私の家族の奴隷 Part3
My Family’s Slave - JUNE 2017著者に関する情報
By University of Oregon, School of Journalism and Communication, CC BY-SA 4.0, Link
アレックス・ティゾン(Alex Tizon)
Tomas Alexander Asuncion Tizon(1959年10月30日 - 2017年3月23日)はフィリピン系アメリカ人作家でピューリッツァー賞を受賞したジャーナリスト。
シアトル・タイムズの記者として、彼と2人の同僚は連邦インディアン住宅局プログラムの不正に関する5部構成のシリーズを報道、1997年にピューリッツァー賞 国内報道部門を受賞した。
2003年から2008年にかけてロサンゼルスタイムズのシアトル局長を務め、その後もオレゴン大学ジャーナリズム・コミュニケーション校で教鞭をとるなどした。
彼の最後の作品は「私の家族の奴隷」と題されたもので、The Atlantic誌の編集スタッフが2017年6月号のカバーストーリーとして掲載することを決めた日にアレックス・ティゾンは亡くなった。この作品はその内容から大きな議論を呼び起こした
主な受賞歴:
アンソニー・J・ルーカス賞、2011
国際ジャーナリズムフェローシップ、2009年
ナイト・Iジェファーソン・フェローシップ、1998年
ピューリッツァー賞、1997年
英語版wikipediaより
"「私は父さんとはちがう。君はこの家では奴隷じゃないんだ。君は私たちに仕えるためにこの家に来たんじゃないんだよ。」 「オーケー。」彼女はそう言った。そして清掃に戻った。"
母が亡くなり、それまで母に尽くしていたローラを私は家に呼び寄せた。だが私は彼女の、時にイラっとしてしまう厄介な一面を忘れてしまっていたことに気づかされた。彼女は毎回のように私に風邪をひかないようセーターを着るように言ってきた、すでに私は40歳を超えているというのにだ。また彼女は私の父とイワンについて絶え間なく不平を言っていた、父は怠け者でイワンはヒルだと。
私は次第に彼女を無視する術を身につけるようになっていた。だが彼女の異様な倹約ぶりは無視しにくかった、彼女は何も捨てたがらないのだ。彼女は一時期ゴミ箱を漁って私たちが何かまだ役に立つものを捨てていないか確認していた。彼女はペーパータオルですら水洗いして何度も何度も再利用した、ボロボロに崩れてしまうまで。
キッチンはスーパーの袋、ヨーグルトの容器、ピクルスの瓶で溢れるようになり、我が家の一角は、他にどう表現しようもない、ゴミの貯蔵庫に変わった。
朝は大抵 家族全員が忙しくバナナやグラノーラ・バーぐらいしか食べないのだが彼女は毎日朝食を作った。彼女は毎日ベッドを整え、家族の洗濯物を洗い、家を掃除した。
「ローラ、君はもうそんなことをしなくていいんだよ。」
「ローラ、それは私たちがやるからいいんだ。」
「ローラ、それは娘たちの仕事だから。」
彼女は「オーケー」と答えるのだが、決して仕事を止めようとはしなかった。
「私は父さんとはちがう。君はこの家では奴隷じゃないんだ。」私はそう言うと彼女がこの家でこれまでにやってきた大量の "奴隷的な振舞い" の一つ一つを挙げていった。
そして彼女が驚いた様子でこちらを見ていることに気がついた。私は深呼吸をし、彼女の顔をそっと両手で包み、彼女の額にキスをした。
「ここはもう君の家でもあるんだ。」私は言った。「君は私たちに仕えるためにこの家に来たんじゃないんだよ。もっとリラックスしてくれていいんだ、わかった?」
「オーケー。」彼女はそう言った。そして清掃に戻った。
彼女は、そうする以外どうしていいのかわからなかったのだ。 私はリラックスすべきなのは自分の方なのだと気付いた。彼女が夕食を作っていたら、止める必要はない、そのまま任せればいい。彼女に感謝し、私たちはその後の皿洗いなどをすればいい。私は自分自身に絶えず言い聞かせなければならなかった、"ローラのしたいようにさせよう"
それからしばらく経ったある夜、私が家に帰るとローラがソファに座り、足を延ばし、テレビをつけた状態でワードパズルをしていた。彼女の脇にはカップに注がれた紅茶があった。私に気づくと彼女は私の方を見て、真っ白な入れ歯を覗かせながら、すこしきまり悪そうに微笑んでパズルに戻った。良い兆候だと私は思った。
そして彼女は家の裏庭でガーデニングを始めた。バラやチューリップ、そしてあらゆる種類のランをそこに植え、午後はその世話をして過ごした。彼女は近隣を散策するようになった。
ローラが家に来てから5年ほど経った、80歳近くになった彼女の関節は悪くなり歩く時は杖を使うようになっていた。かつてはファミリーレストランの下働きのようにキッチンに立ち続けていたが、今は心が赴いた時だけその腕をふるう職人肌のシェフのようになっていた。時折豪華な料理を作り、私たちがそれをガツガツと食べるのを見てにこやかな笑顔を見せながら喜んだ。
ローラの寝室のドアの前を通ると彼女がフィリピンの民謡のカセットを聴いているのをよく聞いた。同じテープを何度も、何度も繰り返し聞いていた。
私は彼女がほとんどすべてのお金を故郷の親族に送金していたことを知っていた。私と妻は彼女に週200ドル与えていた。ある午後、私は彼女が裏庭のデッキに座りながら、故郷の村の誰かが送ってきたスナップ写真をじっと眺めているのを見つけた。
「家に帰りたいと思うかい、ローラ?」
彼女は写真をひっくり返して、そこに書かれた文字を指でなぞり、そしてまたひっくり返して写真の一点をじっと見つめた。
「はい。」彼女はそう答えた。
彼女ははっきりとは言わなかったが、その旅の目的は彼女が長年戻りたいと焦がれてきた故郷が、今でもまだ自分のあるべき場所のように感じられるかどうかを見極めることだった。
1か月後、彼女の故郷マヤントクの村を訪れる、彼女はその答えを見つけたようだった。
「何もかもが変わってしまっていました。」村の周りを二人で歩いていると彼女はそう私に語った。かつてそこにあった農場はなくなった、彼女の家もなくなった、彼女の両親も、彼女の兄弟のほとんども。まだ生きていた子供の頃の友人の何人かは見知らぬ人のようだったという。
「彼らを見ることができて嬉しいですが... でもやっぱり何もかもが様変わりしています。」
彼女は最後の時をここで過ごしたいと思っているが、まだ心の準備ができていないと言った。
「...君の庭に戻ろうか。」私は言った。
「ええ、家に帰りましょう。」
All photos courtesy of Alex Tizon and his family ローラは私や私の兄弟たちが幼かった頃にそうしてくれたように、私の娘たちに献身的に尽くしてくれた。学校が終われば娘たちの話し相手になりお菓子を作ってくれた。
そして妻と私と違い(特に私)、彼女はあらゆる学校のイベントや発表会を、その一時一時を楽しんでいた。まだまだ楽しみたいとすら思っている様子だった。彼女はいつも一番前に座り、それらのプログラムを記念品として大切に保管した。
ローラは些細なことで喜んだ。家族の旅行に連れて行ったときはもちろん、家から少し丘を下ったファーマーズ・マーケットへ行った時も、まるで子供が遠足に行ったときのように目を輝かせながら「まぁ、なんて大きなズッキーニ!」と様々なものを見ては興奮し楽しんでいた。
彼女が毎朝最初にすることは家中のブラインドを開けることで、それぞれの窓でしばし立ち止まり、そこから見える風景を眺めていた。
そして彼女は自らの力で字を読めるようになった、それは学ぶ機会を与えられず晩年を迎えた彼女にとって一大事であり、私からしても驚くべきことだった。長年をかけて彼女は必死に手紙を読む方法を学んだようだ。
彼女は文字がたくさん並んだものから単語を見つけ出し丸で囲むパズルをよくやっていた。彼女の部屋にはそのワードパズルの小冊子が積まれていて何千という丸が鉛筆で描かれていた。彼女は毎日ニュースを見て、新聞と照らし合わせて少しずつそこに書かれた意味を理解したという。
そして彼女は毎日新聞を最初から最後まで読むようになった。かつて父は彼女を "バカ" だと言っていた。だが今の彼女を見ていると、仮に彼女が8歳の頃から田んぼ仕事をせず読み書きを覚えていたとしたらどんな人となっていたか、そんなことを考えてしまった。
"「ローラ、君はセックスをしたことがある?」私は、まるで誰か他人が言ったのを聞いたように、そう質問する自分の声を聞いた。"
All photos courtesy of Alex Tizon and his family ローラは12年間私たちの家で暮らした。私はよく彼女自身のことを質問した、私が知っている彼女だけでなく、彼女自身の口から語られる言葉を聞き、その人生を知るために。彼女はそんな私の習慣を不思議がっていた。
私の質問に彼女はしばしば「なぜ?」とまず答えるのだった。なぜ自分の子供時代について知りたいのか、なぜ私の祖父と初めて出会った日のことを聞くのかと。
私は妹のリンに頼んでローラの人生における恋や愛の話を聞かせてもらうよう頼んだことがある、私が質問するよりも彼女の方が答えやすいだろうと思ったのだ。だがそんなお願い事をすると妹はケラケラと笑った、要するに、協力する気はないということだ。
ある日ローラと私がスーパーで買った食料品をしまっている時に、私はついこんな質問をしてしまった。
「ローラ、君は誰かとロマンチックな経験をしたことはあるかい?」
彼女は微笑んで、彼女が唯一持つ異性との話を私に語った。
彼女が15歳くらいの頃、近くの農場にペドロというハンサムな男の子がおり数ヶ月間彼らは一緒に米を収穫したという。そして一度、彼女はその作業に使っていたボロという農具を手から落としてしまったことがあり、彼はすぐにそれを拾い上げ手渡してくれた。
「私は彼が好きでした。」ローラはそう言った。
しばらく、お互い黙ったままで
「それから?」
「彼はその後すぐに立ち去ってしまいました。」
「それから?」
「それだけです。」
「ローラ、君はセックスをしたことがある?」私は、まるで誰か他人が言ったのを聞いたように、そう質問する自分の声を聞いた。
「いいえ。」彼女はそう答えた。
彼女は個人的な質問に慣れていなかった。彼女は私の質問に1つまたは2つの単語で答えることが多く、単純な物語でさえも引き出すには何十もの質問が必要だった。私はそれらの質問を通してそれまで知り得なかった彼女の一面を知った。
ローラは母の残酷な仕打ちにはらわたが煮えたぎる思いをしたが、それにもかかわらず母が亡くなったことを悲しく思っていたことを知った。彼女がまだ若かった頃、時々どうしようもなく寂しさを感じ泣くことしかできなかった日が何度もあったことを知った。
何年も異性と付き合うことを夢見ていたことを知った、私は彼女が夜に大きな枕で抱かれるように包まれた状態で寝ている光景を目撃したことがある。だが老後の今、私に語ってくれた話によると、母の夫たちと一緒に暮らすうちに独り身でいることはそれほど悪くないと思ったという。彼女はその二人、父とイワンについては全く懐旧の情に駆られないそうだ。
もしかしたら、彼女が私の家族に迎えられることなく故郷マヤントクで暮らしていたら、結婚し、彼女の兄妹のように家族を持っていたら、彼女の人生はより良いものになっていたかもしれない。だがもしかしたら、それはもっと悪いものになっていたかもしれない。ローラの2人の妹、フランシスカとゼプリャナは病気で亡くなり、兄弟であるクラウディオは殺されたと後に聞かされた。
そんな話をしているとローラは、今そんな "もし" の話をして何になるのかと言った。"Bahala na" が彼女の基本理念だった。
bahalaの本来の意味は「責任」。フィリピン人の性格を表現する時によく使われる「Bahala na(バハーラ ナ)」:何とかなるさは、「Bahala na ang Diyos(バハーラ ナ アン(グ) ジョス)」:神の責任である→神の思し召しのままに→運を天にまかせよう、というところから来ている。「Bahala」自体はそんないい加減な意味の表現ではないので注意が必要。
フィリピン語(タガログ語) Lesson 1より
http://www.admars.co.jp/tgs/lesson01.htm
ローラは彼女が送ってきた人生は、家族の別の形のようなものだったと語った。その家族には8人の子供がいた、私の母と、私とその4人の兄弟、そして今共に過ごす2人の私の娘だ。その8人の子供たちが、自分の人生に生きた価値を作ってくれたと、彼女はそう言った。
私たちの誰もが彼女の突然の死に準備ができていなかった。
"彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。"
ローラは夕食を作っている最中に台所で心臓発作を起こし、その時私は頼まれた使いに出ていた。家に戻り倒れている彼女を見つけた私はすぐさま病院に運んだ。数時間後の午後10時56分、病院で、何が起きているのか把握する前に彼女は去ってしまった。すぐに全ての子供たちと孫たちがその知らせを受け取ったが、どう受け止めていいかわからない様子だった。ローラは11月7日、12年前に母が亡くなった日と同じ日に永眠した。86歳だった。
私は今でも車輪付き担架で運ばれる彼女の姿を、その光景を鮮明に思い出せる。ローラの横に立った医師は この褐色の子供くらいの身長の女性がどんな人生を歩んできたか想像もつかないだろうと思ったのを覚えている。
彼女は私たち誰もが持つ利己的な野心を持たず、持てなかった。彼女の周りの人々のためにすべてをあきらめる様は、私たちに彼女に対する愛と絆と尊敬をもたらした。彼女は私の大家族の中で崇敬すべき神聖な人となっていた。
屋根裏部屋にしまわれた彼女の荷物を解く作業には数ヶ月かかった。そこで私は、彼女がいつか字を読むことができるようになった時のために保管しておいた1970年代の雑誌のレシピの切り抜きを見つけた。私の母の写真が詰まったアルバムを見つけた。 私の兄弟姉妹が小学校以降獲得した賞の記念品も見つけた、そのほとんどは私たち自身が捨たもので彼女はそれらを "救いあげて" くれていた。
そしてある日、そこに黄色く変色した新聞の切り抜きが、私がジャーナリストとして書いた記事が大切に保管されているのを見つけ、泣き崩れそうになった。彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。
「こちらです」
柔らかい声で、私はそのコンクリート製の家へ続く短い道に案内された。私の後を20人ほどの人が続く。若者もいたがその多くが老人だった。
家に入ると、私以外の人たちは壁に沿って並べられた椅子とベンチに座った。部屋の中央には何もなく私だけが立っていた。私はそのまま立ちながら私のホストを待った。それは小さな部屋で暗かった。人々は待ち望んだ様子で私を見ていた。
All photos courtesy of Alex Tizon and his family 「ローラはどこですか?」
隣の部屋から声が聞こえ、次の瞬間には中年の女性が笑顔を浮かべこちらに向かってきた。ローラの姪、エビアだった。ここは彼女の家だった。彼女は私を抱きしめて、「ローラはどこですか?」と言った。
私はトートバッグを肩から降ろし彼女に渡した。彼女は笑顔を浮かべたままそのバッグを丁寧に受け取り、木製のベンチに向かって歩みそこに座った。彼女はバッグから箱を取り出しじっくりと眺めた。
「ローラはどこですか?」
と彼女は柔らかく言った。この地域の人々は愛する人を火葬する習慣がなかった。彼女は、ローラがそのような形で帰ってくることを予想していなかった。
彼女は膝の上に箱を置き、その額を箱の上に置くように折れ曲がった。彼女はローラの帰還を喜ぶのではなく、泣き始めた。
彼女の肩が震え始め、泣き叫び始める。それは私がかつて聴いたローラの嘆き悲しむ声と同様の悲痛な叫び声だった。
私はローラの遺灰をすぐに彼女の故郷に返さなかった、これほど彼女を気にしていた人がいたことを、このような悲しみの嵐が待ち受けていることを想像していなかったのだ。私がエビアを慰めようとする前に、台所から女性が歩み寄り彼女を抱きしめ共に泣き始めた。
そして部屋が嘆き声の轟音で包まれた。目の見えなくなった人、歯が抜け落ちた人、皆がその感情をむき出しにすることをはばからず泣いた。それは約10分続いた。気づけば私も涙を流していた。むせび泣く声が止み始め、再び静寂が部屋を包んだ。
エビアは鼻をすすりながら、食事の時間だと言った。誰もが列を成してキッチンに入る。誰もが目を腫らしていた。そして急に顔を明るくして、故人について語り合い、故人を偲ぶ準備を始めた。
私はベンチの上に置かれた空のトートバッグをチラリと見て、ローラが生まれた場所に彼女を戻すことが正しいことだったと実感した。
海外の反応
theatlantic.comのコメント欄より: ソースchimichurri なんと類いまれな物語だろう。著者のアレックス・ティゾンもまた類いまれな記者だ、57歳という若さで亡くなったことが残念でならない。
Jason P chimichurr 映画にできそう、それはもう心打つ映画になるだろう。ハンカチ3枚は必要になる。 ローラもそうだが、認知的不協和(人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態)を抱える母に苦悩させられる著者もまた犠牲者と言えるかもしれない。
Adrián Sanabria
今日の映画界が手掛けるとなると...
爆発シーンやけばけばしさ演出だらけ、しかもローラは25歳のホットで見掛けだけは良いが頭の悪い女優、ジェニファー・ローレンスとかが演じるとかになりそう...
theVaudeVillainess
このコメントを読むまで著者が亡くなったなんて知らなかった...
なんか余計に悲しくなってきた。
I'm With Her 慰めになるかわからないが、きっと著者は天国でローラと再会できているはず。まぁあの母親は地獄の業火で焼かれているだろうが。
Ilonka h 著者も地獄行きだろ。
Ilonka h とても才能あるライターだとは思うが自分の行動の言い訳をしているようにしか思えない。
Troll_in_Training
彼の母親がもっと道徳的な選択をしていたとしたら、この著者の書く物語がどんなに母の日にふさわしい物語になっていたか、想像してみてよ。
彼女は2人のひどい夫に苦しめられながらも立派に成長する子供たちを育て、医療に身を置き弱者を助けるためにその身をささげたという感動的な作品を読んでいたはず。
まぁ実際は、奴隷を抱えていたという事実によって永遠に汚染されているわけだが。
JH でもその医者になるための時間を作ってくれたのはローラなわけで、奴隷なしには成立しない話じゃん。
Troll_in_Training ローラに給料を払うなりまともな扱いをするなりできたはず、それがまともな人間のすること。やっぱこの母親はどうしようもないわ。
porkwad
残念ながらこれはフィリピンの文化であり、過去の時代から終わることなく受け継がれてきたことだ。この母親は彼女の父親がそうしたようにローラに対し思いやりを持たずに育った、彼女を完全に支配しいつでも彼女を利用するように。
彼女がそう育ったのは彼女の父親のせいであり、ひいてはそれを当然とするこの地域のせいでもある。ローラもまた無知ゆえに、常に怯え従うがゆえに、そしてある種
共依存していたがゆえに、この母親はその行動をより自己正当化することにつながった。もちろんローラのせいではない、彼女には選択の余地も、それが人のあるべき姿ではないと知ることもできなかったのだから。
veerkg_23 皆忘れがちだけどこの父親も相当な人物だぞ。
veerkg_23 著者らの本当の母親はローラだね。きっと著者の母親もどこかで負い目からそう感じていたんだろう。ローラは自らの子供を持つことができなかったけど彼女が育てた子供たちは彼女を母と思ったはず。でも母親らしくしてあげられなかった著者の母親も、子供を彼女から取り上げることになったローラもどちらもが罪悪感で悩まされていたんだろうと思うと...
RustedSteel 著者は彼のできる限りのことをしたと思う。彼もまた共犯者なのかもしれないけど、その状況というか罪は彼が作り上げたものではなく受け継いだものなわけで。
Troll_in_Training 彼はローラに給与に支払い、彼女長年望んでいた故郷へ連れて行った、そのまま残る選択肢も与えたじゃない。
Anna of Andalusia そうね。でも週に200ドルってどうなのよ? 彼と彼の家族のために長年奴隷にされた女性に支払う額として十分とは程遠いでしょ。
Dutch550 その額が精いっぱいだった可能性もあるけどね。
Ilonka h 40になるまでローラを助けようとせず帰国のチケットを用意したのも家に迎い入れてから5年も後、有名な賞を取り大学でも教鞭を振るう彼が金銭的に余裕がなかったってこともねぇだろう。
StayWoke だが彼の家族の、50年に及ぶローラへの扱いに対する贖罪を彼一人に負わせるのもまたどうかと思う。彼はローラを本当の家族として受け入れた。ローラはその後も彼に尽くしたが彼もまた彼女に尽くした。ローラはお金を受け取ってもそのほとんどを故郷に送金、そのお金を何か自分のために使うこともできただろうにそうしたのは彼女が多くを望まなかったのはもちろん、著者の家族との生活を良しとしたからでもあるんじゃないのか?
Laura Wynter それに家に迎い入れただけじゃなく何もしなくていいと言ったわけだしね。ただ悲しいかな、奴隷生活が染みついた彼女にはそれが難しかった。
Skip Truth
かつてアメリカ南部には何百万という奴隷がいた。数十年前まではペルシャ湾岸では奴隷制が続いていた。このような凶悪な人間の振る舞いは皆が想像するよりはるかに身近だ。
マンハッタンの住居に "従業員" を連れてきたインドの国連関係者がついこの間いただろ?
実際は年間60ドルしか支払われないその "従業員" をアメリカの警察が解放したらインド政府は文句を言いインドの国民は奴隷を解放した米国の警察に怒りをあらわにしたわけだが。米国のメキシコ企業が就労ビザを手配し従業員にリベートを要求するのもかなり一般的だ。
現在もアメリカには奴隷に近い人々が存在する。まぁ私たちが解放するたびに、なぜか我々が人種差別主義者と呼ばれるのだが。
Mosa 職場にいるのに声が出るくらい泣いてしまった。 それと奴隷として扱われる女性に育てられ、その成長過程でその人が奴隷なのだと知る、それがどんなものなのかちょっと想像ができない。物凄い話だった。
Harry Policap 本当に心を鷲掴みにする、そして悲しい話だった。著者の思いやりとやさしさに賞賛を送るよ。ハイチからの第一世代の移民として、私はこの世界に「ローラ」のような人がたくさんいるという事実を証明することができる。彼女の安らかな眠りを祈るよ。
Archibald Chamberpot
奴隷のオーナーってのはこう...
脳の中の何かが切り替わるとかして奴隷を人間と思わなくなるのかね?
著者の母親の日記にローラがほとんど出てこないという所がこのストーリーの中で最も印象的な場面の1つだ。
彼女は愛情をもって接する家族と親愛する友人を持っているのに、同時に人として認識しない人物を所有している、それは私には理解できない不協和音だ。
なんだろう?
ローラのことを "賢くお手伝いもしてくれる犬" のようなものと認識しているのだろうか?
NWPaul 人はその歴史の中で何度も人間を非人間化してきた、それは特殊なことではなく普通なことだよ。戦争の中で起こる残虐行為もそう、犯罪者を処刑する人間もそう、売春婦が殺された事件を聞き「自業自得だ」と事情も知らずに思うことも程度の差こそあれそうだ。
Part1はコチラ、 Part2はコチラです。
記事の翻訳に時間がかかったせいで読者のコメントの翻訳にかける時間が足りなくなり、その部分が短くなってしまった事をお詫びします。コメントは翻訳が順次完了し次第追加していきます。
また大変厚かましいお願いですが、 翻訳が気に入ったらシェアしていただけるとありがたいです。
なんと言えない物語
返信削除自分みたいな人間が彼女の人生を語るなんて
おこがましすぎる
ただ、せめて晩年が穏やかだったと信じたい
翻訳ありがとう。
返信削除彼女の晩年が多少なりとも穏やかだったようで救われる。
膨大な量の翻訳乙
返信削除どう取り繕っても結局は奴隷であり許されるものではないという感情と
それでも絆や愛情は感じられるという思いが同時に沸き上がる
おそらくその比重で読者は二派に分かれるのだろうが
どちらも真実であるしそのまま受け止めようと思う
この記者と家族の是非はともかく、実に読ませてくれた翻訳だったよ
返信削除お疲れ様、読ませる翻訳だった。
返信削除記事は言い訳臭さがぬぐえないな。
明治時代からアメリカは中国人苦力(奴隷)の扱い悪くて怒られてたじゃん。
日本占領化だのスペインだの現地の風習だのじゃなくても
自由契約もなく賃金払うだけで奴隷解放を謳うアメリカ流の奴隷そのものだし。
ビビって第三者風に物語〆るのもいかにもアメリカって感じ。
自己保身で端折ったり美化した部分はありそうだね。
削除じゃなきゃ今も一般家庭から企業まで公然の秘密として存在する不法移民の扱い、使い道について、徹底追及してたはず。
ローラほどではないかもしれないけど、似た状況に置かれてる者が大勢いるから。
それでも彼自身もマイノリティとして差別される立場に立たされた経験もあるだろうし、アメリカの教育を受けて世間への嘘(ローラについての)に付き合わされてる事で罪悪感はたっぷり刷り込まれてるし、赤の他人より遥かに近い存在としての感情に嘘はないと思う。
語られなかった部分があったとしてもローラは他の生き方を知らないし、愛憎あっても人生重なって縁深い第二の家族から“解放”→第三者の中に放り出されるよりかはこの中途半端な著者の元で余生を過ごしたのは幸せだったんじゃないかな。
ハードなのかマイルドなのか
削除本当にすごい話だ…
返信削除「去年のアメリカで最もよく読まれた記事」という見出しに全く嘘がなかったと実感できる
翻訳おつかれさま
返信削除彼女の晩年が最悪なものじゃなかったことに少しだけ安堵した
他国の伝統文化を批判できる立場に無いが、もしこんな家族が近所に住んでいたら、自分なら警察に通報していただろう
しかしこんな人々が、世界にまだまだたくさんいるのだろう
彼女のような境遇の人がいなくなるための解決策は、わたしには思い付かない
とっても長い翻訳をありがとうございました。
返信削除ローラさんの晩年が穏やかに過ごせたようで良かったです。
鼻の奥がきゅーっとなってドライアイがなおりましたρ(・・、)
ローラさんとアレックスさんのご冥福を御祈りします。
翻訳本当にお疲れ様でした。
とても心に響く話でした。
返信削除このような物語を翻訳してくださり感謝です。
本当にありがとうございました
彼女のような人を作らないように啓蒙されてるのだとしたら著者の行動は理解出来る。彼女の労働に見合うものとしてはささやかだろうが印税等をフィリピンや孤児、貧困問題などに寄付などされると良いのかな第三者視点では思うが。
返信削除話の紹介ありがとうございます
日本占領下ってのはこの場合関係あるのか?って疑問がわく
返信削除海外の話によく出てくる残虐非道な日本軍も出てこなけりゃ
日本軍によって奴隷にされたわけでもなく普通に日常生活送ってたアメリカ人家族と
その奴隷たる使用人のフィリピン人の物語ってだけでしょ
フェイクタイトルもいいところ
時間の流れを区切る物差しとして、スペイン時代か合衆国時代か日本占領下だったか、フィリピンの歴史を学んだひとなら目安になるでしょ
削除べつに占領したからといって統治者が残虐非道だったかどうかは関係ないし、日本軍がどうこう言う為の「占領下」という表記じゃないし
それ言い出したら、アメリカ植民地時代があったことも「合衆国の悪逆非道さを言い募るのが目的だろ」ってトランプあたりがツイートしそうだよ
フィリピンを日本が占領してた時期があったことは歴史の1ページとして素直に受け入れようよ
タイトルに文句言ってるの、なんだか被害妄想っぽいよ
タイトルは大事だぞ
削除不適切だと読者の期待を裏切って、ガッカリ体験させかねないんだからな
こういうサイトだともう、その辺のモラルが低いのは当たり前なので
今更目くじら立てるほどでもないけれど
内容的に重要でない「日本占領下」がタイトルにあることで
日本人が思わずクリックするように「日本占領下」とわざとつけたんだなとか
あれこれ勘ぐられたり批判されるのは仕方ないんじゃないか
なぜか争点が歴史認識とか被害妄想って話になってる件には触れないでおく
「フィリピンを日本が占領してた時期があったこと」自体は誰も反対しないだろ
削除現地人を奴隷としてコキ使った免罪符の一部を日本に押しつけようとしてる感じがするから違和感が出てくる
そもそも、戦争とか日本の統治下とか言う前からアメリカはフィリピンを植民地としていたわけで、
この祖父の現地人を奴隷としてしか見ない感覚は、当時のごく一般的なアメリカ市民の感覚そのもの
逆に、奴隷を家族のように扱う方が変だよ、「当時は」
今の価値観と過去の価値観があまりに違うからおかしく感じるかもしれないが、
彼の家庭だけではなく、大勢のアメリカ人家族が同様の事をしていた
こういうタイトルを入れてくる事自体、贖罪や後ろめたさを和らげたい気持ちはわかるが、
日本人にとってはいい気分のものではない。アメリカの奴隷制度と日本は関係ない
翻訳お疲れ様です
返信削除読めてよかった
ありがとうございました
アメリカ人(白人)の反応がしりたいな
返信削除翻訳お疲れさまでした。
返信削除実に考えさせられる話でした。
日本の開放下から アメリカの支配下になって
返信削除アジア人は再度奴隷になったって話じゃん
全然いい話じゃないねw
アジアの歴史は大雑把に見ても、日本統治時代が一番まともだったといわざるを得ないよね。
削除文盲哀れ
削除読解力テストで皆が皆良い点を取れるわけではないからな。
削除文章を読んで内容を理解できない人がいるのはしょうがない。
翻訳越しでも読み応えあるなあと思ったら記者が本業の人だったのか
返信削除それにしても若くして急死したのは驚いた
翻訳ありがとうございました
ローラからの仕送りをアテにしてる故郷の親族もなぁ…
返信削除出稼ぎ労働者と故郷の金の流れって家族愛で成り立ってるんだろうけど、単純に美しいものばかりだとは思えない構図。
うまく言葉が見つからないんだが釈然としない。
フィリピンは今でも、海外で家政婦や水商売に従事する女性からの仕送りに親族一同が頼っている、みたいな家が一杯あるからね。家族の結びつきが凄く強いので、仕送りを受ける方はそれが当然だと思っているし、仕送りする方も送金額が少ないと罪悪感を感じるらしい。
削除そして不運にも酷い雇用主に出会って、ローラのような目に遭っているフィリピン人女性は今も大勢いる。
ローラに関して約束した賃金を払ってもらえず 暴力的な酷い軟禁状態にあった人だから出稼ぎに人とは違うからね
削除貧困による出稼ぎ人としては 90年台の話だけど 俺が学生の時アルバイトしてる先にフィリピン人女性がアルバイトしてた
その人80年代に日本に来たって言ってて稼いだ金をほとんど仕送りしてた。遊びにおいでってよく誘われたんだよね で行ってみたのよ そしたら仕送りで御殿が建ってたよ 日本で買った5、6臆するような御殿 で親族みんな遊んでくらしてんの まぁ今でも物価差あるが当時の物価差は今の非じゃないし 当時後十年ぐらい働いたら帰って遊んで暮らすって言ってた 日本で働く暮らし続ける自分に疑問を感じたよ。 似たような福建省の林ちゃんもそうだった1万円あれば家族で豪遊できるってね林ちゃんも仕送りを惜しんでなかった。 もし俺が彼女の立場でも仕送りすると思う 仕送りすることで当時は数十倍の価値になったからね。
私は出来た人間じゃないので著者のなあなあな部分が何となく想像できる。
返信削除彼女に半分自由を与え、半分そのまま利用している。
「何もしなくていい」と言ったところで彼女が家事をやらずに居られないってわかっているからね。
本当に自由・リラックスを彼女を与えたいのなら自分の近くで一度は独立させる事を考え一人暮らしをサポートして欲しかった。
できるかできないかは彼女が決める事だし、彼女が何かをやってみるきっかけが必要だったと思う。
著者は自分が出来る良い事をやったと思うけど、半分は「彼女はこうするだろう」と読んでコントロールしてる気がする。
著者を極悪非道とは思わないが、祖父・親より常識があった、それだけじゃなかろうか?
>本当に自由・リラックスを彼女を与えたいのなら自分の近くで一度は独立させる事を考え一人暮らしをサポートして欲しかった。
削除できるかできないかは彼女が決める事だし、彼女が何かをやってみるきっかけが必要だったと思う。
今更共依存の人間をさあ自由だって放り出しても却って残酷だけどなあ。
ぶっちゃけその歳で家族もいないのに自立させるってのはとても難しい、人間歳をとればとるほどやれる幅はせばまり慣れた環境に固執する、そのままの環境でやりたいことやらせてあげるのがいいと思うよ。
すくなくとも良かれと思って勝手にこちらでお膳だてしちゃうのは駄目だわ、精々提案までだよ。
俺もそう思う
削除海外のニュース?で「どうか元気で…20年間鎖に繋がれサーカスで過ごしたピューマを野生に帰す。感動の瞬間」とか言って、欧米人はすばらしいとか言ってるけど、全然すばらしと思えないんだよね
今更野性に戻されたって生きていけないだろうに、安いヒューマニズムのオナ煮ストどもめとか思っちゃう
20年使い続けて、最後に野生にポイかよ!!みたいなw
年老いて使えなくなったから捨てただけだよね
削除捨てられた動物は死ぬしかない
ひどい話だ
「自分の家の近くで」と書いたのは、放り投げるだけじゃなくサポートして欲しい意味を込めてでした。
削除彼女は「誰もい無い時」に自分なりの休憩をしてたはず
その「誰も居ない」状況を自分の意志で出来る空間を与えて欲しかったという意味です。
もっと欲を言えば著者の自宅の徒歩圏内で鍵を渡し、自由に行き来させて欲しかった。
一緒に住んでたら玄関が開くたび、著者家族が何かするたびローラは反応してしまうでしょう
彼女の人生そうやって生きてきたのだから本人自身も今更変えられないでしょう
でも、自分の意志以外で動かなくても良い空間があれば何か違う時間の過ごし方が出来たのかなと思いました。
決して安易に別の人生を歩んでほしいとか、簡単にそう思ったわけじゃないです。
Part2までの雰囲気から「ローラは存命中に故郷に帰ることが叶わなかったのでは…」とヒヤヒヤしてたので、晩年に帰国して家族と会うことが出来たと知れて良かったです。
返信削除長文翻訳ありがとうございました。
遺骨を渡すシーンでは、やはり世界的には火葬ってマイナーなんだなぁと再認識したというか…。
宗教的文化的に火葬を禁忌としているのに安易に日本への移住を考えているような外国人は、ホント考え直してほしいですね。
両親とローラーは典型的なフィリピン人だね
返信削除時代と場所を考慮するとローラーの人生は必ずしも不幸だったとは言えない
淡い恋の思い出が、落とした工具を拾ってくれた事だけだぞ。
削除泣きそうになったよ。
親が病気になっても逢いに行く事も、治療の金を送る事も出来ない娘の気持ちを
思えば、諦めだけの人生だよね。
只他に生きる術が無く、ローラが接触する人間は奴隷にした家族だけだ。
尽くす事で家の一員、コミュニティの一員位には思えていたんだよね、他に無いんだから。
著者はもっと早く帰国させてやれたでしょ、フィリピンでは奴隷が・・・と最低に合わせなくても
良いでしょう。所々言い訳がましい文章がこの人を表しているね。
翻訳ありがとうございました。
文化、習慣、価値観の違い、それよりも「さだめ」みたいなもの
削除可哀想とか残酷と思うかもしれないが、フィリピンではよくあった事
彼等はそういう境遇に生まれ育ち、自分の家族・親戚以外にも同じ境遇の人
を見て育ってきたし、ローラは年の離れた農夫との結婚も拒否できた
幸福とは?不幸とは?
それは置かれた状況と知識で人それぞれ異なるんじゃないのか
だから、両親もローラ自身も奴隷とは思っていない
著者は幼い頃に文明国に行き、そこで得た知識や文化を吸収し精神的(洗脳?)
にかなり文明人?になってしまった
だが、両親やローラの精神構造はフィリピン人のまま
その事に著者は常に精神的葛藤があったと思う
母親の死後、ローラを引き取ったのが他の兄弟ではなく著者だったのは何故?
著者の書き方なのか?翻訳の仕方なのか?変だと思うところがある
パート1にある「母は祖父が所有する「奴隷」の手によって育てられた。」と
あるが、この時を「奴隷」と考えるの絶対にはおかしい
最上級の記事です。ネットの記事をこんなに楽しみにしたのは何時ぶりだろう…
返信削除感情まで翻訳されてるかのような丁寧さでした。個人でやってるのかな??? だとしたらむしろ怖い( ゚Д゚)
もしかしたらご存知かもしれませんが、NHKドキュメンタリーにもなった、日系オランダ人の方々の記事など、大きな反響を呼ぶかもしれません。
大戦時、日本軍政下のインドネシアで、オランダ人や蘭印系オランダ人と日本人との間に生まれた子供たちが、戦後オランダに渡り、そのルーツ故に大変な葛藤を抱え育った歴史があります。
個人的に調べてはいますが、何分オランダ語はもちろん英語も駄目なので、いまいち現地の反応などが掴めていません・・・
彼の成人してからの行いはある意味贖罪であり無意識の自己正当化だと思う。
返信削除それでも彼の行動は正しかったと思うけど。
ただ、彼女の精神は逃げ場のない洗脳から作られた自己防衛に他ならない。
聖人じゃないよ、作られたロボットより哀れだ。
長文の翻訳おつかれさまでした。
返信削除まったく人間をやるのは面倒なことですね。
著者自身の文あるいは翻訳文中のPorkwad氏のコメントにもあるように、これはフィリピンの文化の一つだ。
返信削除Part2の時にも書いたが、KatulongとかYayaとかは現在でも普通に存在している。
2012年にやっとこの人達を守るための法律が制定された。
その時で最低賃金は一か月首都圏P2500(5000円くらい)地方でP1500.
その他賞与、週一の休日等、労働者の権利として当たり前のことが初めて決まった。
裏を返せばそれまで無茶苦茶な労働環境だった。
ただし、今でもこの法律ど通りにやってる人はどのくらいいるのか大変疑問。
この著者の母親は普通のフィリピン人。今でもフィリピンにはこの母親みたい人はたくさんいる。
生れた時からYayaにかしずかれ、通学もお抱え運転手、その結果、この世にはと自分達とそれに仕える人達という二種類の人間があるということを自然と受け入れるようになる。
それでいて、両者には対等とは言えなくも親近感、愛情も生れる。
なんていうか、扇情的な「奴隷」という言葉を使ってるアメリカ育ちの著者の言ってることは今一つピンとこない。
ちなみにこのローラ(Lola)というのは主人公の名前じゃなくてタガログで「おばあさん」の意。
もしかしたら、著者の母親は主人公の女性をアテ(お姉さん)と呼んでいたのではないかと思う。
>>ちなみにこのローラ(Lola)というのは主人公の名前じゃなくてタガログで「おばあさん」の意。
削除( ゚A゚ )マジカ
最後の種明かしだ!
ある程度著者に仕方なかった部分もあるだろう事は認めるけど、やっぱり非難されるべきだと思うわ。
返信削除本人もそれを望んでるだろう。
管理人さんこういう方向性でいけば?
返信削除翻訳うまいよ
すでに本職だったらすまぬ
スレ主さん翻訳ありがとう。
返信削除この物語は間違いなくハリウッドが放っておかないでしょう。
先にあらすじを知ることができて感謝します。
フィリピンにもこういう奴隷制度があるってことも初めて知りました。
また心打つ翻訳よろしくです。
LOLA(ロラ)お婆ちゃん
返信削除LOLO(ロロ)お爺ちゃん
だそうな。まあ、おしんもそうだけど、戦前の日本にローラと同じ様な境遇の人は居ただろうから他人事ではないんだけどさ
翻訳に敬意と感謝を。
返信削除作者は、己の最期を予感して、懺悔録として彼女のことをしたためたのかもね。
日本でのうのうと生きている者だから抱ける感情に過ぎないかもしれないが
それでも「痛ましい」、この気持ちを粗末にする気にはなれない。
本当に素晴らしい記事、翻訳をありがとう。
返信削除>人はその歴史の中で何度も人間を非人間化してきた、それは特殊なことではなく普通なことだよ。
返信削除それ違う。ヨーロッパ人がやったことは地球規模で、しかも今でも「我々が養っている」と
資本主義を利用して社蓄を作り出し、富は欧米中が支配している。おそらく白人からすれば
日本も昔部落民やアジア人を奴隷にしていただろうと言いたいのだろうが、白人がやった方が
はるかに時間が長いし、日本人とは比較にならないほど残虐だ。それでもなお日本の方が酷いと
言うのなら、今すぐ先住民に土地を返してヨーロッパに戻れ。白人には罪悪感がないから今でも
テロに狙われていることをいい加減気付くべきじゃないか。イスラム教徒をいくら迫害したところで
無駄なことだぞ。それくらい有色人種は白人の横暴に我慢の限界が来ている。特に中国は欧米日への
復讐こそが中国の為だと考えているから覚悟した方が良い。
こういうのはドキュメンタリーを中心によく小さい頃から見てたのでこういう世界があるのは知ってました。
返信削除なのでこういう話が実は少数派ではないというのも。あらためて世界は歪みが多いなと思いますね。
ただそれは進んでいる世界から見ているから思うものであってまだ後ろにいる地域は進まない限りそれは終わらないのでしょうね。日本が海外へ支援していることについてたまによそにやる前に内にという人の気持ちもわかりますが、こういうのを少しでも減らしていることを理解すれば少しは見方が変わるのではないのかと思う。
なんにせよ良い記事でした。管理人さんお疲れ様です。またこのような読み応えのある記事を楽しみにしてます。
一日の大半を家族のために費やしたり、社会的な自己実現や野心を諦めるのは
返信削除何もフィリピンの特殊な地域だけで起きてることじゃない
うちにもある
もっとお母さんに敬意を持って接しなければならないと思った
言葉にするのは容易なのに、実際に行おうとすると意外なほど難しい
著者の無意識の落ち度が自分の身にも覚えがあるから、この記事は感情に刺さった
ローラはまさにみんなのお母さんでしたね。
返信削除お母さんという仕事は誰からもお金を貰えません。
昔の日本の嫁を想像してしまいました。
(自由度はもう少しましでしょうか。)
フルタイムの仕事をしながら
家事をして子育てをするのは
両親だけでは人手が足りないと
この記事を読んで痛感しました。
筆者の母親はいわゆるお父さんの
役になるのではないのでしょうか。
ローラのような日常を送っていた日本のお嫁さんが昔はいっぱいいたから、日本の女性は男性に平等を求めるのに感情的になってしまうのでしょうか。
ローラの人生のすべてが不幸なものだったとは到底思えません。彼女の人生は今の日本に生きる我々からすれば、不自由な部分が有ったことは事実です。彼女の人間的な本質の部分、例えば女性としての母性本能は彼女の場合自分の子供は授かりませんでしたが、筆者を含めた子供達を立派に育て上げています。学校行事にも出向き、本当の母親より子供と接しているのです。文盲の彼女が筆者のジャーナリストとしての記事をスクラップしていた事は母親がするあれです。国の違い、文化の違い、宗教や言葉の違い、そして我々一人一人の置かれている環境の違い。これは今の時代でもそれぞれ違います。でも、人間としての本質的な部分はそう大きくは変わらないと思います。彼女が生まれ故郷に戻らなかったのは、もはや、筆者が彼女の家族だったからに他なりません。満足な教育も受けず、晩年近くまで読み書きも出来ず生きてきたローラの人生ですが、決して彼女の人生は、不幸ではなかったはずです。そう思えてなりません。
返信削除同感です。いや、そうであったと願わずにはおられません。きっと天国では幸せになっている事でしょう。
削除コメント欄にカスみたいなコメントがあふれていて絶句した。
返信削除今の感覚で過去の制度を論じるのは全くの無意味。
そういう奴は、過去の奴隷制が当然だった世界に生まれていれば、やはりその時代の感覚で奴隷制を当然視して生きるだけ。
奴隷を使役した側だったろうし、そうじゃなければ従順な奴隷だったはず。
そういう奴は、モノゴトに反対だったり色々するんだろうが、どちらからの視点でどう論じても全くの無駄。そういう奴の論は条件反射の反応と同じでほぼ植物と同じ。
(自分を含めて)ある時代の感覚や道徳や制度にとらわれている人間、そして「自分は善であってイイモノであってヤツラとは違うんだ!」と叫んで、そうやってアイデンティティを確保しないと不安で不安で仕方がない弱い人間。
そういった存在が、色々な世界や時代、そこで苦闘する人間の姿を客観的に捉える為には、本当に教育が大切だと痛切に思った。
ローラが料理をしたり市場で驚いたり、子供を慈しんだりモノを大切にしたり、いわゆる「教育」がない状態でたどり着いた場所に、中途半端な聞きかじり思想やエセ哲学は絶対に追いつけない。
涙なしには見ることができなかった。
返信削除ローラの人生において、著者の家族を支えるための自己犠牲がアイデンティティになっており、それを無くしたら自分の人生そのものが無くなってしまうと思っていたのではないか。
晩年に帰郷したり、家事育児以外のことに楽しみを見出すことができたのは本当によかったと思う。
また、彼女の人生において、両親の死に目にあえなかったことを始めとする数々の諦めは不幸であったと思うし、その生活の中で著者を始めとする子どもたちを慈しみ育てていく中で幸せを感じることもあったと思う。
平和で平凡な人生を送る私たちも、何かを諦めることがあり、その挫折や苦しみの中で運命を受け入れて人生を楽しんだり幸せに感じたりわけで、現代の価値観で見るとあまりにも可哀想で言葉にならない彼女の人生も、その点においては同様だと思う。
タイトルに「日本占領下のフィリピンで」という文言いるか?
返信削除非常に不快なミスリード。
奴隷と日本占領が関係していると勘ぐってしまったじゃないか。
実際は何の関係もなく、ただの島の文化の名残りなのに。
史実によるとたしかにフィリピン諸島の島々は捕らえた人を奴隷にする慣習があった。
江戸時代、日本の船が難破してたどり着いたフィリピン近海の島で
奴隷にされて現地人をうまく騙して船を作って戻ってきたたという話があるくらいね。