アメリカのニュース雑誌『タイム』より

フィギュアスケートのチャンピオン羽生結弦について知っておかなければならない5つのこと

5 Things to Know About Figure Skating Champion Yuzuru Hanyu - By LAIGNEE BARRON February 6, 2018

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それは60年以上達成されていない功績だが、2014年ソチオリンピック男子シングルで優勝したフィギュアスケートの王者 羽生結弦はそのような些細な事柄を意に介すような人間ではない。

ニューヨークタイムズが 『氷上のマイケル・ジャクソン、史上最も偉大なフィギュア選手』 と呼ぶ24歳の彼は、2018平昌五輪フィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの連覇を狙う。最後に五輪で連続して金メダルを獲得した男子シングル選手は1948年と1952年に連覇したアメリカのディック・バトン氏(88)だ。

しかし日本で『氷の王子』として知られる羽生が今回の五輪で連覇するためには歴史の重さ以上のものを克服しなければならない。

去年の末に公式練習で転倒した際に負った重度の足首の怪我が彼をリンクから遠ざけ、彼は2ヶ月以上練習できなかった。 彼は過去にも、2015年の世界選手権直前に「尿膜管遺残症」で腹部を手術した後もすぐに復帰し銀メダルを獲得した。そして今回も彼はまだオリンピックの表彰台に上がろうとしている。


2018平壌オリンピックHP - トップメダリスト より。黄色の円は金メダル、銀色は銀メダル、銅色は銅メダルの獲得数。
2014年のソチ五輪で羽生は男子シングル・ショートプログラムで101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成した。彼は続くフリースケートで2度転んだがそれにもかかわらず金メダルを獲得した。羽生は日本人としてだけではなくアジアで初となる金メダリストとなり、ディック・バトン以来の史上2番目の年少王者となった。

だが彼は完璧でなかったソチでの自分のパフォーマンスに失望し、次のオリンピックでは非の打ちどころがない演技をすると誓った。


そしていよいよ2018平昌オリンピックが始まる。彼が再び苦難を乗り越え出場されることが予想される今、それに先駆けて羽生結弦について知っておかなければならないことを紹介しよう。

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羽生結弦の怪我が平昌での金メダル獲得を危うくする

羽生のコーチは彼がオリンピックに参加すると断言したが、怪我以降は彼の練習の様子はメディアには公開されず昨年11月以来競技に参加することもできなかったのでどうなるかは保証されていない。

羽生は昨年11月9日にNHK杯に先立ち大阪市中央体育館での公式練習で難しい4回転ジャンプの練習をしていたが転倒し負傷、骨と腱、靭帯を損傷する「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」という診断結果を受けた。



羽生は怪我を負う危険性が高いと知りながらもその高難易度のジャンプをマスターしなければならないというプレッシャーを感じていた、そしてそれは日に日に高まっていた。

2017年から2018年にかけて全米選手権を二連覇した米国の王者、4回転ジャンプを5回組み込む超難度の構成を史上初めて成功させ2018平昌オリンピックで羽生のライバルとなることが予想される10代の天才 ネイサン・チェンがフィギュアスケート界に台頭してきたからだ。

羽生は怪我の回復のため予選大会をいくつも欠場したがそれにもかかわらず日本のオリンピックチームに指名される。そして彼は金メダル獲得の希望、その筆頭選手となっている。そして日本の共同通信社によるとフィギュアスケート団体戦が始まる2月9日に羽生は団体戦を回避し16日からの個人種目に集中すると発表したという。


「くまのプーさん」は羽生結弦にとって幸運をもたらすマスコット

羽生結弦と「くまのプーさん」のティッシュケースカバー兼ぬいぐるみは切っても切れない仲だ。

羽生はリンクに出て演技する前に幸運を祈ってこの「くまのプーさん」のぬいぐるみを抱きしめる独自の儀式をすることで、インタビューの際にもそれを携えて質問を受けることで知られている。

羽生曰く「見ると落ち着く」というそれは羽生の熱狂的なファンにとっても特別なものでありファンであることのシンボルとなっている。彼らは頭にプーさんの耳当てを付け、プーさんの帽子を被り、羽生のパフォーマンスが終わればぬいぐるみをリンクに投げ入れるのだ。

ただし残念ながらロゴや商標の扱いにうるさい国際オリンピック委員会の企業スポンサーシップルールのため、プーさんは来るべきオリンピックでは控室で待機しなければならなそうだ。


Embed from Getty Images フィンランド・ヘルシンキにあるフィンランド最大の屋内競技場ハートウォールアリーナで開催された2017 ISU(国際スケート連盟 )世界フィギュアスケート選手権で行われた男子ショートプログラムの中で、日本の羽生結弦のパフォーマンスの後にファンが花束とクマのプーさんのおもちゃを氷上に投げる様子。

羽生結弦は2011年の東日本大震災と津波を経験した

2011年に日本の東北地方を壊滅的な地震と津波が襲ったとき、羽生は震源地近くの故郷の仙台のスケートリンクにいた。

強い揺れによって水道管は破裂し氷作成システムも崩壊、当時まだ16歳だった羽生はエッジカバーをスケートのブレードに装着する余裕もなくリンクから飛び出して建物の外に逃げたという。彼の家族は3日間緊急避難所で過ごし、彼は地震のために練習のための条件を失った。

そしてこの経験が彼のキャリアのモチベーションを高める要因になったという。彼は自伝『蒼い炎』で「震災が私の価値感を完全に変えた」と書いている。


フィギュアスケート関連のニュースを扱うサイト『 Golden Skate.com』 によれば 羽生は避難所で過ごす間、数多くの人々に助けられその人たちのためにも何かしたいと考えたという、そして彼ができることはアイススケートだけだった。彼はチャリティーショーに参加し自分の所有物をチャリティーオークションに賭け300万円近くを寄付、ショーの後も他の選手たちと共に寄付を集めた。

それに続く数ヶ月間、羽生は様々な場所を回りアイスショーに参加、復興資金を集めその3年後にオリンピックで金メダルを獲得したときには「この勝利を被災地を含めた東北の方々や宮城県、仙台市のみなさん、また日本で応援して下さっている人たちに捧げる」と語った。


羽生結弦は他のほとんどの男性フィギュアスケート選手ができない動きをする


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スケート競技はどれだけポイントを獲得できるかを競う競技だが近年のそれはどれだけ綺麗にクワッド(4回転以上のジャンプ)を行うことができるかに収束している。だがそんな中でコメンテーターやスケート選手たちは羽生の技術的精度と芸術性と運動能力を組み合わせた優れたパフォーマンスを称賛する 。

2006年トリノオリンピック銀メダリストでスイスのフィギュアスケート選手の ステファン・ランビエールは羽生を 「フィギュアスケートで最も完璧な選手だ、おそらく史上最も。」ニューヨーク・タイムズ紙のインタビュー で語った。

羽生のパフォーマンスは男女の垣根を超える、女子スケートで高く評価されるエレガントでドラマティックで感情的なダンスの振り付けを彼はその中に組み込むがそれだけにとどまらず、彼の動作の一つ一つが男子スケートにはみられない美しさを持つ。

熟練したジャンプはもちろんのこと、羽生の構成にはビールマンスピン - 片足で回転しフリーレッグを背後から伸ばして頭上に高く持ち上げそのブレードをキャッチするスピン - などの精巧なスピンが詰め込まれている。


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この動きは女性のスケーターがよく披露する、これを可能にするには卓越した柔軟性を必要とするためだ。羽生のスピンはあまりにも象徴的なのでファンは「羽生スピン」とまで呼ぶ。


羽生結弦はプロ野球選手になっていたかもしれない

羽生は小学生の頃に一度フィギュアスケート選手になることをあきらめそうになったことがある。彼は幼稚園の頃からフィギュアスケート競技が与えるアドレナリンが分泌されるようなスリルと闘争を愛していたが、同時に練習の単調さを憎んだと自伝に書いている。

彼は野球をやっていた父の影響からボール遊びが大好きな少年だった。そして小学校3年生の時にフィギュアスケートを離れプロ野球の道を歩もうと思ったと綴っている。

しかしその一年後、2004年の冬にフィンランドで行われた彼にとって初となる国際大会で優勝し勝つ喜びを知るとともに、同時期に自宅近くの拠点リンクが経営難で閉鎖となったことで新たに長い時間をかけて別のリンクへ通わなければならなかったために十分に練習時間が取れず成績が悪化、練習の重要性を再認識しフィギュアに対しても本気になったという。

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“Yuzuru Hanyu” by Jonas Suni is licensed under CC BY 2.0