世界最大級のサッカーメディア『Goal.com』より

「究極のまずいプレー」 - カルロス・サンチェスが2018ワールドカップ初となるレッドカードを受ける

'The ultimate bonehead play' - Carlos Sanchez given first red card of 2018 World Cup - 19 JUN 2018


Embed from Getty Images

コロンビアのカルロス・サンチェスは2018ワールドカップ初戦となる日本戦で試合開始から3分で退場処分を受けた。同選手は香川真司のゴール確実のシュートをハンドで阻止、審判は迷うことなくレッドカードを振り回しPKを宣言した。

元マンチェスター・ユナイテッドの香川はゴールから12ヤードの距離から難なくゴールを決め、コロンビアは最悪のスタートを決める。

それはウルグアイのホセ・バティスタが試合開始から1分経たずに退場した1986年の試合に次ぐワールドカップ史上2番目に早い退場だった。

ソーシャルメディアは当然のことながら荒れた。

「3分でレッドカード」

「カルロス・サンチェスによるぼうぜんとしてしまうほど馬鹿な決断。素直に日本にゴールを決めさせるべきだった。」

「コロンビア対日本、キックオフ、レッドカード、そしてゴール 😱」

「カルロス・サンチェスは32歳だ。そこに本能や、アドレナリンなんかがあっただろうが、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー制)の時代にワールドカップの試合開始直後に手でゴール確実のシュートを止めるなんて究極のまずいプレーだ。」

「カルロス・サンチェス、ワールドカップにようこそ! そしてさようなら!」

「カルロス・サンチェスはコロンビアにとって非常に重要な選手でもある。でもこれでコロンビア代表はこの試合を含めた2試合を彼抜きで戦わなければならない。うげぇ。」

スポンサードリンク

イギリスの主要な日刊タブロイド紙『デイリー・ミラー』より

コロンビアが日本と対戦した試合で開始3分でカルロス・サンチェスが退場したが、それはワールドカップ最速のレッドカードではない

Carlos Sanchez sent off THREE minutes into Colombia's clash with Japan - but it isn't fastest World Cup red card - 19 JUN 2018

コロンビアにとって2018FIFAワールドカップ・ロシア大会の第1戦となる日本との試合でコロンビア代表MFカルロス・サンチェスはエリア内でハンドをして開始から僅か3分で一発退場した。

日本の大迫勇也が放ったシュートをコロンビアのGKがはじき、それを元マンチェスター・ユナイテッドのMF香川真司がダイレクトで合わせ決定的な一発を放つがこれをカルロス・サンチェスは手を伸ばしブロックした。それは明らかにゴールの機会を奪う行為であったためスペインのRCDエスパニョールに所属するこの32歳の選手の行為は極めて悪質と判断されたようだ。その後のPKで香川は堂々とゴールを決める。

だが意外なことにこの退場はワールドカップ史上最速の赤カードではなかった、なんと最速退場はこれよりも丸々2分も早かったのだ。

ではそれはどんなものだったのか?

以下がワールドカップにおける歴代最速退場TOP5だ。
最速退場 1位

選手名:ホセ・バティスタ
代表チーム:ウルグアイ
対戦相手:スコットランド
年月日:1986年6月13日
退場時間:00:54



最速退場 2位

選手名:カルロス・サンチェス
代表チーム:コロンビア
対戦相手:日本
年月日:2018年6月19日
退場時間:02:56


最速退場 3位

選手名:モハメッド・アル・ハラウィ(Mohammed Al Khilaiwi)
代表チーム:サウジアラビア
対戦相手:フランス
年月日:1998年6月18日
退場時間:18:14


最速退場 4位

選手名:ミゲル・ボシオ(Miguel Angel Bossio)
代表チーム:ウルグアイ
対戦相手:デンマーク
年月日:1986年6月8日
退場時間:19:14


最速退場 5位

選手名:ジャンルカ・パリュウカ(Gianluca Pagliuca)
代表チーム:イタリア
対戦相手:ノルウェー
年月日:1994年6月23日
退場時間:20:52
(ワールドカップで初めて退場処分を受けたゴールキーパー)
アメリカ合衆国の三大ネットワークのひとつ「NBC」傘下のアメリカのテレビ局『WPXI』より

コロンビアのミッドフィールダーがワールドカップで2番目に早いレッドカードを受ける

Colombia midfielder gets second-fastest World Cup red card - 19 JUN 2018

コロンビアのミッドフィールダーであるカルロス・サンチェスにとってこの2018FIFAワールドカップ・ロシア大会は最悪のワールドカップになった、だがそんな彼にも一つだけ安堵できるだろうことがある。火曜日に行われた日本VSコロンビア、そのワールドカップ初戦での開始わずか3分にの退場はワールドカップの歴史上最速ではないということだ。

その不名誉はウルグアイのディフェンダー、ホセ・バティスタの手の中に今もある。ホセ・バティスタは1986年のワールドカップ、スコットランドと試合で1分も経たないうちにレッドカードを受けたのだ。

まぁそれでもサンチェスはワールドカップ史上2番目ではあるのだが。そして彼の退場はワールドカップの歴史で最初の10分以内に退場処分された選手が3人に増えたことを意味する。
※FIFAワールドカップの第1回大会は1930年にウルグアイで行われ、この大会を企画・発案した当時のFIFA会長・ジュール・リメの寄贈したカップ『ジュール・リメ・トロフィー』をかけて争われたため『ジュール・リメ杯世界選手権大会(World Championship -Jules Rimet Cup-)』と呼ばれていた。『FIFAワールドカップ』が正式名称となったのは1974年の西ドイツ大会以降。以下はその1974年より前を含みます。


ホセ・バティスタ(1986年)

ワールドカップの歴史上最速の退場は1986年のメキシコ・ワールドカップのグループステージ、ウルグアイVSスコットランドで起こった。

ウルグアイのディフェンダーのホセ・バティスタはスコットランドのミッドフィルダーを転倒させ試合開始わずか52秒でレッドカードを受ける。実際にはもっと早かったと言ってもいいかもしれない、ファウルが取られたのは試合開始から39秒後だったからだ。そのあまりにも早い退場処分にチームは猛抗議、フランスの審判ジョエル・キニウー(Joel Quiniou)は13秒間もレッドカードを振りかざさなけらばならなかった。

だがウルグアイは試合のほぼすべての時間を1人欠けた10人で戦わなければならなかったにもかかわらず試合は0-0で終了、スコットランドはグループステージから敗退した。

バティスタ自身は他のウルグアイの選手たちとは違い、いわゆる "乱暴者" といった評判はそれほどない男だった。そして彼はそんなワールドカップの歴史における自分の立ち位置に折り合いを付けているようだ。

2016年のFIFA.comのインタビューで彼はこう語っている。

「私はフットボールアカデミーで働いていて、今はアマチュアチームを監督しています。私はいつも "この男が誰なのか知ってるかい? ワールドカップで退場処分されたことで有名なんだけど..." といった会話をよく聞きます。ですから私はそのたびに自分のスマートフォンを取り出して、彼らにあのタックルを見せていますよ。」



カルロス・サンチェス(2018年)

コロンビアのミッドフィールダーが犯したファウルはバティスタのようにあからさまに攻撃的なものではなくボールにハンドするというものだった。

ロシア西部の都市サランスクのモルドビア・アリーナで行われた試合でサンチェスはおそらくネットを揺らしたであろう日本のシュートを止めるために手を伸ばす。それは高い代償を伴った。

サンチェスはレッドカードを受け一発退場、香川真司はその後PKを決めを日本が試合開始早々にリードする。数的不利を抱えながらもコロンビアは39分にカンテロの巧みなフリーキックで同点に追いつくが、日本の人数におけるアドバンテージは後半で明らかになった。そして73分に大迫勇也が強力なヘディングシュートで勝利を決めた。



ジョルジョ・フェリーニ(1962年)

イタリア代表のジョルジョ・フェリーニ(Giorgio Ferrini)の退場劇は1962年のワールドカップの試合、おそらくワールドカップ史上最もダーティー(dirtiest)、スポーツマンシップのない試合の間に行われた。この日行われたイタリア対チリの試合は永遠に『サンティアゴの戦い(Battle of Santiago)』として語り継がれていくだろう。

チリの国立スタジアムに集まった6万6000人のファンは唾吐き、両足でのタックル、パンチ、乱闘、さらには警察の介入を目撃した。

1970年のワールドカップから導入されるイエローカード/レッドカードのシステムを作り出した審判ケン・アストン(Ken Aston)はその恐ろしい現場を担当していた。

当時イタリアの記者たちはチリを国ごと中傷し、試合前から火が燻っていた。そして試合開始から8分、イタリアのMFフェリーニがチリの選手に暴力的なファウルを犯したことからケン・アストンは退場を言い渡す。フェリーニはフィールドから離れることを拒否し最終的には警察に連行された。

そこから試合の暴力性は一気に増す。イタリアのディフェンダーのマリオ・デイビッド(Mario David)もまたチリのレオネル・サンチェス(Leonel Sanchez)の喉に強烈な蹴りを放った後に退場処分を言い渡される。

そのチリのサンチェス選手、プロボクサーの息子である彼は今度はイタリアのウンベルト・マスキオ(Humberto Maschio)の顔面にパンチを食らわせ鼻の骨を砕き退場処分を言い渡される。

9人に減ったイタリアはその後チリに2-0で敗北した。



ゼゼ・プロコーピオ(1938年)

『サンティアゴの戦い(Battle of Santiago)』からさかのぼること24年、フランスで行われた1938年のワールドカップのブラジルVSチェコスロバキアはおそらくワールドカップの歴史の中で最も暴力的な試合だった。

イギリスのジャーナリスト、ブライアン・グランビル(Brian Glanville)はそのボルドーで行われた準々決勝を "carnage(大虐殺)" と表現している。

ブラジルのMFのゼゼ(Zeze Procopio)が試合開始14分にチェコスロバキアのオールドリッチ・ネジェドリー(Oldrich Nejedly)の脚を蹴上げ退場となった。後に足を骨折したことが判明する。

さらに89分にはチェコスロバキアのFWヤン・リハ(Jan Riha)とブラジルのDFアーサー・マチャード(Arthur Machado)がパンチの応酬を繰り広げ退場、試合は1-1で終了し2日後に再びボルドーで再戦することになった。その試合は幸いにも大きな衝突を生むことなくブラジルの勝利で終わった。



このゼゼは "最初の10分以内に退場処分された選手" ではないが、今回のコロンビアのサンチェスがレッドカードを受けたことで "ワールドカップの歴史のなかで最も早い退場処分を受けた選手3人のうち1人" では最早なくなったことを意味する。

スポンサードリンク