ノーべル賞学者や各界のリーダーによる論考や分析を配信する国際的NPO『プロジェクト・シンジケート』より

なぜ日本にはポピュリスト(大衆主義者)がいないのか?

Why Is Japan Populist-Free? - by イアン・ブルマ(米バード大学教授/ジャーナリスト) - Jan 10, 2018

Project Syndicate(プロジェクト・シンジケート) は国際的なNPOであり、各国の新聞をつなぐ組織である。専門家や活動家、ノーベル賞受賞者、政治家、経済学者、政治思想家、ビジネスから学者にいたる各界のリーダーによる論考や分析を会員の新聞および雑誌社に配信し、会員間のネットワークを組織している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/PROJECT_SYNDICATE

"現代日本には欠陥があるかもしれないが、日本は米国やインド、またはヨーロッパの多くの国よりも平等な社会を築けている。

富が富裕層に偏ることがあってもそれは控えめであり、日本社会が分厚い中産階級を維持できているため他の先進国や途上国を混乱に陥れている危機的な政治から逃れることができているのだ。"



右派ポピュリズムの波が欧州、米国、インド、東南アジアの一部を席巻しているが、日本は今のところ影響を受けていないようだ。

オランダの極右政党のヘルト・ウィルダース、フランスの極右政党のマリーヌ・ル・ペン、アメリカのドナルド・トランプ、インドのナレンドラ・モディ、フィリピンのロドリゴ・ロア・ドゥテルテのようなデマゴーグ(扇動政治家)は日本には存在しない、政治的エリートまたは文化的エリートに対する民衆の憤慨を利用し扇動する政治家たちが。それはいったいどうしてだろう?



おそらく、先に挙げた彼らに最も近い日本の政治家は橋下徹だろう、テレビのパーソナリティーとして有名になり、大日本帝国軍による戦時中の性奴隷の使用を賞賛して自分で自分の名前を汚した前の大阪市長だ。彼の超国粋主義的価値観とリベラルなメディアを嫌う姿勢は右翼ポピュリストによく見られる特徴だったが彼は国政には進出しようとはしなかった。

その橋下徹は現在、国家安全保障法の強化に関する自由な助言を安倍晋三首相に対し直接与える立場にある。その安倍晋三首相以上に政治エリートという認識を持たれている政治家はいないだろう。彼の祖父は戦時中には閣僚で後に首相となった人物で、父は外務大臣だった。しかし彼は政治エリートでありながら右派ポピュリストが持つリベラルな学者、ジャーナリスト、知識人に対する敵意を分かち合っている。そしてここに日本に右派ポピュリズムが存在していないように見える理由の一端がある。

戦後の日本の民主主義は1950年代と1960年代に戦時ナショナリズムから日本を遠ざけようとしてきた知的エリート層によって多大に影響を受けた。安倍晋三首相とその支持者はその影響を排除しようとしている。

彼が日本の平和憲法を改正し戦時中の誇りを取り戻そうとする保守反動的な努力をしていることから、中道左派の新聞『朝日新聞』などの「エリート主義」の主流メディアを信用せずにいることから、ドナルド・トランプ政権における前首席戦略官兼上級顧問スティーブン・バノンは安倍晋三首相を「Trump before Trump」と呼び賞賛した。

「安倍首相は、私が尊敬するリーダーの一人で、そのナショナリズムは本当に素晴らしい。…私は、大きく言って、安倍総理は“トランプが大統領に就任する前からいたトランプ”(Trump before Trump)ではないかと思っている。」




ある意味ではバノンがそう考えたことは正しかった。 安倍首相は2016年11月に米ニューヨークのトランプタワーでのトランプとの初会談で「私は朝日新聞をおとなしくさせる事に成功しました。私はあなたがニューヨークタイムズを同様におとなしくさせる事に成功することを願っています。」と言った。一応は民主主義国家の指導者同士がこの様なジョークを言うのは甚だ遺憾だ。

産経ニュース: 安倍晋三首相「私は朝日新聞に勝った」 トランプ大統領「俺も勝った!」 ゴルフ会談で日米同盟はより強固になるか? http://www.sankei.com/premium/news/170211/prm1702110028-n3.html


これはこう言えるかもしれない。 つまり右派ポピュリズム的な要素が欧米のようにリベラルなエリートに反発する大衆に支えられる形でボトムアップで国の政治に入り込んだのではなく、エリート側の人間、それも日本の最もエリートな一族の子孫によるトップダウンによって日本の政治の中枢に存在していると。

こうした逆説的な状況が日本にルペンやモディ、トランプのような大衆を扇動する人物が出てこない理由となっていると考えられる。だがそれが全てではない。

" デマゴーグが利用するのは大衆の憤慨だ、そして怒りは屈辱感や失われた誇りによって燃え上がる。人の価値が個人の成功具合によって測られる米国のような社会では、有名人や金持ちが成功の象徴とされる社会では、それが相対的に不足していると感じやすく屈辱感を覚えるのが簡単だ。 "



デマゴーグが移民や、都市部の人間や、知識人や、リベラルに対する大衆の憤慨を呼び起こすためには国の幅広い層に顕著な財政的、文化的、教育的格差がなければならない。

日本での事例としては1930年代半ばに起きたクーデター未遂事件がそれにあたる。政治家と財閥系大企業との癒着や大恐慌から続く深刻な不況等の現状を打破すべく、 日本の政治腐敗の原因を政治家、銀行家、ビジネスマンなどであるとし日本の軍の一部が性急なクーデターを起こし失敗した。

クーデターはその多くが貧しい農村地域で育った兵士によって支えられていた。彼らの姉妹は家族が生き残るために大都市の売春宿に売られなければならない状況にあった。彼らにとって西洋化され洗練された都市に住むエリートは敵であった。そして世論も主に反政府勢力の側にあった。



だが現在は状況が全く異なっている。現代日本には欠陥があるかもしれないが、日本は米国やインド、またはヨーロッパの多くの国よりも平等な社会を築けているのだ。

日本では富が富裕層に偏ることがあってもそれは控えめであり、富が富裕層に偏るだけでなく世代間で継承される欧米と違い贈与税などの税金が高いことから富の継承を困難にしている。日本社会は分厚い中産階級を形成/維持できておりその割合は米国を上回っており、トランプがそうであるようにアメリカでは物質的な豊かさが誇示されるが日本では富裕層の在り方も異なっている。



デマゴーグが利用するのは大衆の憤慨だ、そして怒りは屈辱感や失われた誇りによって燃え上がる。人の価値が個人の成功具合によって測られる社会では、有名人や金持ちが成功の象徴とされる社会では、それが相対的に不足していると感じやすく屈辱感を覚えるのが簡単だ。

極端な場合、絶望的な状況にある人は自分という存在を誇示するためだけに、ニュースに出るためだけに大統領やロックスターの暗殺を企てたりテロを起こす。ポピュリストはそんな群衆の怒りによって支えられる。エリートが自分たちを裏切ったと感じる人々、自分たちの階級から、文化から弾き出されたと感じる人々、人種の誇りを失ったと感じる人々の支持を得るのだ。

これはまだ日本では起こっていない。それは日本の文化も関係しているかもしれない。 確かに日本にも有名人をもてはやす文化がある。だが日本では自己価値は個人の名声や財産によって定義されているのではなく、集団的企業、つまり組織に所在を置くことによって定義される傾向にある。

また日本では与えられた役割自体に価値と自尊心を見出す傾向もある。日本の百貨店で働く人々は商品を美しく包み込むことに、自分の仕事を心底誇りに思うようだ。ぴしっとした制服を纏い銀行に入る客を笑顔を浮かべ迎え入れる仕事など必要なのか疑問に思う仕事もあるがいずれもそこに誇りを持っている。

全ての仕事が大きな満足感を与えると仮定するのは単純すぎる考えだが、少なくとも人々は自分の場所、社会の中での役割があるという感覚を持ちやすくなっている。



また日本の国内経済は先進国の中で最も保護されており、日本は最もグローバル化されていない国の一つだ。

日本政府がレーガン/サッチャーの時代から欧米で進められた新自由主義に抵抗した理由はいくつかある。企業の既得権益もそうだし、官僚特権、利益誘導型政治(特定の集団の利益を図り、見返りに支持を得る政治)もそうだ。そして効率を犠牲にして雇用とそれに付随する労働者の誇りを残そうとしたこともその一つだ。



1980年代のイギリスでマーガレット・サッチャー政権によって推し進められた経済政策は英国経済をより効率的にした。しかしそれは労働組合やそれまで定着していた他の労働者階級の文化を破砕し、政府はまた不快な仕事をしている人々がそれでも仕事を続けることができていた誇りをも取り去ってしまった。

効率性はコミュニティーの感覚、連帯感を形成しない。社会から取り残された人々は自分が置かれた窮地に対する不満を、より高い教育を受けグローバル社会により適応するエリートにぶつける。

その結果として米国の多くの人々が自身の富と成功、そして自身の天才性を自慢するナルシシズムの億万長者を大統領に選んだことは皮肉としか言いようがない。日本でそういうことは起こりそうもない。私たちはその理由をじっくりと考えてみるべきなのだろう、そこにはきっと学ぶべきものがあるはずだ。

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海外の反応

project-syndicate.orgのコメント欄より: ソース


ANDRÉS GALIA ポピュリズムは新自由主義の反動ってことか。

BARRY ROSENFELD とにかくグローバリゼーションと移民を止めなきゃヤバイ。

YOSHIMICHI MORIYAMA 1960年代から1970年代にかけて欧米の識者が冗談半分で日本を『共産主義の理想を実現した世界で唯一の共産主義国』と呼んでいたのを覚えている。

人々の給与はそれほど多くはないが十分な衣食住が与えられ富は公平に分配され複数の政党から選べる政治的自由と言論の自由を享受しているだとか、日本人の考えも行動も集団的でそれはまるで共産主義国日本の幸福と繁栄のためにその身をささげているかのようだとか。

そのような社会の基盤は1603年から1867年の徳川時代に敷かれたものだ。中国やロシアがなぜ共産主義国として失敗したか、それはこのような歴史的遺産を持たなかったからであり、彼らがマルクス主義、レーニンイズム、マオイズムを信じていたからだ。まぁそんな日本の社会もグローバリゼーションのせいで危険にさらされているかもしれないが。

それと安倍総理の総選挙での勝利も多かれ少なかれポピュリズム的な要素があったように思う。そして1993年と2009年の野党の勝利もそうだったかも。日本もなんだかんだで大衆迎合主義な政治家が多く、それを支持する国民も多い気がする。

MICHAEL JAMES サッチャーが英国経済をより効率的にした?
んなこたない。英国の生産性は酷いの一言だ。経済は金融に依存し生産性の問題はこの国の経済が抱える問題の一部でしかない。 そしてそれはまた不平等と住宅価格の高騰/人々が都市部から追いやられる問題の主な要因となっている。ああ、それと“ゼロ時間契約”という雇用形態もだ、 非正規雇用の拡大も不平等につながっている。

(※“ゼロ時間契約”:週あたりの労働時間が決まっておらず、雇用主の要請がある場合のみに働くというもの。英国で社会問題になっていて90万人ほどがこの雇用形態で働いているといいます。同国のマクドナルドも従業員115,000人がこのゼロ時間契約でしたがNGOなどからの批判を受けて固定時間契約に切り替えることを昨年表明しました。)

unknown 日本に反エリート感情が欠如しているのは平等主義的な社会のおかげ。現代日本は世界の主要先進国の中で最も平等な国として広く称賛されており、平等主義的な倫理は日本の企業文化の深いところに根差している。

グローバル化を推し進めた欧米では過去20年間で富の集中と所得格差、社会的不平等が広がった。これは大衆の中にグローバル化の恩恵を受けておらず、政治家や財界のリーダーたちから忘れ去られていると感じる人々の層を作り出し、ポピュリストはそんな人々に手を差し伸べた、もとい怒りを引き起こすことで躍進した。

こんな感じかね?

PAUL MARTIN ポピュリズムの台頭は社会的格差から来ているんじゃない、移民と多文化主義から来ているんだよ。ヨーロッパでは移民が大量に押し寄せてきたからデマゴーグたちが躍進した、移民のほとんどいない日本と比べるのが間違いだって。

ABDELLA ABDOU ABDOU "効率性はコミュニティーの感覚、連帯感を形成しない"
この記事で最も評価すべき一文はこれだ。移民の有無にかかわらず、これは真実だ。

AHMEDJAZOULI @HOTMAIL.COM 著者の主張に賛同するか否かは置いておいて、中々興味深い記事だった。

STEVE HURST これはきっとあれだ、神道のおかげだ。

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