アメリカ・ケンタッキー州のラジオ局『89.3 WFPL』より

いかにしてトヨタはケンタッキー州で日本食文化を繁栄させたか

How Toyota Helped Create A Thriving Japanese Food Culture In Kentucky - January 26, 2018

日本人向けスーパーマーケット『Ayame』でオーナーであるアケミ・エグチが輸入DVDや炊飯器が並ぶ陳列棚の背後にある冷凍庫の中身を確認する。そこには豆をペーストにした餡を使った菓子やメロンパン(オーナーは言うにはアメリカ人のアニメ好きの子供たちに人気だという)、野菜のピクルス、大根などが収められている。

その周りには新鮮な魚や肉、さらには餃子の皮などを入れた冷蔵庫が複数並ぶ。他にも4つの通路にある棚には色鮮やかなパッケージのお菓子やヘアプロダクト、カレー、インスタント味噌汁、お茶など日本の商品でいっぱいだ。

だがこの店は東京の路地にあるわけではない、アメリカ合衆国ケンタッキー州中央部、ブルーグラス地方の工業都市レキシントン南東部の小規模ショッピング・センターの一角に存在するのだ。



「皆さんこの店は本当に小さな店だとおっしゃいますが、整理整頓された商品棚にはあらゆる商品が少しづつ並んでいるんですよ。」とエグチ氏はレジ横に積まれた米袋のピラミッドの前を身体を横にしながら移動しつつ語った。「お客様からは日本のスーパーのミニバージョンみたいだと言われます、でもそれは私たちにとっては大きな賛辞だと思います。」

ケンタッキーの中心にある大学の町に小さな日本の食料雑貨店が存在していることを"場違い"だと思うかもしれない。だが彼女が4年前にこのAYAMEをオープンして以来、この店の顧客ベース(事業の収入の中心となるリピート顧客層)は成長し続けていると言う。

それは不思議なことではない、約30年前にトヨタの製造工場がこの店の近くのジョージタウンにできたことで日本の食料品や商品への需要が生まれたことからすべてが始まったのだ。

「私が28年前にレキシントンに移った時には日本食を食べれるところなんてまずありませんでしたし、日本食が恋しくなりました。」とエグチ氏はレジを打ちながら述べた。「でも今はそんなにホームシックにはなりませんね。」

トヨタがケンタッキーに来た時

1985年にトヨタ自動車の取締役会長の豊田 章一郞はケンタッキー州ジョージタウンに米国で初めてとなる同社の製造工場を設立すると発表した。

「トヨタがここに移ってきた時、日本企業が米国で成功できるかどうか、ジョージタウンだけでなく他の米国の地域でも成功できるかどうか、経済界全体が注目していました。」とケンタッキー日米協会のデビッド・カーペンター事務局長は語る。(※ケンタッキー日米協会:日本とケンタッキー州のビジネス・文化・社会・習慣について相互理解を深めるため1987年に設立された非営利・非政府機関)

そして現在、米国にはサンアントニオ(テキサス州)やハンツビル(アラバマ州)、ブルースプリングス(ミズーリ州)を始め10都市にトヨタの製造工場が存在している。トヨタがケンタッキー州で成功したことで、他の日本企業もまた急速にこの地域に進出してきた。

トヨタが来た当時はこの地域には4〜5つ程度の日本企業しかなかったと思います、ですが現在はケンタッキー州に206社の日本企業があります。それに伴い日本人コミュニティの人口も爆発的に増加しました。」とカーペンター事務局長は言う。

「彼らが最初にこの地域に進出した当時は日本食を食べることが非常に困難でした。」

日本人の移民が母国の味を恋しく思うのと同様に、新しくアメリカに移った日本人労働者もまた日本食を熱望していた、特に米国にトヨタの工場が開かれて以降多くの人々が研修の一環としてアメリカに訪れていたこともあってだ。

「また日本企業で働くケンタッキーの労働者も日本を訪れる機会が増え、"本物の"日本食を味わいました。彼らが帰国すると、誰もがそう思うように、その経験を友人や家族と共有したいと思いました。」カーペンター事務局長はそう続ける。

伝統的なレストランからモダンなレストランまで

そしてこの文化交流は、全てのローカルなスーパーマーケットで寿司が食べられる現在よりもずっと前から始まっていたことに留意してほしい。当時は本物の日本食を味わうことは困難だった。

このエリアでおそらく初めての "本物の" 日本食レストランである『Tachibana』がレキシントンで店を開いたのは約25年前だった。両側にチェーンのモーテルが店を構えるが、その店は柱と梁で建てられた伝統的な日本の家のような佇まいをしている。

「Tachibanaは当初、この地域に滞在する日本人にとって快適な場所となることを目指して開かれた思います。」とカーペンター事務局長は言う。「ですが次第に日本人だけでなく地元のアメリカ人も注目するようになります。またこの店は日本の食料品などを売るスーパーも併設されていました、それはこの地域最初の日本人向けスーパーの1つだったのです。」



以降、日本のレストランやスーパーは次々に現れ始める。

「それは80年代初めのこの地域に対する日本企業による経済的投資がもたらしたものと言えますが、現在も日本食レストランに対する需要は盛り上がりを見せています。」

photo via : yelp.com

photo via : yelp.com レキシントンのダウンタウンでは、元々銀行だったスペースをトレンディな日本食レストランに改装した『School Sushi』と呼ばれる店がつい最近オープンした。

「魚について学べるような寿司レストランを目指したんです。」とオーナーのトモカ・ローガンは寿司カウンターの後ろを歩きながらレストランの名前の由来を説明する。

彼女は18年間レキシントンに住む日本人だ。東京に生まれた彼女はアメリカ人と結婚、後に夫が米国のトヨタ工場に雇用されることが決まり二人してケンタッキー州に移住した。彼女は初めて、レキシントンで就職活動を開始し初めて面接を受けた企業の側にあった、Tachibanaで食べたときの事を鮮明に覚えているという。

「アメリカに移ってから初めての寿司でした。本当に美味しいお寿司でそれがどれだけ素晴らしかったか、その感動を今でも覚えています。面接の方は何も覚えていませんけど。」



数年後、彼女は最初の『School Sushi』を開いた。そして8年間のビジネスの後に彼女はレキシントンのダウンタウンの中心部に移り、2人の日本人シェフを連れて同店舗をリニューアルした店をリオープンした。

「私たちの町には大きな日本人コミュニティがあります、ですから私は本物の日本の食べ物を日本の方々と、そしてもちろん地元のアメリカの方々と共有したいと思っていました。」と彼女は店内のコーナーに座る二組の客をジェスチャーで指しながら言った。そこには日本語で冗談を言いながら楽しそうに会話する家族と、英語で飲み物を注文しているカップルがいた。

それはビジネスであり、同時に人と人を繋ぐものである

現在ケンタッキー州中央部には数多くの日本食レストランと日本人向けスーパーが存在しているが、ケンタッキー日米協会とトヨタは協調して日本からの移住者や滞在者が異国にあっても心休めるよう努力を続けている。

トヨタのメンケ氏によると、新しくこの地で働くことになる労働者たちに向けてより地域に適応できるようかなりの量のオリエンテーションを開いているという。

「我々は彼らが新天地でより活動的になれるよう手助けをし、地理や地域社会のさまざまな部分、そして彼らが地域になじむために必要なことを教えサポートしています。」とメンケ氏は語る。



ケンタッキー日米協会も同様に彼らをサポートしているという。

「我々もこの地域に来る日本の方々のために『ケンタッキー州へようこそガイド』と呼ばれるかなり分厚い日本語で書かれた小冊子を提供しています。」とカーペンター氏は言う。

「運転免許取得の方法から交通事情やそれに関する米国特有のルールまで、これは日本とは全く違うので重要だったりします。他にも様々な情報をまとめていますが、特に大きな割合を占めているのはどこにレストランがあるのか、どこに行けば伝統的な日本食を食べることができるといった食に関する情報です。」

それらは単に移住者のサポートを目的としているのではなく、州のビジネスにとっても意味がある活動だという。ケンタッキー州に対する外国人投資の47%が日本からのものなのだ



もちろんそこには文化と料理を通じた交流、2国間の相互理解を深める側面もある。

「ケンタッキー日米協会の目的は日本とアメリカ、2つの文化のギャップを克服することです。」とカーペンター事務局長は言う。「日本は我々の最も重要な同盟国の一つです。私の息子が数年前に "ally(同盟国)" とはどういう意味かと聞いたとき、私は "友" を意味するのだと教えました。すると息子は『じゃあ日本は私たちの友達なの?』と尋ねました。『そうだよ、彼らは私たちの最高の友人の一人なんだ。』と私は答えました。」

友人と食事を共にできるということはいつだって素晴らしいことではないか、とカーペンター事務局長は最後にそう付け足した。

ケンタッキー州政府 アジア代表事務所 の情報によると現在トヨタは当州で11,500人以上の州民を雇用し、既に60億ドル超を投資しているとのこと。またトヨタは昨年4月にはケンタッキー工場に13億3000万ドルを投じて生産設備を刷新することも発表しています。ケンタッキー州には180社以上の日本企業が進出し44,000人以上の人が雇用されているそうです。

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海外の反応

facebook.comのコメント欄より: ソース


Michael Veirs TMMK(トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・ケンタッキー、トヨタ自動車の米生産子会社)で25年働き今は退職した。まだ初期の段階で就職したんだが当時はそこで勤めていた人間は皆雇われてから2週間以内に1か月間日本に研修に行かされていた。日本人の大半は本当にいい人たちだったな。

私も妻も日本のカレーライスが大好きなので私たちの食生活に定着した。工場の食堂では餃子がメニューにあるときは大人気だった。色んな日本食がこの辺りじゃ定着していったけどここじゃ受け入れられないだろうなっていう日本食も正直あるね、例えば納豆とか。

Jennifer Rabalais そうね、納豆はきっついね。私はハワイに住んでいてここじゃアジアの食べ物が結構簡単に手に入るから色々試してきたけど納豆はダメだったわ。

Jeanne Laurencelle 私も以前試した。あれは不快な食べ物だった。不快を超えた食べ物だった。

Poketako Meteor Conx 納豆美味いのに...

Shaun Strawser 餃子は美味いよね、アメリカ人がピザを愛するように私は餃子を愛している。

Michael Veirs 私も勤めてたよ。1987年に日本での1か月の研修から帰ってくると上司が私たちを、自動車の生産現場には組立部門の前にボディ部門があって塗装部門やプラスチック部門やブレス部門があるんだけど、そのプラスチック部門全員を日本食レストランに連れて行ってくれた。アメリカ人6人に日本人4人。そこで上司が生のタコを皆のために注文してくれた。

噛み切れない...
ひたすら噛み続け必死になって飲み込む。「おいおい、トヨタの食堂ではこんな料理ばかりが出るんじゃねぇだろうな...」と不安に思ったよ。Haha。

Jill Johnson Bertelson レキシントンで結構な数の学生が幼稚園の頃から第二外国語として日本語を学んでいる理由がこれだよ。本当にこの地域には日本人向けのスーパーや日本食レストランがたくさんあって日本の夏祭りも毎年行われているんだ。

Chassen Bell 羨ましい... 私のところはスペイン語とフランス語しか選択できなかった...
どっちも興味ないっす。

Carmen Middleton "日本人向けのスーパーや日本食レストランがたくさんあって"
そこに日本のチューハイが売っているのだとしたら、私はケンタッキーに行かなければならない...!

Bob Lyons アメリカで最高の寿司を食べようと思ったらケンタッキー州北部においで、トヨタのおかげでここには美味しい寿司屋が何軒もあるのだ。

Jim Foreman ケンタッキー州北部やシンシナティ空港の近くには良い日本食レストランがたくさんあるね。トヨタは北米生産地区を統括する会社をシンシナティ市近郊に置いたりしていたからね。

Steve Whorf トヨタのオフィスにある日本食レストランで何度も食事をしたことがあるけどまず1食の量の多さに驚いた、そして刺身とマヨネーズを組み合わせた一皿があったことにも、美味かったけどさ。

Sara Kim 豊田通商(トヨタグループの総合商社)の人たちと仕事で15年ほど付き合ってきた、本社にも何度も訪れたことがある。ケンタッキーの寿司屋とフレンドリーな人々が恋しいよ。

Daisuke Shimizu オハイオ州にも日本人コミュニティーがたくさんあるよ、メアリーズビルにはホンダの工場があるからね!

Wendy Dinsmore いいなぁ、私の住むところにもこういった話があったらよかったんだが。

John Ashe やっぱ多様性のある社会って素晴らしいね。

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