イギリスの月刊の男性向け雑誌『Maxim』より

アンソニー・ボーデインがタトゥーと一生住むことになっても構わないと思える場所を語る

ANTHONY BOURDAIN TALKS TATTOOS AND REVEALS THE ONE PLACE HE COULD LIVE FOREVER - AUG 21, 2017

Embed from Getty Images
アンソニー・ボーデイン


アンソニー・ボーデイン(1956年6月25日生まれ)はアメリカのシェフ、作家、テレビ出演者。

ニューヨーク市の権威ある料理学校『CIA(カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ)』を1978年に卒業後、ニューヨーク市のフレンチ・ビストロ “Les Halles” でのヘッドシェフを含め数々のレストランでキャリアを積む。2000年に高級レストランの裏側を描いた著書「キッチン・コンフィデンシャル」を出版しそれが大ヒット、食をテーマとしたアメリカの専門テレビ局『フード・ネットワーク』がそれに注目しボーデインをメインに置いた番組制作のオファーを出す。

以降世界中を旅してその国々の食と文化を紹介する番組に出演する。『A Cook's Tour(2002~2003)』『Anthony Bourdain: No Reservations(2005–2012 )』『The Layover (2011–2013)』、2013年からはCNNに移り『Anthony Bourdain: Parts Unknown』を開始、現在シーズン10まで放送されている。

世界で最も影響力のあるシェフの1人として数えられている。(英語版wikipedeiaより)



2月の寒い朝、アンソニー・ボーデインはニューヨーク州のブルックリンで畳の上に横たわり、先端の尖った棒で腕を何度も突き刺されていた。近くにはウイスキーのグラスがあり、彼は痛みを鎮めるためにそれをちびちびと飲んでいる、カメラがあらゆる瞬間をとらえようとしている中で。

突き刺している男性は日本出身のタトゥーアーティストでこのタトゥーショップのオーナーであるマツバ・タケシ氏だ。そしてその部屋では、スコッチウイスキーで有名なバルヴェニー社とアンソニー・ボーデインが組んでyoutubeなどで公開しているウェブシリーズ『Raw Craft』の撮影スタッフが新たなエピソード用の映像を撮影している。

スポンサードリンク

『Raw Craft』はアメリカで活躍する最も才能のある職人を描くウェブシリーズで2015年に開始、現在は第3シーズンを迎えている。このエピソードでボーデインは肩に大きな菊のタトゥーをいれていた。

このタトゥーは手彫り(tebori)という棒状の入れ墨用の道具を用い何度も皮膚を刺す日本の伝統的なスタイルで行われている。マツバ氏は自分自身でインクを作り、さらに手作業で作ったノミと呼ばれる道具を使うという。



ボーデインはその柔術で鍛えられ引き締まった肉体に数多くのタトゥーを入れておりその数は増え続けている、そのタトゥーの一つ一つに物語がある。

そのどれもが聞くに値する、彼ほど共有するにふさわしい素晴らしい話の数々を持っている人間はそうはいないだろう。元ドラッグ中毒者であり、高級レストランのシェフとして活躍し、ベストセラー作家となり、食を中心とした旅行番組で80以上の国を訪れその国々で現地の人々と食卓を囲みながら彼らの話に耳を傾けてきたのだ。

入れ墨の作業が休憩に入る、ボーデインは我々Maximのレポーターと共に腰を下ろし、タトゥーと日本への情熱について語った。



ミシュランガイドのニューヨーク版でアメリカで寿司屋としては初めて三つ星を獲得した「MASA」のオーナー兼寿司職人の高山雅 氏の故郷で囲炉裏を囲み地元の食材を使った料理を食べる様子。CNNの『Anthony Bourdain: Parts Unknown』より。

あなたが番組で訪れたことのある国の中で最も訪れた回数が多い国の一つが日本ですね、しかもインタビューで言及される回数も多く、日本の寿司職人をテーマにしたグラフィックノベルまでお書きになっている。日本はあなたにとってとても特別な場所のようですが、今回の手彫りのタトゥーへの関心もそれの延長ですか?

これは私が持つ日本への執着心がもたらした自然な流れとでもいいましょうか、私は日本のほとんど全てに魅力を感じているのです。それは私が育った社会、文化、そして美学とまったく異なったものです。

初めて日本に行った時、それは私にとって爆発的な出来事となりました。それは文字通り本当に私の人生を非変えました。初めて東京を訪れた時の衝撃はそれこそ頭が爆発するようなものだったのです。

その旅は、比較対象として良いものではありませんが、私が初めて薬物でトリップした時のそれに近いものです。それまでと何もかもが変わった。もっと、もっととそれを望んでいた。

私が1カ国、あるいは1都市に住まなければならないとしたら、しかも残りの人生すべてを、そこから離れることも許されない、そのような選択をしなければならないとしたら私は迷わず、瞬時に『東京』と答えるでしょう。



日本には "shokunin"、優れた職人の伝統があります。彼らは完璧な剣、完璧なナイフを作るためにその生涯を捧げる。完璧を追及するという点において、今回のタトゥーもそれに近いものだと思いますか?

私は『初心の心』という概念をとても好ましく思っています。それは職人が毎朝、彼がその道においてどれほど優れているかに関係なく、自分を未だに学ぶ者であるとみなし、まだまだ何も知らないとみなし、学ぶべきことはたくさんあると、謙虚な気持ちと志を忘れないようにすることです。

絶え間ない向上心と言ったらいいでしょうか、私もその様な姿勢を持ちたかった。 私が日本について愛することの多くは、私がそれらを持っていないという事実から来ています。

私はそのような資質を持っていません。私はそのような信念、規律、自制心を持っていません。例えば日本の華道家のように物事に接することは私にはできません。 それは絶対的なコアの美しさに到達するために不要なものを取り除く行為です。 私もそのように私の人生を清く乱れないものにできればと思いますが、私はミニマリズムよりもマキシマリズムに向かう傾向にあります、引き算ではなく足し算の人間なのです。

しかし、だからこそ私はそれらを本当に賞賛するのです。日本が持つ細部へのこだわり、完璧主義、美しさの、喜びの、リラクゼーションの最も根幹となる要素への集中を。

Embed from Getty Images

タトゥーという要素があなたの人生に入ってきたのはどういったきっかけですか?

私が初めてタトゥーを入れたのは44歳の時、2000年に書き私の人生を変えた「キッチン・コンフィデンシャル」を出版した直後でした。 それは非常に美しい、非常に厚みのあるとある部族のタトゥーでした、もっとも私の最初の妻はそれを快く思っていませんでしたが。

ふらりと外に出てそれを入れました。30年の間、表舞台に出ることなく、暗がりで長年苦闘してきた末に舞い降りた突然の運命の変化に自分自身を祝福しようと思ったのです。私は貧困状態にあったとは言いませんが、私はその30年の間、期限通りに家賃を支払ったことはありませんでした。

私は自分自身のために何かしてもいいと思った。それは非常に楽しかった思い出です。そして1つ手に入れれば、また1つと欲しくなるものです。



あなたは今でもそんな風に衝動的にタトゥーを入れたくなりますか?

ええ、いつも。タトゥーを入れるときは脳内をエンドルフィンが駆け巡ります。

私自身よくこう口にします 「わかってる、私はもう60歳だ。新しくタトゥーを入れても私が若くなるわけでもないし、カッコよくなるわけでもないし魅力的になるわけでもないことはわかっている。」

それは利己的で個人的な行為です。「私は古い車を運転している。それはそこらじゅうが窪んでいる。また凹みが一つ増えたところでこれ以上悪くなることはない。」なんて冗談を言ったりしていますよ。

いくつかのタトゥーは私にとってとても大きな意味を持っています。それらはすべて時を刻んでいる。それらを何よりも大切にしている、などということはありませんが、そこには写真では残らないものが刻まれているのです。

私はずいぶん前に旅行の写真を撮るのをやめました。その時に感じたもの、その瞬間瞬間をとらえるにはレンズでは不十分だということを理解していました、だから別の方法でその時を刻みたいと思うのかもしれません。


以下おまけ

オバマ大統領がベトナムを訪れた時にCNNの『Anthony Bourdain: Parts Unknown』でハノイの大衆食堂で対談した際のアンソニーのツイート 「低いプラスチック製の椅子、安いが絶品の麺料理、冷たいハノイのビール。 」

「アンソニー・ボーデインがが人生最後の食事は何がいいかを語る」

以下dmarge.comより

人生最後の食事は何がいいかと問われれば、私は東京の地下にある小さな寿司屋『すきやばし次郎』を選ぶ。そこはこの惑星のどこよりも最高級の寿司を提供している。

最後の食事はどんなものが理想的か、そう、私はその寿司屋で一人でいる。もし死ぬのなら老いたライオンのように死にたい。最後に食べる獲物は、誰にも邪魔されぬよう茂みの中に這いつくばるように隠れて味わう、誰にも私の最後の一呼吸を見られないように。

もっとも私の場合は、ミシュランの3つ星シェフである小野二郎氏が立つ美しいヒノキでできたカウンターの前まで這いつくばり、22から23の寿司のおまかせを食べるという意味だが。

私は皆がそこで食べるように食べたい、出されたらすぐに口の中へ入れるのだ。シャリは常に完璧であり、海苔も常に適切な硬さ、魚も慎重に下準備がおこなわれる、二郎氏が長年かけて追及してきた彼がベストだと思う温度で。

私は二郎さんと2つ3つ言葉を交わす(奇跡的に日本語を話せるようになっていることが理想的)。

そして少し二郎さんを不快にするかもしれないリスクを冒す。彼は日本酒が必ずしも彼の使う特別に育てられた米を引き立たせるものではないと考えており、彼はおそらく食事の間、彼の自家製ブレンドのお茶を私が飲むことを好むだろう。

しかし最後なのだ、私はこの機会に彼が許す範囲の最も希少で高価な酒を注文するだろう。彼の寿司コースは緊張感のあるものだが、私はそこで少しほろ酔い気分になることを許すのだ。

コースはタマゴで終わる、そして願わくば私がまだそれを噛んでいる間に、私の後頭部に銃を突きつけ引き金を引いてほしい。私が床に倒れ込んだ時その薄れゆく意識の中で私は、この晩に地球上の誰も私よりも良い食事をしていないだろうと確信するのだ。そんな純粋な喜びと共に生を終えたい。

スポンサードリンク