カナダ・ハミルトンの日刊紙『The Hamilton Spectator』より

彼は日本人の生みの母を探した、そして彼女を見つけた、自分の名前が付けられたレストランと共に

He searched for his Japanese birth mother. He found her — and the restaurant she had named after him - 2018/5/8 by Kathryn Tolbert The Washington Post

ブルース・ハリウッド: photo via 在アメリカ合衆国日本国大使館
それは夜明け前の暗闇の中、アメリカ国防総省の本庁舎ペンタゴンの駐車場で心臓発作を起こしたことから始まった。

空軍大佐であるブルース・ハリウッド( Bruce Hollywood)は仕事へ向かう途中で地面に倒れていた。

「これで終わりか...」

そんな言葉が頭に浮かぶ。

救急車に乗せられウォルター・リード米陸軍医療センターへと救急搬送されるさなか、2つの後悔が彼の脳裏をよぎった。

1つは息子の大学への出願手続きを手助けすることができないだろうこと(※)、そしてもう一つは1960年に彼を出産し、その後彼を養子に出さざるを得なくなった日本人の母に感謝の言葉を言うことができなかったことだ。

ハリウッド氏は日本に駐留していた米軍関係者のアメリカ人夫婦に引き取られアメリカで健全に育てられていた。赤ん坊の頃にアメリカに移り住んだ彼は引き取られて以来一度も生みの母親と会ったことがなかった。
アメリカの大学には入学試験がない代わりに高校時代の成績や課外活動、エッセイ、推薦状、両親の雇用状況から学歴まで膨大な数の申請書類を用意しなけらばならないことが一般的。詳しく知りたい方はコチラをどうぞ。

アメリカの大学の願書って何を書けばいいの? 詳しく解説します _ アメリカ留学ラボ
幸運にも命を取り留めた彼は後悔を残してはいけないとその年、2005年に生みの母親を探すことを決意する、それは亡くなってしまった彼の育ての母親が何度も彼に勧めていたことだった。

その事件が起きるまで、そうしなければならないといった気持ちはなかったと彼は語った。彼にとって養子であることは特に真剣に考えることではなかったのだ。

「私は自分が養子であることは十分理解していました。父はアイルランド人で母はノルウェー人、それでいて私はアジア人の特徴を持っていましたから。」

現在57歳のハリウッド氏はそう話す。

「2人はいつもこう私に言っていました、 "あなたは私たちに選ばれたの。だからあなたは他の誰よりも特別な人なの。" 」

ハリウッド氏の両親は生みの母親の姓を伝え、彼のために日本への飛行機代すら払うことを申し出ていた。だが彼はいつもそれを断っていたという。



しかし一度死の淵に立った彼は考えを改めた。心臓発作から回復するとさっそく生みの母親のことを調べ始めた。彼は日本人の母親に手紙、それも彼女にだけ伝わるような秘密を含んだ手紙を送ることを計画した、彼女が誰にも息子がいることを伝えていないケースを考えてのことだった。

彼はアメリカでどれほど素晴らしい人生を送ることができたかを伝えようとした、彼女への感謝の気持ちを示したかったのだ。

ハリウッド氏は次のように書こうとした: "私は最高の人生を送ることができました。私は現在アメリカ空軍の大佐です。素晴らしい子供たちもいます。日々幸せに生きています。"



彼は自分の知っている日本人の母親に関する情報を日本の大使館に渡したが、それは彼女を見つけるには不十分だった。東京の米国大使館も同様だった。さらに私立探偵まで雇ったがそれもうまくいかず、ついには諦めてしまう。

「やれるだけのことはやった、考えうる限り最善の手を打った、だが運がなかったとしか言いようがない、そんなことを考えていました。」

ハリウッド氏はそう回想する。

数ヶ月後、彼はドイツでの軍事会議に向かう途中にバージニア州にあるワシントン・ダレス国際空港にいた。フライトまで時間があった彼はワインバーに立ち寄る、そこには同じ会議に向かう別の軍人がいた。その出会いこそがハリウッド氏の物語の転換点だった。
その人物の名はハリー・B・ハリス・ジュニア、日本人の母を持ち、日系アメリカ人としてアメリカ海軍史上初めての大将となったその人だった。

ハリウッド氏とハリス司令官は互いの背景をその場で話し合ったという。

「私は心臓発作を起こしたこと、その時に生みの母親と会いたいと願ったことを話しました。すると彼は "ブルース、私は君を助けることができる" と言いました。」

「私はこう返しました。 "そりゃ君は司令官だしできることは多いだろうさ、でも私は大使館にも行ったしあんなことやこんなこと、あらゆる手段を試したがダメだった、気持ちはありがたいがこれ以上何ができるとも思えない。" 」

「ですが彼はこう言ったんです、 "ブルース、本当だ、私は君を助けることができる。" 」

ハリウッド氏はついにはハリス司令官に彼が持っていた日本人の母親に関する全ての情報を伝えた、正直期待はできないと思っていたと彼は正直に語った。

だがそれから10日後、ハリウッド氏がペンタゴンの自分のデスクに座っていると突然電話が鳴った。それは日本大使館からだった。

ハリウッド大佐、あなたの母親であるオオウチ・ノブエさんを見つけ出したことを喜びをもってお伝えいたします。



「"なんということだ! 素晴らしい!" 私は思わずそう叫んでしまいました。」

ハリウッド氏はそう回想する。

  「"お願いだ、手紙を書くのを手伝ってくれ。可能な限り私が言いたいことを正確に、そして文化的に配慮した文面を日本語で書くのを。" 」

そう伝えたが電話をかけてきた日本大使館の職員はこう答えた。

「"手紙は必要ありません。10分後にあなたのお母さんはこの電話番号であなたに電話をかけてきます。それと、彼女は英語を話せません。Good luck!"」
彼は急いで複数の人間にメールを送り、電話会議で通訳ができる人を見つけ出した。

しばらくすると電話が鳴った。彼の母親からだった。彼女は泣いていた。

ショックと信じられない気持ちの中で、ハリウッド氏はすぐに話を始めた。自分がどれほど幸せであるか、そして彼女にどれほど感謝しているかを伝えるためにまくしたてた。

すると彼は彼女のこんな言葉を聞いた。

「"I'm sorry. I don't speak English."」

それから数分間、ハリウッド氏は通訳と彼の日本人の母親の話を聞いていた。だがその話は中々頭に入ってこず、彼は自分の母親が何かを訴えつつ すすり泣いていることしか理解できなかった。

「"ちょっと待ってくれ、何が起きているのか教えてくれ。" 私はそう言いました。」

ハリウッド氏はその時のことを思い出しながら語った。

「すると通訳の人がこう言いました、"明日はあなたの母親の65歳の誕生日だそうです。そして彼女が望んだ誕生日プレゼントは、彼女が一生をかけて夢見ていたあなたとの再会、あなたが彼女の元に戻ってくることだったそうです" と」



通訳によればハリウッド氏の日本人の生みの母親はこれまで結婚することはなかったという。彼女が言うにはその心の中には常に一人の人間しかおらず、それは息子であるハリウッド氏であり、いつか必ず自分の元に帰ってくることを信じていたというのだ。

そして通訳はブルース・ハリウッド氏からすればほとんど信じることのできないことを言った。彼の母親は店を経営しているのだが、そのレストランとバーにブルースと名付けていたというのだ。

「それは私が今までで聞いた中で最も信じられないほど素晴らしい話であるか、あるいは頭がどうにかなってしまった女性がついた嘘なのか、どちらなのか正直分かりませんでした。」

ハリウッド氏はそう語る。

だがその後ハリウッド氏の育ての母親がアメリカに帰る際に生みの母親の元を訪ね、まだ赤ん坊だった彼の写真を見せつつ身振り手振りで "ブルース" という名前を付け、必ず幸せにすると約束していたことが判明する。彼女はそうしてハリウッド氏の名前を知ったのだ。



そして彼の日本人の母、ノブエさんはハリウッド氏に会うためにアメリカを訪れたいと言い出した。

「"いや、あなたは私のお母さんだ、私からあなたに会いに行く" 私はそう言いました。」

それからさらに10日後、東京から電車で約2時間、彼は日本の静岡に住む母親の元を訪ねる。そして彼は彼女が言ったことのすべてが真実であったことを知った。



photo via thespec.com 彼の母親は、彼の知らなかったその出生と養子について話を始めた。彼の実の父親であったアメリカ軍人はノブエさんと結婚するために必要な書類作成を開始したが、それが終わる前にサウスカロライナに帰国を余儀なくされたという。

彼はすぐに電話すると言ったがそれが実行されることはなかった。数ヶ月後になってようやく電話がかかってきた時、ノブエさんはもう彼を信頼できないと言って話をするのを拒否した。彼はノブエさんが妊娠していることを知らなかったという。

ノブエさんの父親は彼女と生まれたばかりの赤ちゃんを支援することを申し出たが、彼女は日本で混血の子供が生きることは難しいということを理解しており、当時米空軍に勤め日本に駐留していたエドワードとエレノア・ハリウッド夫妻に養子に出したのだという。

ハリウッド氏がノブエさんの元を訪れた際に彼女はハリウッド氏の育ての母エレノアが別れ際に彼女に渡したハリウッド氏の写真を見せた、それは彼女が何十年も大切にしてきた写真だった。



初めて彼女の元を訪問した際、彼女は自分の視界からハリウッド氏がいなくなることを酷く嫌った。彼が日課であるランニングに出かけ戻ってくると、激しく動揺し心配する母親の姿を見つけた。翌朝、彼が午前5時にランニングのために家を出ようとするとジャージを着て待っている母親がそこにいた。

彼は走るのではなく歩こうとしたが彼女は気を遣う必要はないから走ってくれと言い出し、彼が走る後ろを自転車に乗って追いかけた。それは彼が日本訪問中の朝の儀式となった。

その後もハリウッド氏は頻繁に日本を訪れた。彼女をワシントンにも連れていった。彼女は英語のレッスンを受け始めた。彼は日本語を勉強し始めた。

そして再会から3年、2009年に彼女は心臓発作で亡くなった



ハリウッド氏にとって、生みの母親との再会は自身に日系アメリカ人としてのアイデンティティを与えるものだったという。彼は第二次世界大戦中に日系アメリカ人が強制収容されていたことも知らなかった。

だが今日、彼は日系アメリカ人コミュニティに参加し、日系アメリカ人退役軍人協会事務局(Japanese American Veterans Association)と国立日系米国人慰霊碑(Japanese American Memorial to Patriotism During World War II )を管理するアメリカ合衆国国立公園局で活躍している。

「この12年間で私はようやく日系アメリカ人になりました。それまで私には日系アメリカ人としてのアイデンティティーがありませんでした、ただ日本人の特徴を持っていたに過ぎなかった。」

「ですがこのコミュニティの一員となったことでその受け継がれてきた遺産を心から誇りに思うようになりました。」

スポンサードリンク

海外の反応

reddit.comのコメント欄より: ソース


TooShiftyForYou "明日はあなたの母親の65歳の誕生日だそうです。そして彼女が望んだ誕生日プレゼントは、彼女が一生をかけて夢見ていたあなたとの再会、あなたが彼女の元に戻ってくることだったそうです"

通訳によればハリウッド氏の日本人の生みの母親はこれまで結婚することはなかったという。彼女が言うにはその心の中には常に一人の人間しかおらず、それは息子であるハリウッド氏であり、いつか必ず自分の元に帰ってくることを信じていたというのだ。


ここ。心の芯にぐっと来た。

la_pluie[S] そこだよな、まさにそこでウルっと来たわ。

high_pH_bitch 何でモニターを見ながら涙ぐんでいるのか目の前にいる母親に説明しなきゃいけない羽目になったぜ...

fanofmx 翌朝、彼が午前5時にランニングのために家を出ようとするとジャージを着て待っている母親がそこにいた。
もうこの辺りから涙をこらえるために唇をかんでた

Quadrashocker 可愛らしいと同時に心温まる瞬間。

louiegumba それが彼女にとってどれほどの奇跡だったのかを表している。素晴らしい話だった。

Likes2Nap いい話だなぁと思ってたら、"再開から3年後に亡くなった" って...

彼が最後の数年間を共に過ごすことができたのが救いだ。

ciano 心臓発作で亡くなったってところで、ああ、親子なんだなぁと思ったわ。

IrvineGray 再会からのくだりの破壊力が凄まじいぜ...

ttownep 今ウェンディーズにいるんだけど必死に泣くまいとプルプルしてる。

mistershoe88 泣けた。その3年間が失われた時をどれほど取り戻したかはわからないけどきっと彼女は安らかに笑顔で逝けたはずだ。

fullhalter 日本人女性は長寿で有名だからこんな結末になるとは思ってなかった。

SurpriseHanging "手紙は必要ありません。10分後にあなたのお母さんはこの電話番号であなたに電話をかけてきます。それと、彼女は英語を話せません。Good luck!"

Good luckじゃねぇよw
思わず笑っちまったわw

まぁペンタゴンだから通訳を探すのは割と楽だったろうけどさ。

lesgeddon 実際軍で通訳として働く人たちは最終的にペンタゴンでキャリアの頂点に達するって話だし日本語を話す通訳を見つけることはそれほど難しくないだろうな。

tableleg7 子供を養子にもらった父親としては彼の両親と全く同じ気持ちだ。

CarmineFields 私もハイチで生まれた子を養子として育ててきた。生みの母親の名前も知っているし息子の兄弟があちら側にいることも知っている。いつか会わせてあげたいな。

alphabravo2970 それにしてもいったいどうやって見つけたんだろう?

Dancinglemurssupreme そりゃお前、相手は第24代アメリカ太平洋軍司令官様だぞ。その肩書だけで何でもできるべさ。

IgnoreThisName72 太平洋地域を担当するトップだもんな。

HaHa_Clit_N_Dicks それとやっぱり共に日本人の母を持つっていう背景からのモチベーションだろうね。単に仕事としてやるのと動機があってするのとじゃ大きな差が生まれるもんだ。

christnroc はい、映画化決定。決定しました。

Cheaperthantherapy13 彼の実の父親にも同情するのは変かな? サウスカロライナから日本へ電話をかけることは50年代~60代前半には本当に難しいことだった。連絡するのに数ヶ月かかったとしても不思議じゃない。妊娠したことを知っていた場合は また違った話になっていただろう。

rob_zodiac これが日本人の母親が受け取ったブルースの写真だってさ、実に可愛らしい。

photo via thespec.com

彼を手放すことを選んだ彼女のことを思うと心が痛む。彼を養子として受け入れた育ての両親も称賛に値する、最善を尽くした。

Emerystones 仕事中なのになぜか涙が...

DeathBySuplex 泣いてなんかねぇよ。嘘だよ、すすり泣いてるよ!

mashedpatatas 職場にいるんだが誰かがこんなところで玉ねぎを切っているようだ。

Ramen_Gloryhole おのれ玉ねぎめ...!

TheMightyDollop 俺の部屋で玉ねぎを切っているヤツは誰だ!!!

NakaTR 日系アメリカ人としてはとても感慨深い話だった。2人がその心に平穏を見つけられたようで安心した。にしても、どうやらそこいら中で忍者が玉ねぎを切っているようだ。

スポンサードリンク