アメリカのリベラル系オンラインメディア『ハフポスト』より

私は日本で黒人と日本人との間で生まれた子供を育てている、このブラックフェイスに囲まれた国で

I’m Raising A Biracial Daughter In Japan, Where She’s Surrounded By Blackface - by Tracy Jones - 03/05/2018

私と妻のハルキ、そして娘のカントラ (photo via huffingtonpost.com)
黒人である私は日本の東京、人口の98.5%が日本人であるこの同質社会の国に住んでいる。妻のハルキは日本人であり、私の4歳の娘カントラは幼稚園のクラスで唯一の黒人の女の子だ。

私は妻が娘を産んだ直後に、日本の産婦人科で働く看護師が娘をハル・ベリーと呼んだことをよく覚えている。それは私の娘が聞いた最初の言葉だった。それを聞き混乱している私の様子を見てその看護師は「違った、ナオミ・キャンベルかな?」ととんちんかんなフォローをした。

娘のカントラは2013年の夏に生まれた。専業主夫の父として私はインターネットを通じてセサミーストリートを見せて娘にアルファベットや色、形、数字を英語で教えた。私は日本のテレビを見せることを考えたが、妻は私に日本のテレビ番組は定期的にブラックフェイスを使っていると説明しそれを止めた。
ブラックフェイス(黒塗り)とは黒人以外の演者が黒人を演じるために化粧を施す行為、それに起因する演者および演目のことで現在は人種差別的行為であると一般的に認識されている。

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私が日本に住み始めたのは2011年の頃だった。最初の2年間は混乱した、私が狂っているのか、それとも日本はアメリカと同じなのかと。黒人として、私は "White Fear" と自分が襲われる可能性を感じ取ることに慣れていた。
(White Fear:白人が潜在的に黒人を恐れること。アメリカで相次いだ警察官による黒人射殺事件やKKKによる人種差別運動もアメリカの白人が潜在的に持つ黒人への恐怖が引き起こしたと説明されたりします。)



東京の地下鉄では通勤者は私の近くに座ったり立ったりしようとしなかった。私はそれが過度に不安に感じているだけの思い過ごしなのか、それとも知らず知らず彼らを不快にさせていたのかわからなかった。人々は私と距離を保ったが私を奇妙な物でも見るかのようにじっと見つめてきた。

エスカレーターを利用したり食料雑貨店やバス停で列に並んで待ったりしていると、近くにいた女性がそわそわしだし自分のハンドバックをギュッと抱きかかえたり振り返って何度も私の顔を見たり、まるで私から身を守るかのような動きを見せた。

定期的に英語の教師としても働いているのだが、学校の子供たちは私がボブ・サップのように見えると言ってくる。ボブ・サップとは格闘家であり日本のバラエティ番組で活躍したアメリカ出身の黒人だ、彼はよく凶暴なキャラクターを演じていた。

私が妻のハルキに子供たちからサップみたいだと言われると伝えると彼女はこう言った。「それよ、だからうちにはテレビを置きたくないの。彼らはあなたが黒人だからそう言ってるの、ただ黒人であるというだけで。



地下鉄や鉄道の駅構内では黒人の顔をまねて顔を黒く塗ったブラックフェイスの日本人が写った広告が目に入る、それはキツネに化かされたような光景だった。

「娘のカントラが毎日日本のテレビを見るのを想像してみなさいよ、あの子はきっと怯えるわ」と妻は言った。だがテレビを娘から遠ざけるだけでは彼女にブラックフェイスを見せないのに十分ではなかった。

「パパ、あれは何?」私の4歳の娘は昨年11月に私に尋ねてきた。私たちは地下鉄に乗っていた。そこには顔を黒く塗った日本人男性の広告が壁に貼ってあった。

「ごめんね。」妻は娘をその広告から引き離しそう言った。「これはイジメよ」と妻が言った。 「それ怖いね」と娘は答えた。


『陸海空地球征服するなんて』google画像検索より その広告は『陸海空地球征服するなんて』という日本のテレビ番組を宣伝していた。それはブラックフェイスの日本人がアマゾンに行き地元の部族の中に入り混じり野蛮な感じで肉にかぶりつくというものだった。

これらの日本のメディアが伝えるイメージが日本の子供たちの黒人に対する視点を形作っているのだ


娘のカントラ (photo via huffingtonpost.com)

ブラックフェイスはカントラにこう教えるだろう、お前は醜く笑われる存在だと。私たちの愛する娘は "恐れられる対象" であり、彼女の縮れた髪の毛は "笑える特徴" なのだ。

私は娘の美しい褐色の肌と茶色のアフロを誇りに思ってくれるように彼女を育てようとしているが、それ自体が日本のモノカルチャー、単一的な文化への挑戦となった。

日本に暮らす日本人とのハーフの子供たち、あるいは日本人以外の子供たちは自分自身を憎むように強いられる危険性が常にある。集団主義的な日本ではその枠組みに収まらない人間は虐げられるか弾き出されるか収まるよう強いられる、たとえそれが日本人であってもだ。

それはアメリカの白人が大多数の地域で育ち黒人の両親を持つことによって葛藤した私の子供時代を思い出させた。"自分たちはお前よりも優れている、なぜなら自分は白人だからだ" 、そう言い放ってくる白人の同級生の中で育った私は家族から黒人としての誇りを失ってはいけないと教えられてきた、それは今でもだ。



両親が私にそうしてきたように私も娘のカントラにそれを教えてきたが、私たちの家の外にあるすべてのものが物事を複雑にした。

娘は日本で生まれ日本で育ったが彼女は日本人とはみなされない、なぜなら日本人らしくない容姿だからだ。

最初、娘は他の子供たちがなぜ遊んでくれないのかを理解していなかった。幼い我が子に人種差別を説明することはできなかった。私はそれができないことに、そんなことをしなければいけないことに憤りを感じた。

「あんな子供達のことは忘れてしまうんだ。カントラはあんな子たちとは違う。」私は自分の子供時代を思い出しながらそう言った。「パパはカントラを愛している。お前は恐れを知らない強い子だ。強くあることを忘れてはいけないよ。」

私が娘を学校に送り迎えに行くときには、私は日本の主婦たちに "私がここに属していない" ことを強く認識させられる。彼女たちは睨みつけるように私を見る、そして私の存在を認めることはめったにない。彼女たちにとって私は "存在しない" か "不愉快/厄介な存在" なのだ。 外国人であり、さらにこの時間に仕事をしていない専業主夫の父である私は彼女たちからすると極めて "間違った存在" に映っていた。

そして私の存在は、私の子供のさまざまな特徴や育ちを余計に際立たせた。

公園などの遊び場に集まる母親たちも同じだった。またその母親たちの子供らは彼女たちのアバターであり分身だ、そして彼らは母親たちがそうするように外国人に接した、そう、私の子供に。日本では子供たちは日本のことわざを学ぶが「出る杭は打たれる」ということわざはまさに娘に対する扱いを象徴していた。



カントラが2歳のとき、彼女は公園の遊び場でそこで遊んでいた少年に向かって一緒に遊ぼうと頼んだ。すると少年はボクサーのように身を構え娘に向かって腕を振り回した、その拳は娘の笑顔からほんの数インチ前で止まった。

子供たちは娘がまるでキングコングであるかのように彼女から逃げだした。その場にいた少女は 「Kowai (怖い)」と言いながら、溺れかけた人のように必死に母親にすがりついた。

カントラはその女の子の腕を引っ張りながら 「ねぇ、遊ぼうよ」と言っていた。彼女の純真さが否定される所を目の当たりにするのはただただ悲しかった。

ほぼ毎日、カントラが受け取る答えは同じだった。「どこかにいって!」

そんな日々を通してカントラは、子供たちと遊ぶための道筋としてまずその母親と仲良くなることを学んだ。



今、娘は幼稚園の初年度を終えようとしている。 彼女はじっとしていることができず、いつも歌を歌う、生命感を体中からほとばしらせるような活発な子に育った。時にはその元気さに疲れることもあるが、私は彼女がそれを失うことを望んでいない。

学校では娘は自分なりにやってのけるしかなかった。彼女はすでに自分が他の人とは違っていることを認識している。「私は茶色の女の子だ」と彼女は言う。 「私はパパと同じだけどママとは違う」



娘が接する人たちの中で唯一私以外の黒人は彼女の学校の先生だ。幸いにもアフリカ系の女性が教師をしている学校を見つけ出すことができたので私たちはそこに娘を通わせたのだが、それでも困難はまだ付きまとった。

初めての親と担任教師との間での面談で、妻と私はクラスで唯一の黒人であるカントラに対する強い不安感を吐露した。先生は私たちをろうばいした様子で見て、そしてすぐに「私たちはすべての子供たちを同じように扱います」と言った。

2回目の面談は担任教師の他に校長も出席したのだが、その場で私は人々が娘の髪に触れることで彼女が "自分は他の人とは違う存在だ" という意識を強くしてしまうだろうからそれを皆に止めるように言ってほしいと説明した。

教師を含む人々にカントラの髪に不必要に触れないようにしてほしいという要求はすでに学校側にしていたのだが無視されていた。

だが面談で校長は「ですが彼女の髪を触ることはそんなに問題ですか? 彼女の頭はとてもカワイイじゃないですか。」と私に言った。そして彼女は、カントラの担任の先生の髪の毛に手を伸ばして触れ始めた。担任は身をかがめて気恥ずかしそうに、「しないでください。」と言った。私はうんざりした。

カントラが成長するにつれて見せてくる変化は、この国との私との関係をさらに複雑にしていった。

最近カントラは「パパ、私は学校に行きたくない」と言うようになった。「パパとママと一緒に家にいたい」

私が娘を学校に迎えに行った後の帰り道では、彼女がその日の出来事を話そうとはしなくなった。

以来私は毎朝娘を鏡の前に立たせ、彼女と一緒に鏡に映る自分に向かって「私は自分が好きだ。私は賢い人間だ。私は美しい。私は強い。」というようになった。逆境に立ち向かうために、カントラは私の行動を模倣した。

それは私にある決意をさせるに十分な光景だった。



日本に住み始めてからほぼ7年、私はこの国に慣れた。それまで不快に思えたものにも慣れた。私は家族を与えてくれた日本が大好きだ。私たちはこの国で良い人生を送ってきたし、この国は美しい。だがしかし、カントラのために、私たちは妻がビザを取得した後にアメリカに戻ることに決めた

娘は彼女のように見える人がたくさんいる環境にいるべきだ。娘はもっと自分自身に誇りを持つべきであり誇りに思えることがたくさんある子だ、だがここにいてはそれに気づくことができない、日本人の価値観を通して黒人である自身を見ることはそれを妨げる。

アメリカで白人に囲まれて育った私には私は少なくとも同じ褐色の肌の親、兄、祖父母、いとこ、叔父、叔母がいた。

その地域は白人が圧倒的大多数だったため、私の両親は叔母の住所を使用して他の地区の幼稚園、同じように苦しい立場にある黒人コミュニティの人々が集う多人種で誰もが同じように扱われる世話の行き届いた幼稚園に通わせてもらった。そのような原体験が後の白人だらけの学校生活の中でも私を支えた、だが娘のカントラはそのような多様性を見ることなくここまで来てしまった。



私は娘が自分の生まれた国を、母親が生まれた国を受け入れつつも黒人女性として強くあれるように育てるにはどうしたらいいのか悩みに悩んだ。日本では、カントラは常に "よそ者" のように扱われてしまう。彼女がどれだけ日本語をうまく喋れるかは関係ない、日本で生まれようとも日本で育とうとも。

私の娘の話に最も近いのは、2015年にミス・ユニバース・ジャパンとして選ばれた 宮本エリアナ だろう。

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彼女はアフリカ系アメリカ人の父親と日本人の母親との間に産まれ日本で育った。後にモデルとなりミス・ユニバース日本代表として選ばれたのだがこれが大きな物議を呼んだ、ほとんどの日本の人々は彼女が日本を代表することを望んでいなかった、宮本エリアナは "日本人に見えなかった" からだ。仮に彼女がガングロ、肌を黒く焼き黒人の真似をする日本人だったとしたら人々から容認されたかもしれない。



最近では娘は、遊び場に飛び込んでいく前にその淵にまず立ち、混血か外国人あるいは純粋な日本人に見えない子供を探すようになった。彼らを見つけてから彼女は駆け出し遊ぶようになった。

娘は同じ世代の子供たちとは違って見えるが、それでも日本は彼女の母国でもある。この島国にはカントラのような少数の子供たちが散在している。

娘のカントラは強い子だ、私と妻はいつも彼女のたくましさに圧倒される。そしてそんな彼女が私たちから何かを学ぶなら、それは共感の心であってほしいと思う。私たちは誰かが誰かよりも上だとか下だとかそういったことは彼女に教えていないしこれからもそうだろう。

娘が学校から帰ってきて「パパ、黒人って他の人と違うの」と言った時も私はこう答えた「そうじゃないよ、皆それぞれ違っているんだ」

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海外の反応

Youtubeのコメント欄より: reddit.comのコメント欄より: ソース


Thomas Peters 私は日本に行ったことは一度もないけどロシアとウクライナには何度も訪れたことがある。その経験から言えることは、実際に生で黒人を見ることがほとんどない人たちの黒人に対する見方はアメリカの映画、テレビ、音楽(ビデオを含む)などによって形成されているということだ。

過去30年以上にわたってのアメリカのメディアでの黒人の描写を振り返ってみると、そういった見方はアメリカのメディアは作り出したものであり、これらの人気のあるエンターテインメントを制作した人の多くはそれが世界中の人々の認識を形成するということに無頓着だったことを表している。

Christine Arrington アメリカを都合よく使って何でもアメリカのせいにするのは止めろ、アジアの人々はアメリカが存在する前からアフリカと取引をしてきた。彼らが持つ黒人に対する差別意識は彼ら自身から生まれたものだよ。

Kira Groneveldt 貴重な話をシェアしてくれてありがとう。今もこれからもあなたの娘さんは様々な困難に直面するだろうけど、あなたの愛と献身は彼女の健康な自尊心を作り上げていくはずだ。

私も異人種間で生まれた女として成長していく過程で同じ問題に直面したけど、私のお母さんは毎日私がどれほど美しいか教えてくれた。私はそれを信じて、今もそれを信じてる。きっとあなたの娘さんも自分自身を好きになるはずだよ。すべての女の子の父親があなたと同じように献身的で思いやりのある人であったらなと思うね。あなたたち家族全員に神のお恵みを。

Benjy Britton 私も "Biracial(異人種間の子ども)" で同じようなことを言われて育ってきたよ。ただ私の場合は周りにいた女の子はいつもこんな色に肌を焼きたいと私の褐色の肌を羨ましがってたから自分は特別な人間なのでは?とか思っちゃったりしてた。日本に行った時も私を見つめててくる人々に気づいたけど半径数マイルに存在する人の中で私が最も高いからだと思ったわ。

それと私には日本人の友達がいるんだけど割と皆私たちのブラックカルチャーが好きだったりすると感じた、特にヒップホップね。この記事の著者のお子さんはつらい経験もしているみたいだけど、その普通の人とは違う環境で育ったことが彼女の将来に特別なものを残してくれることを願ってるよ。

Regina Wilkins アメリカに戻ってきても差別はある、彼女を差別に屈しないよう教え続ける必要はまだある。まぁ少なくとも親族や同じ肌の友人たち、それに受け入れてくれる環境は日本よりあるけどね。

Lukuli Kiwamba 特に異人種間の子供はどこへいっても何かしらの差別を受けたりするもんだからねぇ、悲しいことに。人とちょっとでも違ったりするだけで怖がる人はどこにでもいる。

Majid Yekan とても興味深い話だった。でも本当にこれがあるから「よそ者」は日本に移住するのを怖がっているんだよな。私の友人で日本に住んでいるけど不快な気持ちを抱くことがあるって言ってる白人がいるよ。常に外国人や外国にルーツを持つ人間をよそ者扱いにする、これが日本に移民が少ない理由の一つだ。

Maria Polanski これはあくまで1家族の物語と経験に過ぎず、それだけで日本国全体を判断することはできないって。

Rill La Verte 日本にも黒人のコミュニティはあるんだからそこに参加して他のハーフの子供たちと会わせてあげればよかったのに。まぁ君が娘さんを守守りたいってのは理解してるけどさ。

Ashleigh Battles え、あんの?

Bree Kukowski 東アジアには黒人の移住者が増え続けているとは聞くぞ。

Tracey SoGrateful McMichael 『コミュニティ』ってのは強い表現だ、数家族のアフリカ系アメリカ人の集まりのことをコミュニティとは言わない。 コミュニティとはその民族やグループに則したビジネスや、信仰の場所、レストランがあり、その他のサービスがあることを意味する。アフリカ系アメリカ人家族のためコミュニティは日本には存在しないよ。

Bruce Wallace この話を読んでいるかもしれない日本の国民からの意見も聞いてみたいね。

XM "それはアメリカの白人が大多数の地域で育ち黒人の両親を持つことによって葛藤した私の子供時代を思い出させた。"
その逆もまたしかりだけどな、黒人だらけの地域に白人の子供として育っても同じように扱われる。

lin5 この著者は日本の人たちに対して上から目線な感じがして気にくわない。日本人があんたの価値観に従う必要はない、あんたが日本人の価値観に従うべきなんだよ。アメリカでも同じようにすべきだがリベラルの連中ためにアメリカ人は移民に従わなければならなくなっている。

Gato 誰かが私の赤ちゃんを ハル・ベリー みたいと言ったら、私はそれを褒め言葉ととらえるけど...

Harry Yes、少なくとも ウディ・アレン と言われるよりはるかにいい(私は数年前に出産したときに実際言われた、ぶん殴ってやろうかと思った)

“DSC02989” by muzina_shanghai is licensed under CC BY 2.0

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