イギリスの大手一般新聞『ガーディアン』より

イエスと仏陀は何をするのだろう... 仮に彼らが休暇を与えられたとしたら

What would Jesus and Buddha do … on holiday? - 22 Dec 2010

"あの二人" を普通の若者のように陽気に描写するこのマンガは知らず知らず日本人の宗教への関心を高めるかもしれない



仮に、イエスと仏陀が突然現代社会に舞い降りたとして彼らはどんな行動をとるだろう、彼らは見るものにどのように反応するだろう?

日本の作家イラストレーターである 中村光 はこの挑発的な質問に対する答えを非常に人気のあるManga(定期連載されるイラスト小説)作品、「Saint Young Men(聖☆おにいさん)」で描き出す。中村はこの作品の中で、日本の東京の郊外にある立川でルームメイトとなり休暇を過ごす2人の世界的な宗教の創始者の冒険を描いている。



作品のトーンとしては畏敬や崇敬の念よりも視覚的なギャグや言葉遊びが詰まったユーモアがメインとなっている。

例えば二人が神社の祭に出かけ、後に露店のゲームで勝ち取った賞品がNintendo LiteではなくNintendo Lightという安価な模造品であることを発見するというオチで終わる話で、中村は

The two were enlightened as to the true flavour of Japanese festivals.(彼らは日本の祭りの真の味を悟りました。)

(※enlightened:正しい知識[情報]を持った、悟りに達した、悟りを開いた。ちなみに原文は「彼らは日本の祭りの醍醐味を知るのであった」 )

という言葉で話を締めくくっているのだが、ここで日本語の『醍醐味』という言葉を使用している。これは一般的に口語で使われる意味としては "物事の本当のおもしろさ" だが、同時に仏語で "仏陀の最上で真実の教え" という意味があり、二重の意味を持つ言葉遊びになっている。



同様にイエスの公生涯(キリストの公の生涯、30歳以降のこと)からのエピソードと "文化の違いが原因で起こる勘違い" が織りなす予期せぬ展開には思わずクスクスと笑わせられる。

奇跡によって湯をワインに変えてしまった銭湯で上機嫌になったイエスが「また昔みたいに...(自分の弟子たちの)足を洗いたい」とつぶやくと、たまたま居合わせてそれを耳にした地元の暴力団の男がこのフレーズと血のように赤い風呂を見て誤解する、『足を洗う』とは犯罪を犯し続けてきた人が新たに真っ当な人生を始めるという比喩的な表現だ。

このような意識のすれ違いの積み重ねによってイエスは暴力団の間で極めて危険な悪人としての名声を知らず知らず得ていくのだ。

中村が描くイエスと仏陀は間違いなく聖者ではあるものの、infallibleとは程遠い。(infallible:絶対間違いのない、誤りを含まない、カトリックにおける教義的に無謬(誤りがない)である様。)

イエスはその包括的な愛が行き過ぎたのか何事にも過度に熱狂するキャラクターになっており(中村はイエスを衝動的な買い物中毒者のように描写している)、仏陀はその禁欲主義からまるで - 単行本の裏に書いてあるように - 細かいお金を気にする近所のおばさんのようになっている。

彼らはビールを飲んだりブログを更新したりオンラインゲームをしたりして熱心に現代社会に溶け込もうとする。だが多くの観光客がそうであるように、彼らは周囲から色んな意味で場違いでひどく目立ってしまう。

十代の女の子たちがイエス見てジョニー・デップと似ていると熱を上げるかと思えば、近所の男の子たちは仏陀の眉間のやや上に生えている髪の毛の盛り上がり、光を放ち世界を照らすとされる白毫を面白半分に押そうと襲う。

世を忍んで現世を楽しもうとする彼らは可能な限りその正体を隠そうとするがうっかり起こしてしまう奇跡によってやはり目立ってしまう。例えばイエスはうっかり地元の公衆浴場の湯をワインに変えてしまうし、仏陀は興奮すると文字通り世を照らす。



これらの世界的な宗教の創始者に対する中村光のどちらかといえば不敬な描写は神聖冒とくの罰当たりな行いと思えるかもしれない、だが実際に読み進めていけば彼女の作品が持つ興味深い点がはっきりと見て取れるだろう。

統計的に言えば、現代日本では信仰する宗教を持つ人も宗教的信念を持つ人も著しく少ない、そしてほとんどの人は宗教活動へ参加する際もそれは習慣や娯楽としてだと答える。

ここまで聞くと日本の宗教観は崩壊し始めていると考える人もいるだろう、この中村光の作品はそのなによりの証拠だと言いたくなる人もいるだろう。

しかしだ、一部の漫画家はその作品の中で宗教を軽視する傾向を持っていたり、(その真偽はともかく)宗教が内在する悪質な性質を批判する媒体としてマンガを使ったりするが、中村光は宗教を驚くほど普遍的なものとして描く

彼女の物語は難解な宗教的教義を読者に紹介するわけでも、あからさまな注釈を入れて現代社会における宗教の役割について説くわけでもない。ただ宗教そのものである主人公たちの目を通して見た現代社会日本を読者に見せているのだ。

『聖☆おにいさん』は原典に基づく忠実な描写をしているとはとても言えないが中村は最低限のことは押さえている。

彼女はブッダの生前の伝説とイエスに関する新約聖書の福音書の記述を彼女なりの語り口で違和感なくそのストーリーに織り交ぜる、彼らの伝記を大まかに引用しながら彼らの現代日本での冒険を描くのだ。

読者が宗教的な刺激や啓蒙のためにこの漫画を読んでいるかは疑問だが(同様に中村光が宗教の啓蒙を意図しているとも思えないが)、結果としてこの作品が人々の宗教に対する親しみを、もしかしたら興味まで湧かせることになるかもしれない。

したがって中村の描く、時に強引とも言える物語が "不信の自発的停止" を必要とすることは、厳密には違うことであってもフィクションであると割り切って物語として楽しむ姿勢を必要とすることは、ささいなことに過ぎない。



漫画『聖☆おにいさん』が今後長期的に見てどのように解釈されるのかはまだ分からないが、今のところは移り気な現代日本の観客の関心をうまくとらえているようだ。

カフェでの割高な食事やファミレスでの無料サービスや出しゃばりな家主とのやり取りなど、
聖人(うわべだけかもしれないが)と現代日本の平凡なシチュエーションという ちぐはぐ な組み合わせはただそれだけでも面白いが、それだけでなく彼らの目を通して見た日本は突然エキサイティングで新鮮なものに変わる。

イエスと仏陀は読者の中で生真面目な説教者ではなく隣に住む冒険好きな男の子として映る。この漫画が描いているのは崇敬すべき宗教的なアイコンが教会や寺院の神聖な神殿、そして聖書の縁を越えてアクティブに生活を送る様だ。

中村光とその読者にとっては宗教は笑いのネタなのかもしれないが、このマンガが宗教の創始者の伝記に慣れ親しんだり関心を集めていく上で果たす役割を考えれば間違いなく批判されるべきではないだろう。

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海外の反応

theguardian.com, reddit.comのコメント欄より: ソース , ソース , ソース


SirBevois "仮に、イエスと仏陀が突然現代社会に舞い降りたとして彼らはどんな行動をとるだろう?"
そりゃもちろん直ちに聖戦を扇動するだろうさ。宗教ってのはそのためにあるものだろ?

francoisP 彼らが最初に説いたものからかけ離れたものになっていることにまず驚くと思うわ。

AllModsCon 想像もつかないな。でももしこの作品の中にムハンマドが出てきたら彼の信者がどんなことをするかは想像できる。

Hong7 まあ、釈迦は悟りを開くまで裕福なプレイボーイだったしイエスは30歳まで神の子としての使命を果たさなかったわけで、聖人と言われているけど彼らの若いころは東京の若者とそれほど離れていないような気もする。

junglederry 死人に口なし、好きに描けばええ。

gabriel100 日本の主な宗教は神道でありこの記事はそのことに一度も触れていないのはどういうわけだ?

そしてそんな日本がなぜイエスと仏陀をフィーチャーした漫画を書いたのかについてだがそこに大した意味はない。日本の漫画にはあらゆる種類の奇妙で素晴らしい作品がある、この『聖☆おにいさん』は日本のマンガにおいてそれほど特殊な作品でもないんだ。

この記事を書いた人はこの作品を"挑発的"という言葉をもって語っているが作者にそんな意図はない、むしろこの記事自体がキリスト教徒を挑発することを目的としているようだ。

Baron Kingon イタリア語版を購入、私が今まで読んだものの中で最高のシリーズの一つ。 おそらく北米では決して見られることがないだろう、それが残念でならない。

あの「サウスパーク」がいかに数え切れないほど宗教を冒涜しブラックなユーモアで笑いにしてきたかを考えると、この漫画シリーズは遥かにポジティブで心地よい。一度読めばこのマンガがどれほど純粋で素晴らしく魅力的であるかを実感するだろう。

Yue ただ楽しいだけでなくとても日本的なのが好き。イエスと仏陀が休暇先に日本を選んだことが素晴らしい、なぜなら彼らの反応はまさに私たち外国人の反応だから、日本に旅行したことがある人ならとても共感できると思う。

それと二人の性格が私たちの想像する聖人としての彼らと違うのも新鮮だし、二人が全く違う性格なのも楽しい。仏陀は母親みたいだし(お金に細かく責任感も強い)、イエスは父親みたいだ(緩くてお気楽でくだらないものを衝動買いする。)

絵は可愛らしいし笑いのツボを押さえている、何度も大笑いした。とても強くお勧めする、ただちょっとしたことですぐ怒るような人には向かないね。

Hyoukami 私は特に信仰を持っているわけではないけど仏教とキリスト教を学んだ。ゆえに両方の視点から見ることができるのでこの作品のギャグをとても楽しむことができたと思う。

このシリーズはその2つの宗教に由来する"奇跡"をギャグとして使う、それもまったく予期せぬ方法で(例えばイエスが無意識に食べ物がないと言うと猫が皿を咥えて彼らの前に現れ皿の上に自分を盛り付ける、これは釈尊が前世に菩薩として修行していたときに生きとし生けるものを教え導いたエピソードを集めた物語 ジャータカが由来だろう、もっとも本当はウサギでなければならないはずだが)。

この作品はその"奇跡"をとても自然に物語の中に組み込めていると思う、そしてなにより馬鹿みたいに面白い、ただ敬虔な信者の方々の怒りを引き起こす可能性があるかも。

Sethward キリスト教徒だけど私はこのシリーズを徹底的に楽しんでいるよ。 "不信の自発的停止" は必要だけど「おいおい、こんなシーンありえないから!」とかそういった「ありえない」はこの作品に限らず大部分の本や映画にあるものだ。

この漫画が不快であると感じるか?
答えは、少しも感じない。

それどころか非常に楽しく、良い意味で軽い。最高の聖人バディ物コメディ漫画だ。

Archaeon もし君が以下に当てはまるならこの漫画を読んではいけない。

a)怒りやすい性格
b)キリスト教か仏教の熱心な信者である
c)宗教や宗教家に関するユーモアを冒涜的なものとみなす
d)ジョークがわからない馬鹿

この漫画に近寄らずこのレビューも読むのを止めよう。

基本的には"日常もの"作品だが"ARIA"や"ヨコハマ買い出し紀行"とは一線を画している。それはただより現実的であるとかユーモアがあるからとかではなく、2つの世界最大の宗教を象徴する人物を非常にひねった捉え方で描いているからだ。その描写からとても意見を分かれさせるだろうし多くの人を怒らせるだろう、だが幸い私は気分を害されることなかったし普通よりも歪んだユーモアが好きなのでこの作品をとても楽しめている。

とにかくイエスと仏陀のキャラクターの描き方がいい、私たちの想像する聖人とは全く違うがその思いやりがあって探求心旺盛で些細なことで驚き喜ぶ様は不思議なくらい違和感がなく二人の掛け合いはただただ楽しい。セリフや擬音などを使わなくても彼らの感情が伝わる表現の巧みさも素晴らしい。

仮にイエスと仏陀がこの漫画のようなクールな人物であったなら私は迷いなく彼らの信者となっただろう。

Sol González 私がこの作品を読んでいることを、とても楽しんでいることを祖母が知ったら殺される。この二人の聖人に対する知識があった方が楽しめるがなくても十分笑えるはず。

Alice 私の叔父が弟にこの本をプレゼントした、彼が元クリスチャンで今は仏教徒だから。弟も私も哲学かなんかのマンガだと思ったが読み始めたら爆笑した!

とても面白いが決して攻撃的だったり侮辱的だったりしていない。私はクリスチャンだし宗教をネタにしたコメディを楽しんだりしないけど、この『聖☆おにいさん』は全く冒涜的ではないからかとても楽しめた。笑いつつも心穏やかになりたい人には特におすすめ。

ちなみに私はフランス語版を読んだんだけど日本語からの翻訳なんでいくつかのジョークが成立しなくなっている、だから英語版があるのか知らないけどそれが私が読んだものと同じくらい楽しめるかは補償しかねる。

Linda 読んでいる間罪悪感でいっぱいだったけど、まぁ笑える!

Eli William イエスと仏陀が現代の東京でルームメイトになる、もうこの設定だけで面白さを予感させるし実際とても楽しい。

ウィキペディアによれば英語版を出版しようとしたがアメリカの出版社があまりにも物議を醸しそうだからという理由で拒否したらしい。この非常にオリジナリティがあってよく研究された陽気な漫画は世界中の人々が欲するだろうと思うだけに、とても残念だ。

まぁ世界で最も尊敬される神聖な2人を扱っているだけに出版社の決定も致し方ないとも思う。でもこの漫画はこの二人の聖人の逸話を面白おかしく漫画的に解釈しつつも、そこにほんの少しも侮辱や批判を含まない。

こんな作品を書けるのは島国国家である日本だけだろう。

Laurielle Laurielle 読んだ感想? なんてものを読んでしまったんだろう、しかねぇよ。

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