重の意味が合わさって『軽い』という形容詞が生まれたという単語の派生の過程は想像に難くないから、戦車はあったんだろう。この部族を考えると5世紀では時間が合わないだろう。
で、盾だが、盾が肩に着いて鎧の一部に、というのは、なかなか良い考察。
実際盾でさえ折り畳みにしたい日本人は、肩の大袖は盾の役割。『いむけ』と『めて』という騎射の想定で作られた盾。動作に合わせ柔軟に形が変わり、持ち運びや片づけがしやすい、あの形態になったのだろう。
さらに古くは持ち盾もあったとみていい。
『戦わす』の語源は『盾交わす』、『戦う』は『盾交う』にある。集団で亀甲陣形で盾同士を密集させてぶつかる。ラグビーなどのスクラムのような状態が語源。逆に『盾を伏せる』は『和睦』の意味であり、『たてふし』といい、ねぎらいと喜びの『盾伏しの舞い』というものがあった。
一説には、古墳の形状は盾を伏した形ともいう。それはどうだかしれないが、『盾を突く』は『反乱する』、『衝立・ついたて』は盾を並べて包囲し障壁にする、越中の『立山』は盾のように守ってくれる山という(『岳山・高く鋭い山々』とも)。
ともかく、『盾』自体を由来とする言葉や地名が各地にある。それだけ身近で普及していたものだった。
戦うの語源は人が互いに叩きあうっていう原始的な行動からでしょ
削除戦の漢字自体も武器の象形だし
普通に考えても盾よりも武器のほうが概念発生は古いだろう
語源が盾から発生しているっていうのは無理があるなぁ
日本列島に武器が入ってきたときには鉾や弓、盾を人類は得ていたと思わない?日本人が独自に武器を作ったという思ってる?例えそうでも、棍棒があれば、防衛の道具をほぼ同時に思いつくでしょ。それをタテとこの地域の祖先がただ呼んだだけ。
削除それにこの論は和語の話、漢字の成立は中国大陸の話だと思うんだよね。形象とか関係ない。
あなた中国の人?そうじゃないよね?
だったら和語と漢語の関係はちゃんと区別しようね。
最後に「戦う」の語源が「叩き」・「合う」という動詞2単語の合成の名詞化なら、単純に「たたき」だけでもよかったはずだし、二つ目の「合い」の「あ」の音が語幹なのに省略されて意味をなさないというのも時間とともに消えたというのはちょっと強引。
逆に「たてかふ・盾交ふ」はこれで一つの単語。原始的行動っていうがいつの段階で日本語ができていると思っているの?叩き合うなんて哺乳類の出現より遡るけど、「たたかふ」という和語がその時代にできたとでも?それに体を持って人を制止するのに防具を用いる方が有効でしょ。武具として防具を用いることの方が簡単な「概念発生」だと思うけどね。
とりあえず、なにを持って無理といっているのか、ちょっとわからないなぁ
竹束および車竹束、木慢や車楯はもちろん、車井楼なんてのも楯の部類に入るんじゃなかろうか?
返信削除実は西洋の一部でも中世後期になると盾は廃れてるんだよね。
返信削除理由は単純で鉄が鋼鉄に変わり、手でもてるような盾じゃ攻撃を防げなくなったから。
日本では早々に鋼鉄が登場したから手持ちの盾が意味をなさなくなったって言うのも理由の一つ。
>理由は単純で鉄が鋼鉄に変わり、手でもてるような盾じゃ攻撃を防げなくなったから。
削除なにゆうてんねん、逆や。
鎧が発達したから盾を持つ必要性が薄れ、かつ両手武器じゃないと有効打を与えられなくなったから、時代が下ると盾が廃れるんや。
武器が鋼鉄になったからとか、そんなんないよ。
というかヨーロッパの場合は百年戦争でボウガン出てきたからな
削除それまでは重武装した騎兵が槍で戦うのが一般的だったが、軽装の
弓兵やボウガンで重武装の騎士の鎧を貫通するようになってしまった
漫画のホークウッドでも当時のことが描かれているよ
ぼくらには良質な鉄があるからね厨死亡
返信削除日本語において弓矢は、武具や武器、武道や武術、戦い(軍事)や戦(いくさ)そのものを意味する。「いくさ」の語源が弓で矢を放ち合うことを表す「射交わす矢(いくわすさ)」が、「いくさ(射交矢)」に変化したといわれる。
返信削除外国人は侍が刀で斬り合うイメージを持っている人が多いけど、武家の事を「弓矢の家」と呼ぶし、今川義元を「東海一の弓取り」と讃えたりする。日本の長弓は女性が引くことが出来る程軽く弾性もあり飛距離もある。世界の多くは単弓で硬く重いため、馬上から用いることはなく、腕力のある特別に訓練された弓歩兵が、その弓を使用した。また飛距離においても、日本の弓矢を凌ぐ物はあったが、特殊なものであり汎用性はなかった。だから日本の武家は軽い上に飛距離があって使い勝手の良い長弓を馬上で使用するという日本独自スタイルになった。その結果母衣みたいな面白い盾を背負うようにもなったし。
『「射交わす矢(いくわすさ)」が、「いくさ(射交矢)」に変化したといわれる。』
削除おそらく、いわれているだけで確立した説ではないはず。
以下も同様の私見的な意見の域をでないのだが、語源学とは所詮そういうもの。証明自体がほぼ無理なもの。
ただ、以下の方が記紀や舊事記を読むと可能性が幾分高いだろうと思われる。
古代大和王権の成立した頃、日本は津々浦々や山地・盆地の小国が分立してそれぞれ言葉や衣類の習俗、生業、時には人種さえ様々だったと想像に難くない。
これを『八十種・五十種(やくさ・いくさ)の海人(あま)山人(そま)』と中央では呼んだ。古代の制度「五十の姓(いくさのかばね)」という言葉にこの名残がある。
で、大和の王が代替わりすると、恒例の反乱が各地に起こる(笑)。するとこれらをまとめ、王の代行者の将軍の軍団は多種多様の外見の混成軍団をつくり征討する。
この多様な軍そのものを「いくさのつわものども」といい、さらにこれを「いくさ」とたんに呼ぶようになる。これは軍の随行書記官などが書面上「軍」の字を当て、そのまま軍事行動そのものの「戦」を指すようになったということではないかな。
多分、四道将軍の派遣された2~3世紀ごろには成立していた語だと思われるな。
で弓矢についてはそこはよくは知らない。
間違えた「五十(種)の姓」じゃない「八色(やくさ)の姓」だったな。
削除>平和な時代が一時期ありましたが基本的に古代日本では常に戦争が起き、
返信削除>日本人同士で争っていました。その理由はとても単純で日本には資源が、
>農地として使える土地が、そして生産資源が限られていたからです。
おそらくこれを知らないから欧米人、特にアメリカ人はなぜ日本人は資源を
奪う為に海外へ遠征に行かなかったんだと思うんじゃないかな。ヴァイキングの
ように船を使って朝鮮や中国と戦わなかったんだと4chanでも言われたけれど
日本が統一されたのは16世紀後半だからな。アメリカ人はおそらく十字軍遠征や
ヨーロッパの戦争と日本を比較するから誤解が生まれる。もちろん倭寇や村上水軍など
日本にも海賊は居たけど。それとイギリスと日本を同一視して、イギリスがヨーロッパと
戦争していたのを参考にしているかもしれない。そもそもヨーロッパは外国にケンカを売りまくって
それで技術革新が起きたけど、日本は隣国となるべく揉めない様に協調を求めていたし。
古い書き込みだけど、
削除統一されたの16世紀って、どこの日本のことなのか気になる…(*´∇`*)
もう見てないと思うけど、16世紀(1590年)に秀吉が天下統一したと言われているしその事では?
削除豊臣秀吉の天下統一知らないとか義務教育受けていないのか?
削除鎌倉武士だろうが戦国武士だろうが新撰組だろうが
返信削除盾もって相手できるとは思えないw
しっかりとした考察素晴らしいわ
返信削除学術だったら論文として発表できるね
ボクシングのフックは打ち終わりに肩でアゴを防御する
返信削除それと同じで肩に盾を付けるというのはとても効率的だね
こういう外国人が語る考察だと毎回地形の考えが抜けてるよなあ
返信削除平地は少数でその平地も岩だらけでごつごつしてて歩きにくかったりで
基本的には機動戦が強いられる
基本傾斜のある山の中や段々になった田んぼ、川挟んだ林の中、背丈ほどの草ぼうぼうの中で戦うからな
返信削除弓槍に限る
言ってることが矛盾してる
削除傾斜のある山の中や段々になった田んぼ、川挟んだ林の中、背丈ほどの草ぼうぼうの中で戦う
ならば片手でも両手でも扱え
腰に差したり佩いたりして携帯性にすぐれた刀剣に限る
実際日本史紐解けば
槍は防御用、刀は攻撃用
>盾とウォーハンマーを同時に使うなんて実際にはできないし。
返信削除そうそう歩兵用の実戦的ウォーハンマーは長くて両手持ちなんだよね
ゲームで出てくる片手用ウォーハンマーは騎兵用であまり戦果は期待できない系の武器
鉄砲避けの盾は竹束ってのもあるよね
返信削除単に竹を切って束ねただけだが丸みがあって銃弾には効果てきめんだったらしい
現地調達できてエコで使い勝手バツグン
たまに騎士の鎧で変な形の兜があるなぁって思ってたけど
返信削除騎馬用やったんか・・・
>日本が統一されたのは16世紀後半だからな。
返信削除いやいや。それは無いわ。
一人の君主を推戴する国家としては推古天皇の頃には既に統一されてからかなり経って居る。
中央の命令が隅々まで届くと言う意味では、天智天皇で一度完成したし、
武士の時代に入った後も平家も奥州藤原氏も、天皇の臣下と言う立場を取って居た。
武士の立場って、実は各地の暴力団が施政権持っちゃった形なのよ。
いや国家として海外にも「日本」として認知されるようになったのは聖徳太子の時代だろ。あと南北朝時代の時に朝廷が分裂して天皇が二人になったし、ぶっちゃけこの国は諸外国の「国民国家」になるまで時間が掛かった。あんたが言っている推古天皇の時代にも蝦夷や地方の豪族で文化だけじゃなくて言語もバラバラだったと民俗学者の大月隆寛もテレビで話していた。だから厳密にいうと日本が統一されたのは明治時代とも言われている。江戸時代ですら一部の地域は山窩の生活圏で、そこでは日本語ではなくてサンカ語という漢字の代わりに象形文字を使っていた。
削除誰でも一撃必殺に特化した突いたり切ったりするのが主流っだったから軽装なのかも
返信削除西洋の剣は叩き殺すための武器だから筋力が物を言う武器で(筋力がなければきっと叩き殺すのに時間がかかる)重いが硬い代わりに刃こぼれは問題にならないという利点もあり結果盾や甲冑が発達とそもそも近距離戦主力武器の性質が違うからかもしれない
後は山も多く合わせて城は木造で建設が早く地形特化の兵器となり敵の進入路の上から岩や丸太を落とす戦略がとりやすくそれらを避けるには軽装が良いとかじゃん
実際は「刃こぼれ」が問題になるからこそ
削除身幅と重ね(厚み)を増量していったのが
中世ヨーロッパの刀剣なんだけどね
西洋の剣は叩き殺すための武器・・・これは間違い
正確には切るための武器として当然設計されてるが金属加工技術が未発達だったので焼きいれた表面がぼろっとはがれることがしばしばあって
結果的に鋭い刃がつけられず分厚くなっただけ
その証拠に加工技術が発達した19世紀あたりの西洋の剣は日本刀同様に切れ味重視の身幅と重ねの薄いものになった
ダマスカスとかエクスカリバー級のファンタジー持ち出すなよ。
返信削除それより西洋で数千人の戦闘は珍しい部類だし数万人規模の戦闘なんて無いし、言うほど盾なんて多用してないし、とかそういうそもそもの前提条件が重要なんじゃないかな。なぜだか西洋の人たちそういう所はファンタジーに依存しちゃうよね。まあ僕らも数万対数万の総員刀持ちで向き合ってるとか油断してると夢想しがちだったりするけど
返信削除上でも何人か言っているが、地形が違い過ぎる。
返信削除現代のちょっとした田舎ですら、木が多くて歩きづらいのに。
森に逃げたら槍なんか即効で、ただの杖になる。
短槍って割と有能で色んな時代、色んな国で使われたけど
返信削除不思議と日本では流行った事がないんだよね
イギリスも使ってないから島国特有かと思ったらそうでもないし
本文コメにもある母衣とかその手の
返信削除用途として盾に相当するものの解説がもっと入るかと思ったが、そうでもなかった
あと日本の戦争は
ローマ時代のそれみたいに最初から決められた広い場所のみで戦うわけじゃないから
邪魔だったんじゃね?
弓馬の道って言い回しが成立したのいつ頃なんだろ
返信削除刀の鍔も盾の仲間に入れられないかな(*´∇`*)?
返信削除最初に弓を選択したから両手をつかえるような武装に進化し、
返信削除両手をつかえるから両手武器を使うようになったってのは、なるほどと思った。
左手の手甲で身を守って、分厚い片手剣で殴りまくる武士もいたらしいが。あれは例外っぽいし。
この話題は2ちゃんねるのころから私のテーマでした。古代の盾や置き盾はよいとして左手の盾で防御し右手の武器の攻撃というスタイルがなぜなかったか。つまるところ武士は左手で何を持っていたか?ということになります。源平のころの武士は世界でも類を見ない重装甲でした。しかも弓を馬上で使うわけで重装騎馬弓兵という特殊なものです。すでに回答がありますが弓を使うために盾を持てません。すなわち左手は盾ではなく弓を持っていた。となります。
返信削除その後武士の装甲は歩行専用となり軽量化します。これは西洋とは逆です。もともと日本刀は片手で扱う馬上刀剣でしたが、初めから弓を扱うために馬上でも盾がないのです。その後「いわゆる日本刀剣術」において盾を使う技術は刀を扱う技術と融合せず消えます。もともと日本刀はポンメルの代わりに柄を長くすることでバランスを取ってますから。柄が長ければ両手で扱うというのも必然になるでしょう、また、騎士のような盾と小脇に抱えた槍のランスチャージも槍は両手で扱う薙刀のあとから出てきましたし馬が小型ということもあり、さらに武士と馬の扱いは近代でいう竜騎兵のように騎馬歩兵とかんがえると。中世後期の武士は騎馬戦闘も少なかったわけです。
返信削除もう一つ私が思うのは馬の調教です。日本馬は西洋やアジアのように去勢をしていません。モンゴル人でさえも未去勢の馬は気が荒くて乗りませんが武士は気の荒い馬を乗りこなすことを誉れとしていました。西洋馬のハミはH型でHの下棒が長いのをつかってます・これはテコの応用で小さい力でも口をきつく制御できますが日本の馬のハミはこのタイプではない。そうなると戦場で雄の未去勢の馬はかなり危険で制御しにくいはずです。実際明治に大陸へ行った日本騎兵は未去勢馬だったのでコントロールができなかったという話は残っています。中世武者絵をみると馬は激しく首を屈頭してますから相当な力で押さえつけられてると思います。つまり手綱を扱うに相当な力が必要なはずです。もう一つの答えは
返信削除「武士は左手で(場合によっては両手で)手綱を押さえ馬を制御した」です
日本で弓手は左、馬手は右ですが、ウェスタンカウボーイも騎兵もモンゴル人も片手手綱の場合は手綱を左で持ちます。
返信削除右手は道具を扱うので(ロープやサーベルやら)あけておくのです。もちろん両手で扱えること前提ですけど。ここでも日本は特殊ですね
西洋もクロスボウが発明されて盾や槍が廃れたと漫画のホークウッドで説明されていたな。
返信削除面白かった。
返信削除弓の強さについては60kgぐらいの三人張りというものがあるのでロングボウと比較してもおそらくそこまでの差はないと思う。
ただ、和弓は矢自体が長く重いのでその分飛距離が落ちるかもしれないけど威力は高いと思う。