インドの日刊英字新聞『The Hindu』より

料理の盛り付けと日本

Food plating and Japan - by Swathi Moorthy - MARCH 30, 2018

"日本では料理をいかに美しく盛り付けるかに重点を置く、それが画面の中であっても外であっても"



photo via thehindu.com 日本では『目で食べる』という表現が頻繁に使われる、日本人は料理を眼で「食べた」後、口と胃で「食べる」というのだ。

インド東部のチェンナイで日本語教師として働くシミズ・ユウコさんは、日本人にとって料理の盛り付けは料理の味そのものと同じくらい大切でとても重要視されるものだと説明する、それこそ病的と言えるレベルで。

それはこの国の食関連の映画やテレビ番組の数々を見れば明らかだ。



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例えば『リトル・フォレスト』だ、これは五十嵐大介が描いた日本の漫画作品であり、のちに2部構成の映画として2014年と2015年にリリースされた。それは都会に出るものの馴染めずに故郷の小森、日本の北東に位置する小さな村に戻り、そこで田畑を耕し自給自足に近い生活をしている20歳の女性、いち子の物語だ。

一人の女性が大自然に囲まれた小さな集落で暮らす中で人生を見つめ直していく姿が描かれるのだが、この作品のもう一つの主役とも言えるのが登場する料理の数々だ。

彼女の作る料理は季節に沿って変わっていく。夏には収穫されたばかりの新鮮なニンジン、セロリ、ショウガ、コショウなどを煮詰め自家製のウスターソースを作り、秋にはクルミご飯や栗の砂糖漬けを作る。冬には納豆、餅と共に食べられる大豆を使った発酵食品を作り、そして春にはフキノトウと呼ばれる春の到来を告げるフキという植物の淡い緑色の発芽を使ったご飯のお供であるバッケ味噌を作る。



いち子が自家製の「じゃがいものコロッケ」を作った際にはやはりお手製のウスターソースが添えられるのだが、そのサクサクとした音が聞こえるようなコロッケが白い陶器の皿に盛り付けられていく様を見ていると、どうしようもなく引き寄せられる、食欲をそそられる。

少しの間、いち子はあくまで自分自身のために調理しているということを忘れてしまう。それは決してファンシーなレストランに出すために作られているの料理ではない、だがそう思ってしまうほどにその美しく盛られた料理に目を奪われるのだ。


魅力を呼び起こすものは何か?

料理はただ出せば良いというわけではない、目でも満足できるよう盛り付ける、そうすることは私たちの中に深く染み付いていると言ってもいいかもしれません。

シミズ・ユウコさんそう語る。「例えば大根を剥いたりサケを切る際にもやり方があります。それは素材の持つ味を最大限に引き出す意味で行われますが、視覚的な魅力を引き出すためにも行われています。」


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土屋良雄 氏と山本勝 氏によって2003年に書かれた日本食の盛り付けにかける情熱をつづった本『The Fine Art of Japanese Food Arrangement』の中には、日本食の盛り付けはあまりにも魅力的で人の心をつかんで離さないため、外国人など伝統的な日本食を初めて体験する人はしばしば料理のプレゼンテーションの印象が 実際の食べ物の味に対する印象を薄れさせてしまうとまで書いている。

日本料理には味覚や嗅覚だけでなく、視覚、触覚、さらには聴覚までその料理体験に含まれるという。著者らはさらにそれぞれの料理に使われる皿や椀などの食器も色や形状、そして料理との相性で選択されると付け加えている。

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この哲学はテレビに映る食べ物にも反映されている。日本のTVシリーズの『ラーメン大好き小泉さん』という作品では主人公が毎日日本の異なるラーメンショップを訪れる。彼女はラーメン二郎というカルト的な人気を誇るチェーン店のラーメンを食べるためだけにわざわざ1時間以上かけて出かける、そこは大量のニンニクと1968年以来注ぎ足して作られている醤油ベースのタレを使い脂の乗った濃厚な豚を使ったラーメンを提供することで有名な店だ。

彼女が楽しんでいるだけの味ではない。小泉は目を閉じて麺の湯切り音を聴く、まるでそれが世界で最も美しい音であるかのように。料理が提供されるとまず彼女はじっくりとそれを眺める、そして野菜や豚肉の香りを堪能する。

やがて彼女は豚肉のスライスに箸でそっと触れつつ笑顔を浮かべる、彼女はその豚が持つ質感/触感が完璧であることを知っている、それは最高に柔らかく、同時にその淵はカリカリなのだ。そして待つ、彼女はまだ食べる準備ができていない。そしておもむろに彼女は豚のトッピングを脇に置く。それから彼女は野菜に埋もれた太い麺を引っ張り出しその野菜の上に置く。

「ああすることで濃厚なスープに浸されていた麺は野菜の旨味も吸収するんだ。」と周りの客が説明し始める。そしてついに、彼女はスープに口を付ける、満足そうな笑顔で。小泉にとって、ラーメンとはすべての感覚で味わうべき料理なのだ


photo via thehindu.com
日本のラーメン文化はカルト的な人気となっている数々の名作映画に影響を与えてきた。"マカロニ・ウェスタン" に対する日本の回答として有名な伊丹十三監督の1985年の "ラーメン・ウェスタン" 映画である『タンポポ』はその代表例だ。

長距離トラックの運転手であるゴローがたまたま入ったさびれたラーメン屋で店主のタンポポと縁を持ち、彼女にラーメン屋の基本を手解きし「行列のできるラーメン屋」を共に目指すという物語だ。そしてここでもラーメンはただの食べ物として扱われない、スープ、トッピング、麺、ラーメンを構成する要素全てを堪能する様を丁寧に描いている。

「うーんそうだねえ、まあ、まじめな味ではあるんだけど、元気がないというか、力がないというか」

ゴロ-がタンポポのラーメンを食べた後にこう言ったように、Goodは十分ではないのだ。味だけではなくその体験全てを含めて完璧を目指すのが日本食なのだ。

盛り付けは芸術

2014年に出版された『The Essence of Japanese Cuisine: An Essay on Food and Culture(日本料理の本質:食べ物と文化に関するエッセイ)』は日本食の "間" という概念や盛り付けにおけるルールを探究する本だ。これによれば料理を盛る皿は決して食材で完全に覆われてはならず適切な空間を持たなければならないとしている。

日本人はまた料理を視覚的により魅力的にするために様々な質感、艶、形の食器を使用する。例えば汁椀と呼ばれるスープに使われる椀は美しいデザインと手でしっかりと掴むことができるグリップ力を備えた漆を使ったものになっており、小鉢という薬味などを乗せる小さな皿は陶器が使われる。そして焼物皿と呼ばれるグリルした食材を乗せる皿は陶磁器でできており長方形であることが一般的だ。

またそれぞれ素焼きだったり釉薬を使用していたり、同じやきものでもその料理を最も引き立たせる器が選ばれる。



主人公・井之頭五郎がローカルな料理を味わう『孤独のグルメ』というテレビ番組でも、主人公は料理の味と同じくらいその盛り付けを堪能する。

「今自分の胃は何を欲しているか?」彼はそう自問自答しながらレストランを探し歩く。そして彼の胃が中華料理を欲しがるエピソードでは、彼は日本の横浜地方のチャイナタウンを訪れ担々麵とバンサンスー(中華風春雨サラダ)、焼き餃子を注文する。

そして料理が出てくると彼はまず餃子の形状の完璧さを賞賛する。「この完璧さを崩さなければならないことが申し訳ない。」彼は口にする前にそう言葉を漏らす。

そして目で味わい、口で味わってこう自分自身に尋ねるのだ、「米を注文すべきだろうか?」。 “CLE Dinner Club Ushabu - Temarizushi (手まり寿司)” by Edsel Little is licensed under CC BY 2.0

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