彼は日本人の生みの母を探した、そして彼女を見つけた、自分の名前が付けられたレストランと共に
He searched for his Japanese birth mother. He found her — and the restaurant she had named after him - 2018/5/8 by Kathryn Tolbert The Washington Postブルース・ハリウッド: photo via 在アメリカ合衆国日本国大使館
それは夜明け前の暗闇の中、アメリカ国防総省の本庁舎ペンタゴンの駐車場で心臓発作を起こしたことから始まった。
空軍大佐であるブルース・ハリウッド( Bruce Hollywood)は仕事へ向かう途中で地面に倒れていた。
「これで終わりか...」
そんな言葉が頭に浮かぶ。
救急車に乗せられウォルター・リード米陸軍医療センターへと救急搬送されるさなか、2つの後悔が彼の脳裏をよぎった。
1つは息子の大学への出願手続きを手助けすることができないだろうこと(※)、そしてもう一つは1960年に彼を出産し、その後彼を養子に出さざるを得なくなった日本人の母に感謝の言葉を言うことができなかったことだ。
ハリウッド氏は日本に駐留していた米軍関係者のアメリカ人夫婦に引き取られアメリカで健全に育てられていた。赤ん坊の頃にアメリカに移り住んだ彼は引き取られて以来一度も生みの母親と会ったことがなかった。
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その事件が起きるまで、そうしなければならないといった気持ちはなかったと彼は語った。彼にとって養子であることは特に真剣に考えることではなかったのだ。
「私は自分が養子であることは十分理解していました。父はアイルランド人で母はノルウェー人、それでいて私はアジア人の特徴を持っていましたから。」
現在57歳のハリウッド氏はそう話す。
「2人はいつもこう私に言っていました、 "あなたは私たちに選ばれたの。だからあなたは他の誰よりも特別な人なの。" 」
ハリウッド氏の両親は生みの母親の姓を伝え、彼のために日本への飛行機代すら払うことを申し出ていた。だが彼はいつもそれを断っていたという。
しかし一度死の淵に立った彼は考えを改めた。心臓発作から回復するとさっそく生みの母親のことを調べ始めた。彼は日本人の母親に手紙、それも彼女にだけ伝わるような秘密を含んだ手紙を送ることを計画した、彼女が誰にも息子がいることを伝えていないケースを考えてのことだった。
彼はアメリカでどれほど素晴らしい人生を送ることができたかを伝えようとした、彼女への感謝の気持ちを示したかったのだ。
ハリウッド氏は次のように書こうとした: "私は最高の人生を送ることができました。私は現在アメリカ空軍の大佐です。素晴らしい子供たちもいます。日々幸せに生きています。"
彼は自分の知っている日本人の母親に関する情報を日本の大使館に渡したが、それは彼女を見つけるには不十分だった。東京の米国大使館も同様だった。さらに私立探偵まで雇ったがそれもうまくいかず、ついには諦めてしまう。
「やれるだけのことはやった、考えうる限り最善の手を打った、だが運がなかったとしか言いようがない、そんなことを考えていました。」
ハリウッド氏はそう回想する。
数ヶ月後、彼はドイツでの軍事会議に向かう途中にバージニア州にあるワシントン・ダレス国際空港にいた。フライトまで時間があった彼はワインバーに立ち寄る、そこには同じ会議に向かう別の軍人がいた。その出会いこそがハリウッド氏の物語の転換点だった。
ハリウッド氏とハリス司令官は互いの背景をその場で話し合ったという。
「私は心臓発作を起こしたこと、その時に生みの母親と会いたいと願ったことを話しました。すると彼は "ブルース、私は君を助けることができる" と言いました。」
「私はこう返しました。 "そりゃ君は司令官だしできることは多いだろうさ、でも私は大使館にも行ったしあんなことやこんなこと、あらゆる手段を試したがダメだった、気持ちはありがたいがこれ以上何ができるとも思えない。" 」
「ですが彼はこう言ったんです、 "ブルース、本当だ、私は君を助けることができる。" 」
ハリウッド氏はついにはハリス司令官に彼が持っていた日本人の母親に関する全ての情報を伝えた、正直期待はできないと思っていたと彼は正直に語った。
だがそれから10日後、ハリウッド氏がペンタゴンの自分のデスクに座っていると突然電話が鳴った。それは日本大使館からだった。
「ハリウッド大佐、あなたの母親であるオオウチ・ノブエさんを見つけ出したことを喜びをもってお伝えいたします。」
「"なんということだ! 素晴らしい!" 私は思わずそう叫んでしまいました。」
ハリウッド氏はそう回想する。
「"お願いだ、手紙を書くのを手伝ってくれ。可能な限り私が言いたいことを正確に、そして文化的に配慮した文面を日本語で書くのを。" 」
そう伝えたが電話をかけてきた日本大使館の職員はこう答えた。
「"手紙は必要ありません。10分後にあなたのお母さんはこの電話番号であなたに電話をかけてきます。それと、彼女は英語を話せません。Good luck!"」
しばらくすると電話が鳴った。彼の母親からだった。彼女は泣いていた。
ショックと信じられない気持ちの中で、ハリウッド氏はすぐに話を始めた。自分がどれほど幸せであるか、そして彼女にどれほど感謝しているかを伝えるためにまくしたてた。
すると彼は彼女のこんな言葉を聞いた。
「"I'm sorry. I don't speak English."」
それから数分間、ハリウッド氏は通訳と彼の日本人の母親の話を聞いていた。だがその話は中々頭に入ってこず、彼は自分の母親が何かを訴えつつ すすり泣いていることしか理解できなかった。
「"ちょっと待ってくれ、何が起きているのか教えてくれ。" 私はそう言いました。」
ハリウッド氏はその時のことを思い出しながら語った。
「すると通訳の人がこう言いました、"明日はあなたの母親の65歳の誕生日だそうです。そして彼女が望んだ誕生日プレゼントは、彼女が一生をかけて夢見ていたあなたとの再会、あなたが彼女の元に戻ってくることだったそうです" と」
通訳によればハリウッド氏の日本人の生みの母親はこれまで結婚することはなかったという。彼女が言うにはその心の中には常に一人の人間しかおらず、それは息子であるハリウッド氏であり、いつか必ず自分の元に帰ってくることを信じていたというのだ。
そして通訳はブルース・ハリウッド氏からすればほとんど信じることのできないことを言った。彼の母親は店を経営しているのだが、そのレストランとバーにブルースと名付けていたというのだ。
「それは私が今までで聞いた中で最も信じられないほど素晴らしい話であるか、あるいは頭がどうにかなってしまった女性がついた嘘なのか、どちらなのか正直分かりませんでした。」
ハリウッド氏はそう語る。
だがその後ハリウッド氏の育ての母親がアメリカに帰る際に生みの母親の元を訪ね、まだ赤ん坊だった彼の写真を見せつつ身振り手振りで "ブルース" という名前を付け、必ず幸せにすると約束していたことが判明する。彼女はそうしてハリウッド氏の名前を知ったのだ。
そして彼の日本人の母、ノブエさんはハリウッド氏に会うためにアメリカを訪れたいと言い出した。
「"いや、あなたは私のお母さんだ、私からあなたに会いに行く" 私はそう言いました。」
それからさらに10日後、東京から電車で約2時間、彼は日本の静岡に住む母親の元を訪ねる。そして彼は彼女が言ったことのすべてが真実であったことを知った。
photo via thespec.com 彼の母親は、彼の知らなかったその出生と養子について話を始めた。彼の実の父親であったアメリカ軍人はノブエさんと結婚するために必要な書類作成を開始したが、それが終わる前にサウスカロライナに帰国を余儀なくされたという。
彼はすぐに電話すると言ったがそれが実行されることはなかった。数ヶ月後になってようやく電話がかかってきた時、ノブエさんはもう彼を信頼できないと言って話をするのを拒否した。彼はノブエさんが妊娠していることを知らなかったという。
ノブエさんの父親は彼女と生まれたばかりの赤ちゃんを支援することを申し出たが、彼女は日本で混血の子供が生きることは難しいということを理解しており、当時米空軍に勤め日本に駐留していたエドワードとエレノア・ハリウッド夫妻に養子に出したのだという。
ハリウッド氏がノブエさんの元を訪れた際に彼女はハリウッド氏の育ての母エレノアが別れ際に彼女に渡したハリウッド氏の写真を見せた、それは彼女が何十年も大切にしてきた写真だった。
初めて彼女の元を訪問した際、彼女は自分の視界からハリウッド氏がいなくなることを酷く嫌った。彼が日課であるランニングに出かけ戻ってくると、激しく動揺し心配する母親の姿を見つけた。翌朝、彼が午前5時にランニングのために家を出ようとするとジャージを着て待っている母親がそこにいた。
彼は走るのではなく歩こうとしたが彼女は気を遣う必要はないから走ってくれと言い出し、彼が走る後ろを自転車に乗って追いかけた。それは彼が日本訪問中の朝の儀式となった。
その後もハリウッド氏は頻繁に日本を訪れた。彼女をワシントンにも連れていった。彼女は英語のレッスンを受け始めた。彼は日本語を勉強し始めた。
そして再会から3年、2009年に彼女は心臓発作で亡くなった
ハリウッド氏にとって、生みの母親との再会は自身に日系アメリカ人としてのアイデンティティを与えるものだったという。彼は第二次世界大戦中に日系アメリカ人が強制収容されていたことも知らなかった。
だが今日、彼は日系アメリカ人コミュニティに参加し、日系アメリカ人退役軍人協会事務局(Japanese American Veterans Association)と国立日系米国人慰霊碑(Japanese American Memorial to Patriotism During World War II )を管理するアメリカ合衆国国立公園局で活躍している。
「この12年間で私はようやく日系アメリカ人になりました。それまで私には日系アメリカ人としてのアイデンティティーがありませんでした、ただ日本人の特徴を持っていたに過ぎなかった。」
「ですがこのコミュニティの一員となったことでその受け継がれてきた遺産を心から誇りに思うようになりました。」
海外の反応
reddit.comのコメント欄より: ソース
TooShiftyForYou
"明日はあなたの母親の65歳の誕生日だそうです。そして彼女が望んだ誕生日プレゼントは、彼女が一生をかけて夢見ていたあなたとの再会、あなたが彼女の元に戻ってくることだったそうです"
通訳によればハリウッド氏の日本人の生みの母親はこれまで結婚することはなかったという。彼女が言うにはその心の中には常に一人の人間しかおらず、それは息子であるハリウッド氏であり、いつか必ず自分の元に帰ってくることを信じていたというのだ。
ここ。心の芯にぐっと来た。
la_pluie[S] そこだよな、まさにそこでウルっと来たわ。
high_pH_bitch 何でモニターを見ながら涙ぐんでいるのか目の前にいる母親に説明しなきゃいけない羽目になったぜ...
fanofmx
翌朝、彼が午前5時にランニングのために家を出ようとするとジャージを着て待っている母親がそこにいた。
もうこの辺りから涙をこらえるために唇をかんでた
Quadrashocker 可愛らしいと同時に心温まる瞬間。
louiegumba それが彼女にとってどれほどの奇跡だったのかを表している。素晴らしい話だった。
Likes2Nap
いい話だなぁと思ってたら、"再開から3年後に亡くなった" って...
彼が最後の数年間を共に過ごすことができたのが救いだ。
ciano 心臓発作で亡くなったってところで、ああ、親子なんだなぁと思ったわ。
IrvineGray 再会からのくだりの破壊力が凄まじいぜ...
ttownep 今ウェンディーズにいるんだけど必死に泣くまいとプルプルしてる。
mistershoe88 泣けた。その3年間が失われた時をどれほど取り戻したかはわからないけどきっと彼女は安らかに笑顔で逝けたはずだ。
fullhalter 日本人女性は長寿で有名だからこんな結末になるとは思ってなかった。
SurpriseHanging
"手紙は必要ありません。10分後にあなたのお母さんはこの電話番号であなたに電話をかけてきます。それと、彼女は英語を話せません。Good luck!"
Good luckじゃねぇよw
思わず笑っちまったわw
まぁペンタゴンだから通訳を探すのは割と楽だったろうけどさ。
lesgeddon 実際軍で通訳として働く人たちは最終的にペンタゴンでキャリアの頂点に達するって話だし日本語を話す通訳を見つけることはそれほど難しくないだろうな。
tableleg7 子供を養子にもらった父親としては彼の両親と全く同じ気持ちだ。
CarmineFields 私もハイチで生まれた子を養子として育ててきた。生みの母親の名前も知っているし息子の兄弟があちら側にいることも知っている。いつか会わせてあげたいな。
alphabravo2970 それにしてもいったいどうやって見つけたんだろう?
Dancinglemurssupreme そりゃお前、相手は第24代アメリカ太平洋軍司令官様だぞ。その肩書だけで何でもできるべさ。
IgnoreThisName72 太平洋地域を担当するトップだもんな。
HaHa_Clit_N_Dicks それとやっぱり共に日本人の母を持つっていう背景からのモチベーションだろうね。単に仕事としてやるのと動機があってするのとじゃ大きな差が生まれるもんだ。
christnroc はい、映画化決定。決定しました。
Cheaperthantherapy13 彼の実の父親にも同情するのは変かな? サウスカロライナから日本へ電話をかけることは50年代~60代前半には本当に難しいことだった。連絡するのに数ヶ月かかったとしても不思議じゃない。妊娠したことを知っていた場合は また違った話になっていただろう。
rob_zodiac
これが日本人の母親が受け取ったブルースの写真だってさ、実に可愛らしい。
photo via
thespec.com
彼を手放すことを選んだ彼女のことを思うと心が痛む。彼を養子として受け入れた育ての両親も称賛に値する、最善を尽くした。
Emerystones 仕事中なのになぜか涙が...
DeathBySuplex 泣いてなんかねぇよ。嘘だよ、すすり泣いてるよ!
mashedpatatas 職場にいるんだが誰かがこんなところで玉ねぎを切っているようだ。
Ramen_Gloryhole おのれ玉ねぎめ...!
TheMightyDollop 俺の部屋で玉ねぎを切っているヤツは誰だ!!!
NakaTR 日系アメリカ人としてはとても感慨深い話だった。2人がその心に平穏を見つけられたようで安心した。にしても、どうやらそこいら中で忍者が玉ねぎを切っているようだ。
丁寧に訳してくれてありがとう。
返信削除管理人さんにGood Luck!
親子で心臓発作…遺伝性と考えるのは早計で大きなお世話かもしれないが
返信削除ハリウッド氏には気を付けて長生きしてほしい
さすが日本大使館、将官クラスの人間からの頼み事だとテキパキ動いてくれるんだな。
返信削除佐官だぞ
削除先進国で日本ほど軍人(特に将校)が尊敬されない国は無いと思うが・・・
削除アメリカで高級将校がどれだけ丁重に扱われるか知らないのか
>>3a
削除3は佐官のブルース氏の問い合わせでは動いてくれないが、将官のハリス司令官の頼みだと動くんだなと言いたいんだと思うんだがw
>>3
削除ハリスが「君を助けることができる」ってその場で断言してるなら、ハリス自身に何らかのツテがあったってことでしょ?
大使館のやる気はあんまし関係ないんじゃ
多分、ハリスは米国の出入国記録にアクセス出来るからなんだろう。
削除過去に米軍基地で働いてたか、一度でも米国に入国していれば記録があるから、探せる可能性が高いと踏んだ上での発言。
>>ハリウッド氏の両親は生みの母親の姓を伝え、彼のために日本への飛行機代すら払うことを申し出ていた。だが彼はいつもそれを断っていたという。
返信削除養父母も良い人だな。赤子の頃に引き取って軍人として大佐にまでなるような人に育てたんなら愛情深かったんだろうし、事情は分かっても自分達の元から離れてしまうかもしれない恐怖だってあっただろうに。
最近の日本の養子も生み親の縁を大事にするのが養父母と養子の縁をより深めるとされてます
削除彼は実の父親と会おうとは思わないのかな
返信削除確かに!
削除>彼は第二次世界大戦中に日系アメリカ人が強制収容されていたことも知らなかった。
返信削除これびっくりした。日系人かつ大佐クラスでもそんな感じなんだね。
軍隊の歴史って訳でもないし、アメリカとしても一応、形としては解放したし、謝罪もしているので済んだ話だしな。
削除正直日本人として、日系人の強制収容の話題を振られても「結局アメリカ人同士の問題だから」って気もする。もちろん移民一世の、アメリカ国籍をもつ日本人も含まれていたことも知ってるけどさ。
ある程度はそういう線引きは必要だと思っているし、知った人がちゃんと学んだり調べたり、覚えていてくれるならそれで最上だと思わなくもない。
お母さん、強い人だったんだね
返信削除妊娠した事を伝えず拒絶した所とか、独り身で生きてレストラン経営してる所とか
人に頼らない頑固者ともいえるけど、気の強さも感じるなあ
そういう強さが会った事もない実の息子に受け継がれてるような気がする
どうだろう。日本人と言っても通じる外見の赤ちゃんをアメリカにまで養子にだす必要なかったと思う
削除赤ん坊の写真見たのか?純日本人の子供には見えない
削除養子に出したのが必要か必要でないかは、あんたの知る所じゃねーよ
>野村沙知代さんのこともあってお母さんに好感もてない
これもあんたのコメだろ
否定的なコメしてる奴の文章と句読点の付け方が全部同じだわw
お母さん自体赤ら顔で、赤ちゃんの時に自分もそうだったけどハーフっぽい子なんて全然普通だって。
削除歳を取った現在は日本人のオジサンに見えなくも無いが、昔は違っただろうし
削除生まれた子供の将来の顔が、母親似か父親似か解らないでしょう。
今の時代でさえ、当時バー経営なんて言ってないのに水商売だからアメリカ人と・・・とか
勝手に批判してるんだから。
自分が育てる環境より、信頼できる人に託した方が良いと手放したんでしょう。
手放した子供を思いながらの人生だったんだから、3年でも交流が出来て本当に良かった。
自分を捨てた男の子供だし~、この時代にハーフを育てるのは大変だし~、まだまだ遊びたいし~ってなところだろうと悪意で読んでいたけど、後半見たら、若くても合理的に考えることのできる女性だったんだろうなと思えた。
返信削除大事な子供だから、苦労が目に見えている状況で共倒れになるより、しっかりした家庭で育てられたほうが幸せだと考えた。想像であって実際どう考えたのかは知らないけど、結局本当に立派な両親によって幸せに成長し、息子自身も良い家庭を持ったという結果に。
母親は子供の名をつけた店を開いてたとか、再会できたらジャージを着てランニングも一緒にするとか、前向きな性格が伺えるね。
しかし顔がそっくりで和んだ。コメにもあるけど心臓病の遺伝も…これは和むところじゃないけど。
再会できて本当に良かったと思う。
しかしハリスさんの「duty」はさすがだね。
管理人さん、良い記事を取り上げてくれてありがとう。
運でしかないよ。アジアからアメリカへ養子となり壮絶な人生を送った話は腐る程あるから合理性はない
削除なるほど、同じ人間が書いてるね。
削除自分もそういうところはあるが、悪意が凝り固まると、物事の悪い面しか見ないことがよくわかる。
戦後の生きるのに必死な時期に「まだまだ遊びたいし~」とか馬鹿みたいなこと思いつくお前の知能の低さに驚くわ
削除昔のアメリカで虐待された数多くアジア人養子の話もなかったことのようにねじ曲げる冷酷さ。
削除>昔のアメリカで虐待された数多くアジア人養子の話もなかったことのようにねじ曲げる冷酷さ
削除別に捻じ曲げて無いだろ
この話題で特に取り上げなかっただけ
だったらお前が虐待された話を翻訳して色んな所で布教しろ
>バー経営。米軍人と知り合う時も水商売でないと出会えない。そして米軍人相手にして妊娠し子供は捨てた
これはお前のコメだろ
書き込んでる時間帯と文体が同じ
どんだけひねくれてるんだよwww
義両親もめちゃくちゃ立派だよね。
返信削除明らかに異人種の養子という立場で「あなたは私たちが選んだ特別な人間」と言われるのは、子供の自尊心と感謝の心を育てる至上の言葉だ。
もちろん折にふれて複雑な気持ちになることもあっただろうけど、この言葉は大いに支えになるよ。
血の繋がりは大事だけど、そんなことにも勝ることが往々にしてあるね。
ハリス司令官の有能さが光る
返信削除10分後に電話!
返信削除シビレル電撃的だなぁ…そっか英語話せませんよ、じゃああとはうまくやれよってことだよなぁ。ラッキーじゃないわ
ブルースさんも仕事はええ。
コクリコ坂みたいだね。今、実のお父さんを知る人が港に来ていてもうすぐでるからってシーン。
削除※8 >>「(前半は)まだまだ遊びたいしってなところだろう~・・読んでいたけど」
返信削除まあこの時代は現代と違い、女子がそんなこと思える時代でなく、本人も社会全体も貧しいのは当然のことながら、女子は20歳ごろまでには結婚するのが当たり前、20代半ばになればまさに「行き遅れ(婚期を逃した)」とされる時代なので、女子が「まだまだ遊んで~」なんて思って過ごす時代ではない・・・。
現代的な感想だとは思ったけど。
この時代に婚前に関係を持つ、特に外国人と、しかも軍人と、となるとかなり限られた人だよ。
削除差別的なことならハーフが日本で育つより実の子供じゃない日系人がアメリカで生きる方が難易度高いと思うけど
返信削除この人はたまたま良かったみたいだけど
母親はそれもわかってて養子に出したーその事実を無視したい人たちが怖いね
削除>彼は第二次世界大戦中に日系アメリカ人が強制収容されていたことも知らなかった。
削除とある様に、米国が日系人を迫害してたことは隠されていたんだよ。保護施設と言い換え、自ら進んで入居したと。
もちろん日本人にも隠されていたし、戦後の混乱期であった日本より迫害されることのない米国へと考えたのも不思議ではない。北朝鮮が地上の楽園と宣伝していたのと同じく米国もGHQが宣伝してた訳。
手助けしてくれたハリス司令官って、駐韓大使に内定した人だよね?
返信削除お母さんが会って3年で亡くなってしまったのは今まで「息子と会うまでは死ねん!」と思って張りつめてたた気持ちが切れてしまったんだろうな
返信削除しかも息子は大切に育てられ結婚して子供たちに囲まれ米軍の大佐までなってたわけだからな
でもブルースさんは最後に親孝行したよね
ハリス司令はマジ(*^ー゚)b グッジョブ!!
それにしてもおかんとブルースさんそっくりやな
返信削除野村沙知代さんのこともあってお母さんに好感もてない…。ハーフに見えないから日本で育てられたはず
返信削除野村沙知代さんが貴方の判断基準?断定するんだ、薄っぺらな思考だな。
削除静岡人って陰険で差別的だからキッツイと思う
返信削除田舎だと見た目がそれとわからなくても噂話で広まって知らない人がいない状態もあり得るし
>静岡人って陰険で差別的
削除初めて聞いたわw
江戸時代から天領でのんびりやってきてた駿河の人間はお人好しすぎて
他県民と比べてもオレオレ詐欺にも騙されやすい統計とか出てるんだけどなw
ハリス司令官がイケメンすぎてやばい
返信削除すごいのはアメリカ軍の情報収集能力か…
返信削除大昔に生き別れた一個人を特定しちゃうか
すげえパワーだな>アメリカ太平洋軍司令官
返信削除米大使館よりも、太平洋軍の情報網の方が凄いんだな
返信削除依頼関係の本気度も違ったのかもしれんが。
それにしても僅かな空港の待ち時間に、ハリス氏に会えたという運命の奇跡も凄いな。
ハリス司令官は日系人コミュニティーに属してただろうからその組織力がが決め手になったんじゃないかな
返信削除朝鮮みたいな移民孤児だろw
返信削除アメリカが日本に張り巡らせた諜報網の恐ろしさが伺えるな
返信削除諜報網は尋ね人探しには向いてないと思うが・・・
削除母親がネットをバリバリ使ってる人ならエシュロンで見つけられるかもしれんけど
Facebookで検索しましたとかだったら笑えるな
バー経営。米軍人と知り合う時も水商売でないと出会えない。そして米軍人相手にして妊娠し子供は捨てた
返信削除当時からバーを経営していたなんて何処にも書いて無い。
削除養子先も伝手を頼って、人望の有る家族を探したと思うよ。
自分を訪ねて来て、日本語も録に喋れないのに「大切に育てる事・名前・写真」必死で伝えようとした。
そんな家族だから「酷い目に有った子供が・・・」は、この家族の話で取り上げる事じゃ無いと思う。
どうしても水商売のふしだら女にしたいんだね。
削除当時親もいたから水商売じゃ無いと思う、当時は軍関連に関わる仕事で女性は学歴が有る人が
多かったんだよ。
この人は人に頼る事を選ばず1人で生きると決めた時、他の選択は出来なかったと思う。
限られた選択しか出来ない時代の事に、考えを巡らせろよ。
半分日本人だとは思えないぐらい冷たいアメリカ人
返信削除金だけ出して他人に探させただけで諦めた?
なぜ自分の足で探そうとしない?
無事母親と会えたのも他人のおかげ。何様だ?
働いて家族を養いながら、全く知らない日本に突然来て探せると思うか?
削除大使館やお金を使って専門家に頼んだ事も、あらゆる手を使ってと言っているから
他にも頑張ったと思う。
そんな気持ちが有るから、日系アメリカ人のハリス司令官に声を掛ける事になったんだよ。
貴方は誰にも拘わらず、誰の助けも借りず一人で生きていると思っているのでしょうね。
このブルース・ハリウッドさんが日本の産みのお母さんからもらったお父さんの名前のメモからお父さんを探す話が新たにワシントンポストに出ていますね。よかったら訳していただけると嬉しいです。
返信削除背景を今の日本人が全く理解していないことを憂う。
返信削除東京も横浜も戦災孤児で溢れかえり多くの女性が政府の呼びかけに応じ一般女性の盾となって米軍慰安婦に応募。家も家族も親戚も失った女性が売春婦となり米兵の相手をした。金回りの良くなった彼女らは日本人からパンパンと呼ばれた世間から蔑まれた。朝鮮の慰安婦もあの家は娘が日本兵相手に稼いだ金で御殿を建てたと言われていた。映画の肉体の門にはパンパンが私たちがドルを稼いでいるんだというセリフがあるという。
多くの一般女性が強姦され、多くの売春婦が米兵の相手をして生まれた混血児はGIベビーと世間から呼ばれ激しい差別にあった。その数20万人と混血児を救った第一人者の沢田美喜は推定している。米軍は検閲で記事を差し止めマスコミは未だに隠蔽を続けているので誰も知らない。1952年に占領が終わったが1960年当時でも日本社会の傷は癒えていなかった。日本で女性が混血児を抱えて生きていく術はなかった。家族も親戚も絶縁するしかなかった。それで米兵と正規の結婚をした女性ですら多くが日本から出て行った。美智子妃殿下その渡米した米兵花嫁たちをずっと勇気付けていた。
>はい、映画化決定。決定しました。
返信削除これは、たとえ日本で映画化したとしても「ハリウッド映画」になる