日本のアニメに再びやってきた黄金期

From Genocidal Organ to Your Name: Japanese anime‘s new golden age

2013年に宮崎駿は大勢の記者が集まった会見でこう語った。

「今回は本気です... 私のアニメーションの時代は終わりました。」

「となりのトトロ」から「千と千尋の神隠し」まで、人々の忘れられない思い出として残る名作映画を手がけた76歳の映画制作者は、日本において実質的に生き神として扱われている。彼のキャリアは終わったのだろうか? いや、そんなことはなかった。これまで何度もやっていたように、今年宮崎駿は引退を撤回し新しい映画に取り組み始めた。だがそれでも確かに彼の時代の終わりは確実に近づいている。

アニメ業界を森に例えるなら宮崎駿の地位は自身の映画に登場させるのを好む巨大な古木のように生態系の中心に存在しており、その魅力溢れる森は彼が共同設立したスタジオジブリが生産するものに圧倒的に依存している。

彼の映画は人々に愛されるキャラクター、その関連商品、巨額の国内興行収入を生み出してきた。日本の興行収入トップ10のうち5本が彼の手がけた作品だ。彼の時代が終わることは日本にとって大きな損失となる。だがそれは同時に 宮崎駿という巨木が去れば今まであまり日の目が見られることのなかった森林の苗木のいくつかに成長する機会が与えられるということでもある。

実際、森林全体は成長している。制作費が高く、労働集約的で悪名高い低賃金労働を人々を強いているにもかかわらず、アニメ業界は活況を呈している。日本アニメーション協会(AJA:日本動画協会)の2016年の報告書によると、過去6年間にわたって、そしてあらゆる面において一貫して成長している。売上高はこれまで以上に増え製作本数も増加し海外市場も成長してきている。2015年には市場規模が1兆8,260億円(125億ポンド)となった。

台頭する新しい世代

日本のアニメ産業を支えるのは家族向けアニメーションだけではなくなり、10代と若年成人向けの「深夜枠」も台頭してきた。また英国では未来的なファンタジー「エンシェンと魔法のタブレット~もうひとつのひるね姫~」や何とも魅力的なタイトルのSF「虐殺器官」などの公開が期待されている。しかし現在のブームを象徴する映画はやはり新海誠監督の「君の名は」だろう。

「君の名は。」はスタジオジブリの映画とは全く違ったタイプの作品だ。それはサイエンスフィクション、性転換コメディ、自然災害映画の要素を違和感なく取り入れたな切ない十代のロマンス映画だった。視覚的にもジブリ映画とは違っている。夕焼けにしてもレンズのフレアにしても現代的な輝きに彩られており、それはジブリのカラフルで手描きのスタイルとはだいぶ違っている。

「君の名は。」は、おそらく2011年の地震と津波の余韻があったことも関係しているだろうが、日本で喝采を浴び社会現象となった。2016年の日本の映画の中で最も興行成績が良く、2位の作品の3倍以上の成績で、歴代興行成績でも宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に次ぐ2位になった。コンピュータゲームからアニメーションの世界に入った新海誠監督は他の誰もと同じように映画の成功に驚いたという。

当然の如く宮崎駿と比較された44歳の彼だったが昨年行われたGuardianとのインタビューでこう謙遜しながら答えた。 「宮崎駿さんは天才です、伝説です。アニメに携わっている人たちは誰も彼のスタイルを模倣したいとは思わない。皆"自分は宮崎駿にはなれない"と考えているのです。」

「君の名は。」以外にも今後の日本のアニメの進路を示す作品は存在し今週英国で公開される。「君の名は。」を押さえ昨年の日本アカデミーの最優秀アニメーション賞に輝いた「この世界の片隅に」だ。第二次世界大戦中の10代の花嫁を描いたこの作品は徹底的に時代背景が研究され、丁寧で本格的な歴史的ドラマとなっている。

「通常、我々は存在しないものを想像して作品を作りますが、私は今はもう存在しないものを描きたいと思っていました。」と片渕須直監督は語った。

「映画がアニメーションという手法を用いて作られているからといって、それを自動的に家族向けや子供向けの映画であると考えるのはナンセンスだと思います。物語を描く手法としてのアニメーションはあらゆることを可能にし、映画制作者がどのようなジャンルにも取り組む事を可能とするツールなのだと私は信じています。」 彼らとまったく同じように、日本のアニメ業界には宮崎駿のギャップを埋めようとする映画制作者が数多く存在する。

例えば細田守がそうだ。彼は「時をかける少女」や「サマーウォーズ」などリアリティのある感情表現を持った冒険的なファンタジーを手がけてきた。彼の最新の映画「バケモノの子」は、「ジャングル・ブック」や「空手キッド」をより活気に満ちた物語にしたような作品で、これまでの彼の作品の中で最大のヒットとなった。

細田守は最近のインタビューで宮崎駿の引退について、これはチャンスであると語った。 「宮崎駿さんが引退すると聞いて日本のアニメーションは終わったと口にする人がたくさんいました。ですがもっと客観的に見ると、それは新しい産業の誕生と呼べるかもしれませんよ。」

後継者のいないスタジオジブリ

だがその一方で当のスタジオジブリはその後継者の育成が上手くいっていない。

宮崎駿は1985年にプロデューサーの鈴木俊夫と仲間のアニメーター高畑勲とで彼らが育った昔ながらのアニメーションスタジオシステムに習ったスタジオジブリを共同設立した。そこはフリーランスベースのアニメ業界とは対照的にフルタイムの従業員を雇い、独自のユートピアとも言える職場だった。

だが高畑勲は現在82歳、鈴木俊夫は70歳近く。スタジオジブリは長年「スタジオの将来についてのインタビューやコメントはしない」というのをポリシーにしてきたが、今彼らが抱えている問題はまさにそこなのだ。

「ジブリはいつも神秘的というか、不可解というか、そういった秘密の社会が築かれていました。」とアニメの専門家、ヘレン・マッカーシー( Helen McCarthy)は言う。

「物事がどうやって行われているのか、なぜそう決まったのかについて彼らが話すことは非常にまれです、特に人事異動に関しては」

マッカーシー氏は宮崎駿を"昔ながらの家父長制社会主義者である"と説明している。

「彼とジェレミー・コービン(イギリスの労働党党首)はうまくやれると思います。彼は人々が真っ当な扱いをされるべきだと信じています。集団が個人よりも優先されるべきだと信じています。彼は人々がまともな1日の賃金と少しの社会的安全を得るべきだと考えています。ですので今回のスタジオジブリの状況を考えると、彼には激しい痛みが伴うと思います。」

スタジオジブリにはかつて後継者として期待されていた人物がいた。「耳をすませば」を監督した近藤喜文だが彼は1998年に47歳で動脈瘤で亡くなってしまった。

細田守もかつて後継候補者だった。彼は2004年に「ハウルの動く城」を監督するために招かれたが考えの違いからスタジオを後にした。そのため同作は宮崎駿が監督する事になった。片渕須直もまた「魔女の宅急便」のアシスタントディレクターとして宮崎駿と共に仕事をしていた。

もう一人の候補者はスタジオジブリで監督を任されるまで出世した米林宏昌だった。彼は2010年の「借りぐらしのアリエッティ」、2014年のオスカー候補「思い出のマーニー」を監督したが、宮崎駿が引退を宣言すると共にプロジェクトがなくなりスタジオジブリを退社、彼とジブリのアニメーターたちはアニメハウス「スタジオポノック」を設立した。

彼らの最初の作品「メアリと魔女の花」は今夏公開予定だ。イギリスの女性作家メアリー・スチュワートが書いたヨーロッパの子供向けの本「The Little Broomstick」を原作としたこの作品は色鮮やかで力強く繊細な手描きのアニメーションで描かれている。その作品はまさにジブリそのままだ。女性ヒロインと幻想的なファンタジー。予告編では「魔法が帰って来た」とさえ謳っている。

またもう一人、あまり有望でない後継者がいた。宮崎駿の息子、宮崎吾朗だ。彼は当初、父親の後を追うことを嫌いランドスケープアーキテクトとして働いていたが説得されて「ゲド戦記」と「コクリコ坂から」をジブリの長老たちの手を借りながら監督した。2014年には「山賊のむすめローニャ」というジブリのテレビシリーズを監督していたにもかかわらず彼はスタジオジブリを継ぐ事に消極的だ。

 「自分のスタジオを持ち、自らストーリーを考え、ゼロから全てを計画し、映画を完成させるという父のプロセスを私はマネすることはできません。」と彼は2014年に述べていた。

スタジオジブリの今後

そんな中、昨年スタジオジブリは新しいアニメーション作品を公開した。「レッドタートル ある島の物語」はロビンソンクルーソーをイメージさせるミニマルで美しい会話のない寓話だ。 だがそれはある種異様な作品だった。オランダ出身のアニメーター、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットが監督を務めたこの作品は実質的にヨーロッパの製作だった。ドゥ・ヴィットは主に高畑勲と仕事をしたが宮崎駿とも数回顔をあわせたという。「私の人生で最高の経験でした。宮崎駿は本当に本当に特別な人なんです。」と彼は語った。

今のところ、少なくともその評判において宮崎駿はまだライバルを凌駕している。彼の次の映画は2020年の予定で、去年製作した「毛虫のボロ」という12分間の短編にベースにしているという。急な再出発であった事もありコンピュータアニメーションを活用しているが宮崎駿映画らしさはそのままだといくつかの映像を見たドゥ・ヴィットは語った。「彼の作品らしい魅力に溢れていますよ。」

スタジオジブリは再びスタッフを雇い始めた、おかげでスタジオはしばらくは安泰だろう。もっともその宮崎駿の復帰はスタジオの商業的懸念よりも彼が仕事をやめることができないという単純な理由が原因かもしれないが。

彼は退職を宣言した後でさえ毎日スタジオに姿を現した。「それはたぶんこの仕事の職業病なのだと思いますよ。」とドゥ・ヴィットは意見を述べる。

「私たちの仕事は命を縮める大変な仕事です。馬鹿みたいに仕事が多い、激務は1週間、1ヶ月、1年と続きます。そしてようやく完成すると喜びもありますが"もうたくさんだ"と"また映画を作るなんて考えられない"と感じます。

映画が完成した後は休息するんですが直ぐにじっとしていられなくなる。新しいアイデアが次々に頭に浮かんでくるんです。そしていつもの、もはや中毒と言っていい作業に戻るのです。」

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海外の反応

theguardian.comのコメント欄より: ソース

Flappy 私が初めて日本のアニメに触れたのは1991年ごろ、作品は「AKIRA」だった。当時ディズニーのアニメーターの研修生だった私はアニメーション全般に対して、特に西洋のアニメ映画やテレビアニメの物語に幻滅を感じていたが、日本の豊富なジャンルやスタイルを持った、そして実験的な作品たちを発見したことでアニメというメディアに対する私の熱意は復活した。

現在においても日本はその姿勢を崩していない。日本が生産している最高のものと比べると一部の例外を除いて、我々のものはまだ暗闇で手探りをしている状態だ。

Maggie B トトロはうつ病の治療薬として処方されるべき。 そして猫バス最高!

bcdcdude 「君の名は。」はあの映像美にやられたよ。そして見終わった後は泣いた、でも同時にとでも幸せな気分にさせられた。

Salcombe スタジオジブリの作品はほぼ全て観た、あの忘れられない夜に観た作品を含めて。私はひどい一日を過ごしていた。だから気分を変えるために気まぐれに映画を借りてみた、「ホタルの墓」を。(映画の説明を読まずに)

この作品は私を元気づけてはくれなかった。

でも私はアニメと恋に落ちた。それ以来ジブリ作品を追っかけたよ。

OccamsEauDeToilette ホタルの墓は美しい映画だ。でも私の人生に一生残る傷をつけてもくれた...

misskappus 私はここで言及された映画のほとんどを見て、愛している。21歳と24歳の子供たちもこれらの映画に深く感動した。一緒にその経験を共有するのが大好きだ。現実逃避でない心に訴えかけるものがこれらの作品にはある。刺激的な作品を作る新しい才能が現れていることを嬉しく思うよ。

Joe King 新海誠の作品はいつも大変素晴らしく、いつも非常に美しいだけでなく、人の心からの交流がある。最近アニメは欧米でも上手くいっているけど、本来与えられるべき十分な名声が得られているとは思えない。でももしかしたら変化の途中にいるのかもね。

GreenWyvern 「耳をすませば」は美しく、活気に満ち、心温まる現代の日本を舞台にした傑作だ。あらゆる種類の創造的な仕事をしている人にとっては必ず見るべき作品だよ。

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“Totoro (My Neighbor Totoro)(Studio Ghibli)” by Kyla Duhamel is licensed under CC BY 2.0