イギリスの大手一般新聞『ガーディアン』傘下のサッカー情報サイト『These Football Times』より

岡崎慎司:謙虚なる者

SHINJI OKAZAKI: THE MODEST ONE - 02/12/2018


Embed from Getty Images

どの組織であっても、成功した組織というのはわずか数人の貢献者によって成功してきたわけではない。それがビジネスであってもスポーツであっても、成功する組織には様々なキャラクターが不可欠だ、ジグソーパズルに1ピースでも欠ければ不完全と見なされるかのように。

スポットライトの下で脚光を浴びる者は、それを求める求めないに関わらず他の人よりも苦労し努力をしているものだが、それが必ずしも評価に繋がるわけではない。

レスター・シティFCが2016年にプレミアリーグ優勝を果たした時もそうだ。そこには様々なキャラクターがいた。一部の選手は派手で華やかな活躍を見せたが他の多くの選手は過小評価されたままだった。

スポンサードリンク


Embed from Getty Images

2016年5月7日、The Foxes(レスター・シティFCの愛称)がホームグラウンドであるキング・パワー・スタジアムでトロフィーを掲げるとスタジアムは沸きに沸いた。それは1978年以来38年ぶりの優勝であり、このチームのような負け犬たちはその勝利に鼓舞されたはずだ、不可能と思われた夢を達成したのだから。

優勝カップがウェズ・モーガンに渡されるやいなや、その後ろで肩を組み立っていた選手たちが歓喜に沸く。だがそんな中にあってもその男は、想像もできないことを達成したことを他のメンバー同様に喜びながらも、狂喜乱舞するメンバーを他所にそのつつましさを残していた。



岡崎慎司はスーパースターになったことはなかった、もしかしたら彼はそのようなものになりたいと思ったことすらないのかもしれない。人々のレーダーに捕捉されることなく岡崎はただ自分の仕事に実直であり続けた。

チームにとっての彼の存在は人間にとっての酸素のようなものだ、それが存在することを知っていてもそれについて考えることはほとんどない。だがこのシーズン快進撃を続けたレスターにとって彼の存在は不可欠だった。
レスターのホームグラウンドであるキング・パワー・スタジアムでの初試合で岡崎という選手は誰よりもその価値が正当に評価されない宝石であることが明らかになった。だが彼は他のどのプレイヤーよりも仕事をしつつもそんな評価をまったく求めていなかった。彼にとって重要なのはチームの勝利だった。

日本人の美点と言えば鉄のように固い意志を持ち、仕事の結果や得られる収入などに関係なくよい働きをすること自体に価値を見出し、そのモチベーションを失わないことだが、岡崎はまさにその典型だった。その一生懸命な働きはジェイミー・ヴァーディとリヤド・マフレズのデュオの華々しい活躍に大きな役割を果たした。

岡崎は試合を仕切り、他の選手たちが喝采を浴びるために喜んで自らを犠牲にした。レスター・シティの監督だったクラウディオ・ラニエリがこのアジアの "達人" を指して、「彼はチームにとっての "dilly-ding dilly-dong(目覚まし時計)" だ。彼は選手たちを目覚めさせる、彼は鐘を持っている。」 と言ったことは有名だ。


「彼はハードワーカーだ。ゴールから見放されることも時にはあるが、ペナルティエリア近くにボールがある時、常にシンジはそこにいる。私からすれば彼はチームにとって重要な選手だ。彼は対戦相手に大いにプレスをかけてくれる。そして彼はチームにとっての "dilly-ding dilly-dong(目覚まし時計)" だ。彼は全ての選手たちを目覚めさせる。彼は鐘を持っている、チームを目覚めさせる主導権は彼が持っている。 」

岡崎はこの歴史的なシーズンにわずか5回しかゴールを決められなかったが、だからこそ上記の動画で記者らが岡崎の価値を監督に問うたわけだが、彼は栄光ではなく汚れ仕事、割に合わない仕事でチームに貢献しその価値を高めた。それは彼のサッカーに対する愛が成し得たことだろう。
彼は現在サムライ・ブルーのメンバーとしてプレーしているがそこでもゴールを決めた数は少なく、多くの人はそれを欠点と見なした。だが彼はフォワードとして最も強いわけでも速いわけでもなかったが誰よりも気骨のある男だった、守備陣にプレスをかけその動きで他の選手のためのスペースを作ってきたのだ。その最前線を駆け抜ける能力は評価が高く、清水エスパルスは彼を中央だけで使うのではなく幅広いエリアで使うことで知られていた。

ドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトに移籍した時も彼は左サイドハーフで起用されるもそのガッツと堅実なテクニック、巧妙な動きで左バックとミッドフィールダーが入るスペースを作り、豊富な運動量で献心的な守備を発揮していた。

その仕事量に同じくブンデスリーガに所属するFSVマインツ05のトーマス・トゥヘル監督は価値を見出し契約を決める、彼らの目指す高い位置からプレッシャーをかけてボールを奪いに行くハイプレス・システムに岡崎が必要だと感じたからだ。

我々がシュツットガルトとプレーした際には常に彼をよく見ていた。彼の良い動き、そして仕事量の多さを好ましく思っていた。

トゥヘル監督そう語っている。

そしてマインツで岡崎はこれまで以上に輝いた。1トップのストライカーとしてプレーしたが彼はゴールを決めること以上に相手へのプレス、そしてチームメートのためのスペースを作ることを求められる。 それにもかかわらず岡崎はマインツでの最初のシーズンで自信のキャリアで最多となる得点記録を残し、その活躍は2年連続で13位と低迷していたチームを7位で終わらせる手助けとなった。



だがそれでも彼は一度もスターになることはなかった、それどころか岡崎は一度もそうなろうとしてこなかった。ブンデスリーガで活躍していた際のインタビューで岡崎は、日本の人々が彼をスーパースターやヒーローとしてどう見ているのかと尋ねられこう答えた。

私は自分をスーパースターだとは全く思っていません。もちろん日本では通りを歩けば頻繁に呼び止められますが、私はそのたびに落ち着こうと、自分らしくあろうと心がけています。多分私は自分自身をスターであると考えていないからそのように行動するのでしょう。
レスターへの移籍も注目されることはなく、そこに華やかな報道はなかった。だが彼の新しいボスとなるクラウディオ・ラニエリ監督はチームが手にしたものの意味を理解していた。そしてイタリア人である彼のゲームへのアプローチは岡崎に理想的な役割を与えることとなる。

そのシーズンは岡崎にとって残酷なものだったと言えるかもしれない。レスター・シティFCがスターの座を得る一方で、岡崎に対する人々の認識は小柄で平凡な選手というものからほとんど変化しなかった。彼はシーズンを通して5得点しか決めることはなかった、だがラニエリ監督は誰よりも彼の重要性を認識していた。その証拠は先に言及した彼の言葉で十分だろう、岡崎がどれほどチームにとって不可欠であるかを誰も認識しなくとも、監督はしていたのだ。

エンゴロ・カンテ、リヤド・マフレズ、ジェイミー・ヴァーディらは確かに間違いなく勝利のキーとなる貢献者だった、だが岡崎がいなければ彼らが同様の活躍をしていたことを想像するのは難しい。彼はサイドを結びつける繋ぎだ、彼らがピッチで信じられないほどの量の仕事をするよう鼓舞する存在だ。

彼は試合が不利な展開になろうと負けが確定しようと決して動きを止めなかった。彼はそのシーズン、ジェイミー・ヴァーディやレオナルド・ウジョアの後ろでプレーしてきたことから個人レベルで利益を得ることは滅多になかったが彼のチームは得ていた。そして彼はその中に幸福を見出していた。



レスターが優勝カップを掲げた時、そこに並んでいた面々は様々なものを物語っていた。各々がいかに成功へ貢献したかだけでなくそれぞれのキャラクターの面においてもだ。

そこには明らかにグループの多様性がはっきりと出ていた。さまざまな特性を持つ選手でいっぱいだった。彼らを結束させた効率的なシステムがそこに存在していたわけだが、岡崎のようなキャラクターがいなければその偉業は実現できなかっただろう

組織の成功のために望んで個人の成功を犠牲にする者は稀であり、金のように珍重すべきだ。



その勝利は今から20年経っても記憶に残るだろう。そして我々はリヤド・マフレズや、ジェイミー・ヴァーディや、エンゴロ・カンテらがプレミアリーグの歴史に大きな衝撃を与えたことを懐かしく思い出すはずだ。そして、岡崎慎司という名前はまったく囁かれないことも間違いないだろう。

だがそれでもこのレスターの日本人戦士は後悔などしないはずだ。人々に憧れられる存在にならなくとも、ただ自分だけが持つ誇りと思い出を胸に、レーダーの下を喜んで飛ぶのだ。

スポンサードリンク

“日本代表での岡崎” by Tsutomu Takasu is licensed under CC BY 2.0